人間中心設計・デザイン思考、もとい、自分中心設計でいきましょう
このnoteについて
人間中心設計やデザイン思考で向き合うシーンにおいて、だいじなエッセンスを突き詰めると、自分中心がいちばんじゃないかな?という考え方の表明です。
人間中心設計のおさらい
人間中心設計とは、
人とシステムとのインタラクションを向上させる=主にユーザビリティの向上のために行なわれるプロセス体系です。
詳しくは、こちらのnote で解説しています。
デザイン思考のおさらい
デザイン思考は、協働的・反復的な仕事のスタイル、あるいはアブダクション(発想法)を用いた思考法のことです。デザイナーが行うデザイン過程の認知的活動のこと、とも例えられることがあります。
インタラクションを向上させるためにより人間の心理(インサイト)に近づこうとする思考法です。
詳しくは、こちらのnote で解説しています。
どちらも価値「最大化」が目的で、価値「創造」ではない
どちらもユーザビリティを向上させることを目的とします。
創造ではない、向上です。
そしてユーザーについての理解を深める手順として、
人間中心設計では
「ユーザーの利用状況の把握と明示」
「ユーザーと組織の要求事項の明示」のプロセスがあり、
デザイン思考では
「EMPATHIZE」のモードがあります。
これらのプロセス・モードでは、
・ヒアリング
・インタビュー
・ヒューリスティック調査
などを通じて、
ユーザーについて理解し、共感し、
そのインサイトを見つめるものとされています。
そして、ユーザーの要求をもれなく抽出することがもとめられます。
つまり、ユーザーがいて、製品があり、製品に対する要求もある中で、
自社の製品を業界の中で特異な位置を占めさせること、
競合から優越させることを目指していくプロセスです。
その意味で、
人間中心設計やデザイン思考は
価値の「最大化」として1→10の改善フェーズに向いた手法、であり
価値そのものの「創造」、0→1の創出フェーズにはあまり向かない、
とも個人的には考えています。※過去に指摘されているnoteもあります
極端な言い方をすれば、
創造性のない集団に創造性っぽいものを与えるための道具
でしかないのです。
創造性があれば必要ないプロセスかも知れないです。
そして、これらのプロセスには一つ重大な落とし穴があります。
これらのプロセスを取り扱う人間の先入観です。
人間中心設計・デザイン思考の落とし穴
対象とされた製品なりサービスに関する、
ユーザビリティ向上にむけた調査対象の母集団形成にあたって、
原則的には、ユーザーを狭義広義ふくめて幅広く設定しましょう、となっていますが、予算と時間には限度があるなかでは、広く集めるには限界があるでしょう。
プロセスを主導する人たちから全くユーザーとして考えられなかった層は、「共感」をする対象にすら加えられません。
そうすると、そもそも共感の対象に偏りがでてしまいます。
言い換えれば、これらのプロセスで行われるいろいろは、
先入観により偏った対象集団の知的・感覚的レベルより外には出られないのです。
先入観の外に出る方法
私たちは、生きていく過程で先入観やバイアスを脳に蓄積します。
それはしかたのないことであり、生きていく上で必須なことなのですが、新しい思考をする場合に、邪魔になってしまいます。
先入観は、認知心理学では「認知バイアス」として研究されており、実に様々なバイアスが存在します。特に、次の3つのバイアスパターンは、アイデアをひねり出すのに妨げになると指摘されています。
1. 機能性バイアス:製品やシステムの機能が既存のもの以外はありえないと思い込むこと
2. 構造性バイアス:製品やシステムの構造が既存のパターン以外はありえないと思い込むこと
3. 関係性バイアス:製品やシステム内の個々の要素の特性は、固定されていて、変化しないと思い込むこと
ー『インサイドボックス 究極の創造的思考法』 (ドリュー・ボイド、ジェイコブ・ゴールデンバーグ 著/池村千秋 訳)
これらの妨げから自由になるためには、
一例としては、強制発想法などを通じて、強制的にバイアスを意識の外に取っ払うことがあげられます。
あるいは、定義されたプロセス・モードの正確な履行に加え、
・まるで合わなそうな2つの要素を融合してみる
・極端な抽象化してみる
・逆転・反転・回転してみる
・「気分」や「善悪」や「大小」の要素を加えてみる
など、途中で少しばかり寄り道をして試行してみることで、
あらたな「創造」の種ができるかも知れません。
遠回りに気づく
先入観のほかに、効率性の観点もあります。
もし、自分がその製品なりサービスのヘビーユーザーであり、いちばんそのことに詳しくて、自分自身の潜在的なニーズに気づいているなら、人間中心・デザイン思考の対話は遠回りでしかない、とも言えます。
たとえば、インクルーシブデザイン。
極端ユーザーから学ぶことで、通常気付かないような潜在ニーズを発見する手法だ、とされていますが、自分がリードユーザーになり、一番のヘビーユーザーとなれば、それはわざわざユーザーを集めてすることでしょうか。
全て自分ごととしてしまえば、対話は自分自身とすればよく、
そもそも共感など必要なく自分の感覚に正直になればよいのです。
また、文脈の理解は、ヒアリングでは限定的です。
言葉は発した直後に、その言葉の意味性をいくらか失ってしまうからです。
そのいくらか失われてしまったものをベースに、インサイトを追体験することで、抜け落ちる何かがあるように思います。
自分中心だからこそ共創できる
その製品やジャンルに対する愛情を持っていれば、製品をとりまくもの全てを、大事に感じます。
自分の好きなものだからこそ、その製品だけでなく、とりまく業界全体のことを考えて、利害関係者とも協力できたりすると思うんですよ。
深津さんやけんすうさんも言ってるようにですね
「よいインターネットを拡大する」ということを、みんなでやる。そうすれば、各プレイヤーそれほど争わずとも、みんなハッピーになれるはずです。
深津さんも僕も、極端に功利主義者というか「最大多数の最大幸福」を追求することで、個別の幸福度も最大化する、みたいな思想があるタイプです。
道具の発明はいつも自分中心であった
動物をうまく狩りたい
疲れないように耕したい
遠くにいる人と喋りたい
家の中暗くなるの怖い
馬を飼うのめんどくさい
計算するのだるい
という自分中心から、世の中を変える発明は生まれていると思うんです。
「自分」に奥深くまで向き合った結果として、
モチベーション駆動で作り上げられるときの思考の飛距離、
あと自分自身のその対象への情熱、コミットメントが、
0→1のイノベーションには大事な気がしてます。
まあ、MLP(Minimum Lovable Product)ってことですけどね。
イノベーションのための方法論として、「デザイン経営」宣言などでも取り上げられることの多い人間中心設計・デザイン思考ですが、そのような限界点も知りながら、社会全体としての創造性を向上していく取り組みとして、活用していければと思います。
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