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自責とか他責とか、あれ何。




寓話『双子の巨木と森の精霊たち』

#学校教育の実際#職場の実際#家庭の実際#インフルエンサーの実際 などから寓話化

遠い昔、光と影が織りなす不思議な森がありました。そこでは、精霊たちが互いに支え合いながら暮らしていました。森の中心には二本の巨木がそびえ立っています。一つは「光の樹」、もう一つは「影の樹」。森の平和を保つために、この二つの樹が調和することが何よりも重要でした。それぞれの樹には、精霊たちを導く守護者が住んでおり、それぞれの方法で森を導いていました。

光の樹の守護者リュミエールは、精霊たちの自由を尊重し、自ら力を見つけられるよう導く方針を取っていました。「精霊たちが自分自身で考え、学び、成長することが一番だ。可能性は彼ら自身の中にある」と彼は言います。一方、影の樹の守護者ノクスは、「未熟な精霊たちには正しい道を示し、導かなければならない。放任すれば森は混乱に陥る」と主張し、厳格な指導を信条としていました。

ある日、リュミエールと光の樹の精霊たちは、森の調査と飛行訓練を兼ねてノックヴィル渓谷を訪れました。そこには、「青の絨毯」と呼ばれる見事なお花畑が広がり、甘い香りと風に揺れる草花が精霊たちを魅了しました。彼らは花粉や昆虫の観察に夢中になり、予定していた訓練が遅れるほどでした。

その様子を偶然見かけたノクスは、深い憂慮を抱きました。「これでは精霊たちが未熟なままで終わってしまう」と思った彼は、すぐにリュミエールを呼び出し、厳しい口調で問い詰めました。

「君は無責任だ!精霊たちが間違った道を進むのを放置するなんて、守護者として失格だ!」「私たちは自立した精霊を育てる役割を担っているのだぞ!」「正しい道を示し、彼らを導かなければ、森に混乱が生じるのは明らかだ!」

リュミエールは静かに答えました。「ノクス、精霊たちの成長は彼ら自身の課題だ。私たち守護者の役割は、彼らがその力を見つけられる環境を整えることにある。」

ノクスはさらに反論します。「それは責任を放棄しているに過ぎない!彼らが誤った道を進めば、森全体が危険にさらされる。それを防ぐのが私たちの責任だ!」

リュミエールは首を振りながら応じます。「過度に干渉すれば、彼らの自立をかえって妨げてしまう。私たちがすべきは、彼らが自ら考え、行動する力を育てることだ。」

その言葉に苛立ったノクスは激昂しました。「それはただの無責任だ!自分が責任を負いたくないだけだろう!」

リュミエールは深く息を吐き、こう言いました。「ノクス、君は彼らの行動をよく見ているかい?君が見ている間、彼らは君の期待に応えようと優等生のふりをしている。だが、君の目が届かないところでは、彼らは不誠実な行動をとることもある。なぜだかわかるかい?それは、君が彼らの課題を奪い、全てを管理しようとしているからだ。」

ノクスは反論します。「ありえない!他責はお前で、私は自責だ!」リュミエールは静かに微笑みました。「いや、ノクス。君が自称している自責は、実際には他責に過ぎない。」


ミナサン、この話の本当の問題は何だと思いますか?


独断と偏見による解説

ここからは、この物語の本当の問題を独断と偏見により解説していきます!


本当の問題は何か

二人は互いに相手を他責的だと非難し、自分こそが真に自責的であると主張しました。しかし、その根底には「課題の分離」ができているかどうかの違いがありました。「課題の分離」とは、「自分の課題と相手の課題を分けて考える」というアドラー心理学の理論の一つです。「他人の課題に介入しないこと、また、自分の課題に他人を介入させないこと」を考えると、自分が何をすればいいかがが明確になるため実践の心理学と言われています。
この物語が示すのは、「自立や成長」を目的とした指導方針の違いと、それに伴う自責と他責の境界線の問題です。

リュミエールのアプローチ(真の自責人)
・相手の課題を尊重:精霊たちが自らの力を見つけることを促す。
・自分の役割に責任を持つ:環境を整え、必要なサポートを提供する。
・課題の分離ができている:自分の課題と相手の課題を明確に区別している。

ノクスのアプローチ(自称自責の他責人)
・相手の課題を抱え込む:精霊たちの成長を自分の責任とし、過度に介入する。
・自分の役割を混同:相手の課題まで自分のものと捉え、コントロールしようとする。
・課題の分離ができていない:自分と相手の課題の境界が曖昧。


課題の分離が真の踏み絵になる理由

ここまでで明らかになったのは、「自責」と「他責」の境界線が課題の分離によって定義されるということです。

自責的な指導者(リュミエール):自分の役割に集中し、相手の課題には干渉しない。
・相手が自立するために必要な環境を整える。
・相手が失敗してもそれを尊重し、成長の一部として見守る。

他責的な指導者(ノクス):相手の課題を自分の責任として抱え込み、過度に介入する。
・自分が結果を出すために相手の課題を奪い、コントロールしようとする。
・表面的には「責任感がある」ように見えるが、相手の成長を妨げてしまう。

つまり、課題の分離ができるかどうかが、真に自責的であるかを判断する基準となるのではないかということです。


日常生活における課題の分離とその問題点

この寓話の教訓は、教育現場だけでなく、日常生活のあらゆる場面に適用できます。
職場での上司と部下
・自責的な上司:部下の成長を信じて任せ、必要なときにサポートする。
・他責的な上司:部下の仕事に過剰に介入し、全てを自分でコントロールしようとする。
親子関係
・自責的な親:子どもの挑戦を見守り、失敗から学ばせる。
・他責的な親:子どもの行動に過干渉し、失敗を回避させようとする。
教育現場
・自責的な教師:生徒の自主性を尊重し、学びの環境を整える。
・他責的な教師:厳格なルールで生徒を縛り、成果を強制する。

しかし、巷に溢れる自責・他責論は、ほぼこの観点で捉えられていません。ゆえに、自称自責の他責人と真の自責人がごっちゃっとなって、どちらも場合によっては自責に見えたり他責に見えたりするというカオスが発生しているのです。しかも、その評価は所属するコミュニティの価値観に依存するのでタチが悪いわけです。よく、上長やインフルエンサーが話しているような自責・他責論が、水深2センチなのはこのためでしょう。


真の目的を見据えることの重要性

教育という観点に限定すれば、私たちが目指すべきは、相手が「自立し、持続的に成長できるようになる環境を支援すること」です。そのために必要なことは以下の通りです。
・長期的な視野で行動する:短期的な成果だけに囚われず、相手の将来的な成長を考える。
・課題の分離を徹底する:自分の課題と相手の課題を明確に区別し、それぞれに適切に対処する。

自立支援という目的の解像度を上げましょう!ということです。自立支援が目的であれば、そのために管理強制し自立を奪うことがいかに間違いかを瞬時に見抜くことです。


結論

光と影の森の物語が教えてくれるのは、真に自責的であるためには「課題の分離」が不可欠であり、それができていないと他責に陥るということです。自分の役割に責任を持ちつつ、相手の課題を尊重することで、共に成長する道が開けます。
具体的には次の3つを心がけましょう。
1. 課題を分ける
自分がコントロールできるのは自分の行動だけであり、相手の課題に過剰に介入しないこと。
2. 自責と他責を見極める
自分の行動が相手の成長を妨げていないか、定期的に振り返る姿勢を持つこと。
3. 信じて見守る
相手の可能性を信じ、必要なときに支える準備をしながらも、自立のプロセスを大切にすること。

これらを実践することで、あなたが向き合う誰かが自立し、成長する未来を築けるだけでなく、自分自身も指導者として成熟する道が開けることでしょう!!

以上、寓話〜るどでした。


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