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目薬なしでは、もはや生きていけない。

 コンタクトをつけて寝てしまうと、起きた時に乾いたコンタクトのせいで目が痛い、というのはコンタクトをつけている人なら誰もが経験していることだろう。
 目薬は、コンタクトに潤いを与え、目の疲労を回復させる。目薬なしでは、もはや生きていけない。

 それにしても、いつからコンタクトをつけるほど視力が低下したのか・・・

 1度目は、高校受験の頃だと思う。当時は、今と違って「パワハラ」、「モンスターペアレント」などという言葉は(少なくともぼくの周辺では)なく、塾の先生も熱心で、毎日演習プリントを山のように渡してきた。ぼくは、「分厚いステーキ」だと思って、残さず食べ続けた。結果、自称地域トップの進学校に進学した。

 2度目は、予備校講師になってからの3年間だったと思う。新人は、授業を持たせてもらえないので、実力で他の講師から勝ち取るしかない。プロスポーツと同様の実力社会。
 授業後には必ず、その授業の振り返りメモを3年間作り続けた。また、授業がない分、勉強しまくった。幸いなことに、ぼくにとっては勉強面で生まれて初めて尊敬した師匠とも呼べる先生方が二人いて、毎週ぼくに指導してくれた。 
 2人に出される課題が、「白文を訓読して全訳してくること」なのだが、例えば、英語を母語とする一般的な学力の中学生が、英語で書かれた科学雑誌の「Nature」や「Science」を全訳するようなものだろうか。そこには、見慣れた英語のようで、全く異質な言語とその深遠な世界が広がっていることだと思う。
 当時のぼくは、最年少で大手予備校に入ったが、完全に「育成枠」だったと思う。
 細かいことは割愛するが、3年間毎日朝の4時5時くらいまで勉強して、なんとか生徒や師匠に報いたいと努力した。当時は50字程度読むのに3時間も4時間もかかっていたものなら、今では10分もかからないと思う。そのくらい成長した。

 これらのおかげで、視力は低下して眼鏡をかけざるを得なくなったが、著しく学力は向上し、知識をたくさん得て「賢くなった」。

 そして、「世界」がよく見えるようになった。

 その後、コンタクトに変えた。

 今思うと、眼鏡は、目との間に距離があり、ある程度重さを感じるところが、かえってよかった。「世界」との「間」を感じられたから。  
コンタクトは、その「間」を許さない。裸の眼にぴったりくっつく。

 いつの間にか、「世界」が、単なる、世界となってゆく。


 勉強するほど、歳を重ねるほど、視力は落ちてゆく。そして、「世界」は、より豊かでより強固なものになってゆく。

 眼鏡やコンタクトが、目薬が、ますます手放せなくなってゆく。
 コンタクトが乾いて目から外れそうになる時、その痛みは、「世界」から抜け出そうとして生じる副作用なのかもしれない。

 その痛みに耐えられず、目薬をさす。
 
 ありのままの世界から剥離しかけていた「世 
 界」に、再び整えられる。

 曖昧模糊とした世界から、秩序ある「世界」
 に回帰する。

 
 目薬は、「世界」を維持する。
 目薬なしでは、もはや生きていけない。

 目薬が、麻薬のように思われてきた。

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