更なる裏切り

府立高校を目指すことにした少女は、サボりがちだった学校にも行くようになり、月・木・土の週3日は塾に通った(この点は両親に感謝である)。
持ち主の意思を無視して世の中のにおいを敏感に嗅ぎ取る鼻を抱えながらも、いかにも受験生らしい生活を送っていたというわけだ。

そんな少女を嘲笑うかのように事件は起きた。

7月のある蒸し暑い夜。塾の帰りで時刻は午後10時頃だったように思う。
突如、樹液とお酢を混ぜた後発酵させたようなどぎついにおいが少女の鼻を襲い、少女は思わず自らの鼻を引っ掴んで投げ棄てた。
それはホテルから出てきた1組のカップルから放たれたものだった。
暗がりの中道端に転がった鼻を慌ててはめ直す。顔を上げた視線の先、少女はカップルの女の方に見覚えがあった。あり過ぎた。恐ろしいことに、母と瓜二つだった。

母(仮)は見たこともないほくほく顔で、横には妙ちきりんな太っちょを連れていた。                    少女の脳内に、一昨日の深夜ラジオで聴いた天井桟敷の『1970年8月』が鳴り響き、なぜか「御両親はアフリカゾウか何かですか?」という医者の言葉がフラッシュバックした。自分の親は本当に自分が知っているあの父と母なのだろうか。少女は自分がこの世に生まれ落ちた理由をまさぐり、急激に自信をなくしてしまった。母の二面性を目の当たりにして、-心境としてはジャンボ尾崎の経歴を知った時とほぼ同じー様々な疑問が頭をもたげる。
どうしてこんなところにいるのか。男は何者なのか。5分違えば出会わなかったかもしれないのに神様はなんて意地悪なんだ。そもそもシンガポールに行ったはずなのでは。

少女は、目の前のホテルが何をするための場所か分かっていた。この辺りは有名なラブホ街で、塾で唯一の正社員オカマン(オカマみたいだからオカマン。安直なあだ名だ)は「うちの塾はもぅ立地が悪いのなんのって。あれのせいで品位サゲサゲなのよねん」と口癖のように言ったし、少女自身もスクールバスで近くを通り過ぎる際「キャッスル! キャッスル!」と友人と一緒になって囃し立てたことだってある。既に事を済ませている一部の人間と比べれば少女は疎い方かもしれないが、昼休みは図書室に溜まってお色気画像を検索しきゃっきゃと盛り上がるお年頃だ。
だから余計に腹立たしかった。自分を除け者にしてまで手に入れたかった母の幸せが、どこの馬の骨とも知れぬおじさんとのセックスなのか、と。

おじさんは肥えた体を左右に揺らして通りを見渡し、短い右手(もはや豚足)を挙げタクシーを止めた。
二人は短いけれどもねっとりとした接吻を交わし、母だけがタクシーに乗り込んだ。
光の加減でようやく母の顔をまともに確認出来、母の(仮)はあっさりとれた。                                少女は懸命な走りで後を追った。
「おーい! おーい! おーい! おーい!」
道行く人の視線を物ともせず、つい「お茶」と答えてしまいたくなるほどの渾身の「おーい!」を連呼した。
100メートルばかり走ったところで、タクシーが信号にひっかかるのが見えた。何が何でも追いついてやる。少女は残り僅かな力を振り絞って走り、そして叫び続けた。
すると徐にタクシーの扉が開き、母が降りてきた。少女は思わず足を止めた。
信号が変わり、タクシーは母を置いてまっすぐ行ってしまった。

コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。                                      母の足取りはゆるぎなく、一定のリズムを保ったままこちらに向かってやって来た。
先ほどまで追いかけていた者が思うことではないが、なぜ母は逃げないのかと、少女は猛烈に腹が立った。堂々たる振る舞いが少女の神経をより尖らせる。

相対した母の顔は、今宵世界で一番ふてこかった!

いつものファンデーションのにおいは漂わず、それを超える甘苦いにおいが身体中を占めていた。少女は危うくリバースしかけたが、ぐっと喉に押し戻し、声を発した。

                                                                          「お母さん」
「妖精……」

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北村らすく
ハマショーの『MONEY』がすきです。