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【小説】40才のロックンロール #5

" 最終電車でこの街に着いた。背中丸めて、帰り道。何も変わっちゃいないことに気がついて、坂の途中で立ち止まる "

清志郎の歌声に浸りながら、昨夜はなんとか家に辿り着いた。本当に、いい事ばかりはありゃしない。

ひどい二日酔いだ。もう二度と酒なんて飲まないと、心に誓った。

松島と別れた後も、ゲームセットとはならず、家でひとりで壮絶な延長戦を繰り広げたのだ。哀れだ。

俺はなんでいつもこうなっちゃうんだろう。俺はなんで、こうなると分かっていながらも、こうなっちゃうんだろう。ほんの小さなことがトリガーとなり、いつまでも考え込んでしまう。そして、飲んでしまう。

だんだんと薄れていく意識の中で、いつの間にか、昔のことを思い出していた。と思う。定かではないのだが。

僕は、建築が大好きだった。建築家こそが、世界を救うと信じていた。実際、そのような素晴らしい仕事をしている諸先輩方がいる。俺もいつか独立して大きな仕事をしてやると、鼻息を荒くして意気込んでいた。いつか日本を代表するような建築家になり、世界を渡り歩くんだと信じていた。

大学時代は我ながら成績も優秀で、「田島鉄春賞」なるものも受賞した。もちろん田島氏には会ったこともないが、大学の創設者らしいことは分かっていた。

それなりの成績で大学を卒業することができた。その後、お世話になった恩師の紹介で、小さな設計事務所に就職した。初任給は13万。業界では「アトリエ事務所」と言われるやつで、就職というよりは弟子入りに近かった。お金がもらえるだけいいという、Z世代には理解不能であろう条件を飲んだのだ。というわけで、卒業してもなお、親のスネをかじるしかなかった。でも、親は応援してくれた。

弟子入り後は毎日が新鮮で、スポンジの如く実務を吸収した。ボスも先輩もとてもいい人で、僕はみんなに応援されていた。新人にも関わらず、そこそこ大きな仕事を任され、食らいついた。その後は、もっともっと大きな仕事を任されるようになった。社内の信頼も厚い。やっぱり俺は、できる男なんだ。そんな恥ずかしいことを、本気で思っていた。

一方で、当然の如く激務は加速していった。良くて終電、徹夜は当たり前。少ない給料で専用の寝袋も買い、事務所に泊まり込んだ。朝、シャワーを浴びるためだけに、一時帰宅することもあった。

でも、それが誇りだった。俺は毎日ヘドが出るほど働いてるんだ。大した仕事もしてないくせに、月20数万円をもらい、夜の街を闊歩するためだけに生きてるやつらとは違うんだ。俺には夢がある。

建築と向き合い続けた。美しいとは何か。そしてどうやったら、業界から喝采を浴びるのか。どうしたら美しい建物になるのか、どうしたら雑誌で取り上げてもらえるようになるのか、どうしたらいい写真が撮れるのか。そんなことばかりを24時間考え続けた。

一級建築士の資格も、この頃に取得した。激務の中、猛勉強した。毎週日曜日は、朝から晩まで資格学校に缶詰めとなった。もう恐れるものなど何もなく、ただ無心で突っ走った。

だが、確実に何かがすり減っていることに、薄々気付いていた。心の声は、確かに僕に届いていたが、聞こえないふりを貫き通した。

そんな暮らしを4年続けたある朝、急に出勤できなくなった。どうにもこうにも体が動かない。おかしい。でもきっと一時的なものだ。疲れているせいだ。そう思って正直に会社に連絡したら、休んでいいとなった。

でも、次の日も行けなかった。その次の日も、そのまた次の日も。葛根湯をいくら飲んでも、改善しなかった。

鬱だった。

鬱になると、世界がモノクロに見えると言うが、それは本当だった。状況が受け入れられない中、世界から色が減っていくのを、実感していた。

近所の心療内科からもらった薬を、真面目に飲み続けた。明日には仕事ができる。つらいのは今だけだ。でも、飲んでも飲んでも、治らなかった。

あんなに好きだった建築は、いつの間にか、僕の憎悪の対象となっていた。お前のせいで、こうなった。お前がいるから、だめなんだ。

こんな自分が会社にいるのは、良くない。存在そのものが、申し訳ない。お荷物になるのなら、いなくなればいい。会社に限らず、あらゆる所属から、消えてなくなった方がいい。

辞職することを説得してくれたボスに申し訳なさを感じながらも、僕は会社を辞めた。そして、しばらく仙台の実家で過ごした。両親は温かく受け入れてくれた。涙が止まらなかった。涙なんて、4年間流すことを忘れていた。

父の言葉。母の手料理。僕はいつしか、薬が必要なくなった。故郷の田園風景を眺めていると、すべてどうでもよくなった。ここで一生過ごせばいい。

少しずつ、体も動くようになった。両親が経営する酒屋の手伝いもできるようになった。

そんなとき、急に松島から電話がきた。怖くて出なかった。

留守電に残っていた彼のメッセージは、シンプルだった。

「ケン、飲み行こうぜ。明日、俺、仙台出張。」

母にもらった1万円札をポケットに入れ、国分町に行った。

「よぉ、ケン!」

その瞬間、僕は恥ずかしながら、号泣してしまった。

松島は、それを見て爆笑した。でも、それが妙に嬉しかった。

たまたま見つけた魚介系の居酒屋で、久しぶりに酒を飲んだ。松島からもらったハイライトを勢いよく肺に吸い込んだら、一気に気持ち悪くなった。

「俺、だめだよな。就職したと思ったら、早々にリタイアして実家に戻るとか。」

「うん、お前、だめだよな!はっはっはっ!」

こいつの辞書に「デリカシー」という言葉はない。配慮という言葉も、知らないのであろう。

「俺さ、かっこわりぃよな。」

「うん、ダッセーよ、お前!はっはっはっ!」

でも、なんか嬉しかった。友達に会えた。それだけで本当に嬉しかった。

松島にだけは、事の流れを話していた。だからこいつは、僕がどういう状態でいるかも分かっているはずだった。それでもなお、配慮に欠ける言動をくずそうとはしなかった。

久しぶりの酒とタバコで意識が朦朧とする中、松島の眼光が、僕を照らした。たまにあるのだ、こういうことが。松島が、僕を眼で制することが。

「まぁさ、よくわかんねぇけどさ。誰かがかっこいいと思うお前じゃなくて、お前がかっこいいと思うお前であれよ。他人の評価なんてゴミ屑以下だろ。かっこいいか悪いかなんて、お前が自分で決めろよ。」

僕は、また号泣してしまった。正直言って、松島に抱きつきたかった。

「まぁ、お前がかっこいいと思うお前は、俺にしてみりゃダセーだけだけどな!はっはっはっ!」

一言余計なのは、昔からだ。

ふらふらで帰宅した僕は、玄関で寝てしまった。母曰く、幸せそうな顔をしていたらしい。ポケットには、1万円札が入ったままだった。

次の日、僕は再び東京に出ていきたいと、両親に伝えた。しばらくの沈黙はあったものの、「お前の好きにしろ。」となった。父は僕にグラスを手渡し、そこにビールを注ぐ。母には、お気に入りの梅酒をすすめた。

「じゃあ、乾杯。こうやってな、祝えるんだよ。何があろうと、お父さんもお母さんも応援してる。」

父の声は、震えていた。母は、泣いていた。

その光景を思い出したときに、僕は我に帰った。時刻は9時7分だった。きっと夜の9時7分だと信じたかったが、スズメの声が、そうさせてはくれなかった。


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