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「言」と「言の葉」ー争いの理由について考えてみた


昨今、noteやTwitterなどでは、表現した言葉についての問題が多発しており、争いが絶えない。


この表現は差別的だ、この前こう言ってたじゃないか、ノーはノーであるーー


このような言葉についての問題を考えるときに、

いや、待てよ、そもそも「言葉」ってどう言う意味なんだろうー

という疑問が湧いてきた。

つまり、「言葉」という言葉の定義を考えることによって、言葉の使い方、受け取り方を改め、国内の紛争をなくそうというビッグプロジェクトである。


「言葉」という言葉の語源


まずは「言葉」の語源を調べてみよう。

http://gogen-allguide.com/ko/kotoba.html

このサイトによれば、
まず「言」という語があり、これには事実を伴うというかなり重い意味があった。

漢字の成り立ちを見ても、「言」は針を意味し、神との誓いを表したようだ。

https://japanknowledge.com/articles/kanji/column_jitsu_07.html

時代を下ると、「言端」「言葉」「言羽」のような漢字を使用し、「言」よりも軽い意味を持たせるような語も使うようになった。


なぜ「葉」か?


なぜ「葉」の字が一般的な表記になったのか。

「言葉」の使用例としてよく挙げられる『古今和歌集』仮名序を見てみよう。

紀貫之は『古今集』仮名序において、表現活動を植物にたとえている。


やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。

(日本の歌は、人の心を種として、葉っぱのようにたくさんの言葉になったものである。)


世の中にある人、事、業、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

(世の中の人々は、かかわる事柄がたくさんあるので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して、表現しているのである。)


つまり紀貫之が言うには、
言葉とは、自らの気持ちを元にして、それが見聞によって成長し、表出したものということである。

したがって、神さまに誓うくらいに絶対的で客観的な事実を表現するときに使っていた「言」と、
あくまで自分の感情という主観的世界から発する「言葉」とでは、全くその性質が違うということがわかる。


真名と仮名

仮名序は仮名、いわゆるひらがなで書かれているから仮名序なのだが、そもそもなぜひらがなが「仮」で、漢字は「真」なのだろうか?


日本にはもともと固有の文字がなかった。

しかし、中国大陸から輸入した漢字という文字は、当然漢文体用の文字である。

公文書(歴史、法律の記録等)なら、意味が伝わることが重要なので、漢文体でも問題ないが、
日本特有の音(和歌など)を記録する場合、そのままでは使うことができない。

そこで漢字の発音だけ借り、日本語の音に当てて書き表すいわゆる万葉仮名、そこから仮名が誕生した。

つまり、客観的事実「言」を漢文体ー漢字ー真名で、主観的感情「言葉」を和文体ーひらがなー仮名で表現したのだ。


日本で使われてきた言葉をざっくり二つの性質に分け、以下のようにまとめた。

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※書き言葉、つまり文語には平安時代の話し言葉も含まれるが、なんとなくイメージを伝えたかったためざっくりわけました。


現代の言葉

それからさらにとんでもなくざっくりとだが、
明治時代に文語(書き言葉)と口語(話し言葉)を一緒にしようとする言文一致運動があり、文字を記録することが容易になった。

これは上の表のような表記の違いによってなんとなく分けられていた「言」と「言葉」、
つまり客観と主観、絶対的事実と感情がごちゃ混ぜになってしまったとも言える。

ようするに何が言いたいかと言うと、
Twitterやnoteにおいて、書き手の時には自分の個人的で主観的な「言葉」を書いているのに、
読み手になった時には絶対的「言」を求めているのではないかということである。

この需要と供給の不一致のせいで、日々日本各地で炎上、謝罪が相次いでいるのではないだろうか。


紀貫之がTwitterをしていたらどうか。

男もすなる日記というものを、女もしてみんとてするなり。ーー

絶対炎上していたはずだ。


まとめ

調べてみた結論としては、Twitterやnoteにおける「言葉」の争いは明治時代に表面的な言文一致をしてしまったこと、そもそも漢字を輸入してしまったことが原因であるように思う。

では言葉での表現はやめるべきか?

紀貫之も言っているように、この世で生きている以上、言葉で表現してしまうのは仕方のないことなのだ。

つまり「言葉」の読み手として、Twitterやnoteに書いてあることはほどほどに受け止めとこうということだ。

葉っぱはいずれ散るものだ。

この心持ちでnoteを続けようと思う。


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