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でたらめに傷つけて、でたらめに愛して

ニューヨークの夜は色彩の洪水だった。無数のネオンがビルの窓を濡らし、タクシーのヘッドライトが滑るように地面を照らす。その下で、無数の靴が鳴らすリズムはめちゃくちゃで、ジャズとヒップホップと、どこかから聞こえるクラシック音楽が空中でぶつかり合っていた。

街角のバーから流れ出るギターの音に合わせるように、誰かがスケートボードを鳴らし、遠くでは車のクラクションが怒鳴り声のように響いている。

ニシアキヒサはそんな音たちを楽しむように、煙草を一本取り出して火をつけた。オレンジ色の火が彼の顔をほんの一瞬だけ照らしたかと思うと、すぐに夜に吸い込まれる。

「ニューヨークは、なんちゅーか……狂ったジュークボックスだよな」
ニシが呟く。

「ウン。誰もが勝手にボタン押して、好き勝手に音を鳴らしてる」
スズナユリは少し笑って答えた。

その言葉にニシが何か返そうとした時、ふいに空から小雨が降り始めた。街灯の光に濡れた舗道が鈍い輝きを放つ。

「雨……」
ニシは煙草を空に向けて掲げるようにして言った。

ユリは答えずに、その匂いを吸い込んだ。色褪せない街の光が、まるで2人をどこか別の場所へ押し出そうとしているようだった。

ニューヨークからの便がヒースロー空港に着陸した時、ロンドンの空は灰色だった。どこまでも均一な曇り空に、細い雨が紡ぐ無数の糸。ニューヨークの喧騒とは違う、ひんやりと静かな空気が2人を包む。建物の古い石造りの壁が、濡れて光っていた。

アスファルトにできたいくつもの水たまり。それに映る街灯の明かりが微かに揺れて、どこか儚い。

「こっちは随分静かだ」
ニシが少し笑いながら言う。

「灰色の中に、音が隠れてる感じ」
ユリがそう言うと、彼は「いいねぇ」とだけ呟いた。

タクシーに乗り、ホテルに向かう途中、窓の外には赤いレンガの建物や小さなパブの看板が流れていった。古い建物の間に、ちらほらとモダンなガラス張りのビルが混ざる。それが、街全体をまるで夢と現実の狭間のように見せていた。

「ロンドンってのは、優しい気がするよ」
ニシが急に言った。

「どうして?」
ユリが尋ねると、彼は窓の外を眺めながら、少し考え込むような顔をした。

「全部が派手じゃないからさ。ニューヨークは全部叩きつけてくるけど、ロンドンは……静かに忍び寄ってくる。優しくて怖い」

その言葉に、ユリは妙に納得してしまった。街は確かに優しいけれど、どこか無防備でいることを許さないような冷たさも持っている。

ホテルに着いたあと、ユリは部屋の窓を開けて、そこから見える曇天の空と街並みをぼんやり眺めていた。遠くで、誰かがピアノを弾いている音が微かに聞こえる。

「アキ」
ユリは思わずニシの名前を呼んだ。

「なんだ」
彼はいつもの調子で答えたけれど、その声にはどこか疲れたような響きがあった。

「結局さあ、似たもの同士と、全く違う性質の人間、どっちがいいんだろうね」

ユリがそう問いかけると、ニシは一瞬だけ目を細めて、灰皿に煙草の灰を落とした。

「どうだろうな」
答えを急がないその声に、彼の思考が絡み合う音が混じっている気がした。

「似たもの同士ってのは、安心できるんじゃねぇか。言葉を交わさなくても、なんとなく通じる」

「じゃあ、全く違う性質の人は?」

「……お互いに影響し合う。そういうのも悪くない」
ニシはそう言いながら、窓の外へ視線を戻す。

その横顔を見ながら、ユリは胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。彼の瞳の奥にいるのは、自分じゃない。どこか遠くにいる誰か──あるいは、もういない誰かの影が見え隠れしている気がしたから。

「今、何考えてる?」

ニシはほんの一瞬だけためらってから、「なんでもねぇよ」と答えた。それは嘘じゃないけれど、本当でもない答えだった。

「私たちって似たもの同士だと思う? それともまるっきり違う、のかな」

ニシは再び窓の外を見つめたまま、静かに煙を吸い込む。そしてゆっくりと吐き出しながら言った。

「ユリとおれが似てるかどうかなんて、正直どうでもいいさ。ただ、今隣にいる、それが答えじゃねぇの」

その言葉に、ユリは一瞬だけ胸が温かくなるのを感じた。でも、同時に彼の中に広がる深い溝──自分がどう足掻いても埋められない距離を思い知らされた。

ユリは立ち上がり、ニシのすぐそばまで歩み寄る。手を伸ばして、その指先に触れた。彼の指は冷たくて、まるでそこに彼がいないみたいだった。

「それでもいいの?」

ニシは少しだけ驚いたようにユリを見た。そして、「……どういう意味だよ」と呟いた。その声は、窓の外の雨音に溶けてしまいそうなくらい小さかった。

似たもの同士であることの安心感も、全く違う性質を持つ刺激も、今の2人にはどちらも遠くて手の届かないものに思えた。だがユリは、それでもニシのそばにいたいと思ってしまう。

「でたらめに傷つけられるのも、悪くないかもね」

ニシはユリをじっと見つめ、何か言いかけてやめた。そして、再びポケットから煙草を取り出して火をつける。煙はゆっくりと上昇し、薄いカーテンを透かして雨の匂いと混ざり合う。彼の目は何かを追っているようで、何も見ていないようでもあった。

「そりゃそうだ。でたらめに傷つけて、でたらめに愛して、それで全部帳消しにできるなら、それが一番いい」

その言葉に、ユリは微笑んだ。ロンドンの静けさに包まれ、ただ黙って立ち尽くす。そんな2人にお構いなく、どこまでもでたらめで、どこまでも甘美なリズムは続いていた。

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北村らすく
ハマショーの『MONEY』がすきです。