見出し画像

ごん。とは…

不器用に
ガタゴト音を鳴らし、
さわがしく生きてます。

母親に、
有名な羊羹を(ひと口サイズ)もらって。

母は、わたしがなんかし出すと、
太らせようと貢いでくる。
自分はいま痩せたいモードじゃない、
知らんがな。

ただチョコもいければ、
羊羹も大好物(こし餡派)

箱を開いて、
「お~(歓喜)」

「緑茶…、粒餡、黒糖…と、あれ?」

母「どしたの?」

私「べにちゃって何味??」

母「う~ん、さつまいもみたいな?」

私「さつまいも美味しそうっ♥️」

数分後、ふと気づく

「たぶん、、こうちゃ…?」

こうちゃ…べにちゃ、紅茶!!
本当だよ、これ紅茶やんか!

和、一本で考えていたから、
全ては和風という思い込み
我ながら不思議な思い込み

母「そうだと思った」←

私「鏡みてくる?親の顔みたいでしょ」

そんなこんなで

何事も、人からの印象は様々で、
すべてに応えてあげたいけれど、
惜しいところが、わたしで。

誤認も多い

睨んでる?(多分眠たいとき)
悩んでる?(なんも考えてないとき)
ねむたい?(悩んでるとき)

酒豪そう(眼圧だけの雰囲気だろう)
照れてる?(ただしイケメンだけに)

一番、なぜか引かれるのが、
「えっ、待ち受け子供じゃないの?」

なぜだ。

わたしの小さな手の中の世界の、
オープニングくらい好きにする。
もちろん、
BUMP OF CHICKENの藤くんだし。

待ち受けにしてそうに見えるタイプ
別にしていても、
していなくてもいいと思うのだけど。

なんなら、出生体重は忘れるし、
誕生日を記入する時には、
かなり考える

子供が一番!っては言えないのが、
薄情っぽさを感じるらしい。

一番にしていたら、
いつか一人ひとりが、
歩き出し抱きしめるには、
遠くなったら、
燃え尽きてしまう。

全部入魂はできない
わたしの魂でさえ、
まだ暗中模索なのに。

だから残念ながら、
身の回りにおく好きは、
譲れない領域で。

わたしの好きだって大事だろうて。

そもそも、
好きをはかる同じ土俵でもない

他人のものさしに、
収まらなくても、
勝手にイメージかわるとかは悲しい

違っていても、
えーっ!は悲しい時もある

たしかに三兄弟は可愛い

さっきも、
全く待ってなかったのに、
「ごめん、ごめん、まってたね。」と、
先程きれいに仕上げたはずの、
末っ子がお風呂に現れる

時々なめらかに話す末っ子

かるく絶望

そしてシャンプーで、
全力の末っ子の善意パワーで、
顔面洗われて、
時々、雑な指先が鼻にはいり、
それでも耐える

だって優しいのかたまりだから

風呂からあがれば、
長男がおっさんみたいな、
どっかの大仏様のような、
横たわり方でYouTube

次男坊は、
段ボールで、せっせとバズーカーを、
最近大量生産している

アラビックヤマトの、
補充用のすんごいでかい、
のりみせたら、大興奮

しかしガムテープは駄目らしく、
セロテープしかつかわない
セロテープの無駄遣いといえば、
無駄遣いだし、
創作活動といえば大事だし。

横たわっている大仏様風の長男も、
日々、「長男タクシーっ!」と、
末っ子が叫ぶと猫バスも、
びっくりな速さでくる。
だから一息ついていらっしゃるわけで。

そしてわたしは、
その生態を観察するのがたのしい

輪の中にわたしはいない

達観したりしないと、
自分のなんかとごちゃ混ぜにしそうで。

好き勝手に話して、
好き勝手に解釈して、
好き勝手に喧嘩して仲直りする

いつか歩き出していくなかで、
自分自身を、信じられる人になればなぁ

わたしは、
なかなか自分を疑うほうが先で、
自分を信じられなくて、
誰が信じてくれるのか

「母」になることはあきらめた

人として関わりながら、
わたしのそばにきたら、
エネルギー補給されるような、
そんな存在になればいいしなりたい

給水所ごん。

避暑地ごん。

ゴロゴロごん。

さわり放題ごん。

色々なれる

「母」枠に入るのは、
ちょっと不器用な私には、
難しい

子供と一緒に成長していく
そう思っていた頃もあった

だけど成長していくのと、
退化していく差が時々かんじるから

あんな成長に追いつけない

だからその変わり、
なんかに形や気持ちをかえながら、
彼らをみていたい

そうして、
「べにちゃ」という娘に、
疑いもなく、
さつまいもとか言う人になりたい

自分を信じる、信じないより、
子供を、人を信じるほうが、
ずっと勇気と忍耐がいる

信じた結果が、
まちがいなくいつも花丸なら、
それはつまんなさすぎる

まちがいながら、
間違えたー!って迷いなく、
わたしに言えるようにいたい

40歳になっても
何歳になっても、間違うもんは
まちがう

間違ってるか否か、
ジャッジを下すのが
正しいわけでもない

いちいちジャッジをくだして、
罰を感じなくていい

失敗できるうちに、
繰り返さなければいいのだと、
よく伝える

伝えながら自分に言い聞かせている

だって本来そんな、
人間できていないのだから

ただ、長男が一歳のころ、
目を見て話せば通じあうと、
そう育児書にかいてあったから。

目を見て話したら、
左頬ひっぱたかれたのだよね
満面の無邪気な笑顔で。

そりゃ目を合わせたら、
まだ野性味溢れるならば、
威嚇をするかもしれない

その日
すべての育児書の何たるやら、
かんやらの類はみな、すてた

あの時「母」枠限定になろうとしていた、
不器用な自分も捨てた

対、人間でいこうじゃないか。

退化していくかわりに、
いろんな何かになれる魔法を。

成長していく彼らに、
幸あれと見えないビームを。

半分想像、半分現実

全部現実は、キャパオーバーになるから。

だから、
わたしの好きも大事にする

自分の好きと一緒に、
くっついてくる思い出が、
積み重なりますように。


※読んでくれた方、
ありがとうございます
幸あれビーム
💛💛💛💛💛🍀๛ก(・ω・ก)