自動運転時代も駅チカが選ばれるだろう

MaaSって、僕らの夢見た未来なの?

MaaS、CASEの話となるときの大体の題材が、「シェアバイク」や「過疎地の送迎バス」である我が国。

せいぜい外国からの入れ知恵で「複数の交通機関の料金のワンストップ化とサブスクリプション化」を目指そうとする交通事業者がスマホアプリを出そうとするぐらいです。

でも、考えてみてください。「共有のチャリに乗る」のが、「田舎のじっちゃんばっちゃんを介護施設に自動運転バスで送る」のが、「Suicaでタクシー定期」が、僕らの未来だったでしょうか?

なぜ自動車会社が、都市づくりをするの?

トヨタ自動車は完全電気自動車を出す前にスマートシティに参入しています。テスラは、ハイパーループにソーラーシティ、地下鉄道網をつくり、それをスペースXで火星に打ちあげて、機械による自律で都市づくりをさせようとしています。

これは何を意味するのでしょうか?

ほんとうは、MaaS、CASEによって到達する未来は、MaaS、CASEが要らなくなる未来なのではと考えています。
MaaSを「移動サービスのアプリによる統合、シームレスなUX提供」の話と受け取ってビジネスを考えていたら、モビリティ自体が死ぬという予測に到達したという話なのだと理解しています。

だからこそ、「モビリティを軸とした豊かなライフスタイル!」とかいう悠長な話ではなくって、「豊かなライフスタイルを実現するにはモビリティはどうあるべきか、そもそもモビリティが今のままあるべきなのか?」「それがどのような国際競争力を生み、国力を上げていくのか?」という視点で考える必要があると考えています。いわは都市論です。

たとえば、CASEで想像できる"すぐそこにある未来"

自動運転になって、車のほうからやってくる時代は、まあ、わかりました。ではその車の置き場所はどこですか?

都市から駐車場がなくなり、グリーンなシティになる?

そんなはずはないでしょう。需要も無いのにまちなかをずっとフローして走り続けていたらエネルギーの無駄です。かといって、自動運転車をコールしたら、30分待たないといけないとかであれば、需要がありません。思いたったら使える程度にすぐ来てもらわなくてはなりません。

つまり、需要に近い場所に一時的に車両を貯めておく場所が必要となります。いまよりも駐車場の場所はヒトに近い場所にくるはずです。

ですので、いかに需要地に近い場所に駐車拠点を確保するか、がモビリティ企業の生命線となっていくでしょう。

モビリティサービスを追求するなら、不動産を買え

直近では、その場所を確保する事業者が生命線上は強くて、もっとも有力なのはコンビニや、時間貸し駐車場事業者ではないでしょうか。
それがメッシュ状のネットワークのハブ拠点化していくと思います。

現存するハブ拠点である鉄道駅は、大量輸送手段のハブとして、規模を縮小しながら残るでしょう。駅前ターミナルのタクシーとバスあわせて、真っ先にハブ拠点にはなるのではないでしょうか。ただし今のままでは、需要地の点在に対して、間隔が開きすぎているので、ハブのハブとなっていきます。
単なる運転手という職はなくなるかもしれず、その都市のガイドとしての役割などが細分化、強調されていくでしょう。

次に、今のガソリンスタンドも、電気スタンド付きのハブ拠点となって、エネルギー的にも基幹ステーションにもなっていくと思います。このハブ拠点には電力が集積するので、コンピューティングにおけるエッジロケーション化していくものと思われます。

また運転技術の話では、いろいろ誤解があるように思うのですが、完全自動化は来ません(少なくとも民主国家では)。歩行者とのアイコンタクトや譲り合い、仕草によるコミュニケーション、地域による不文律でのローカルルールが存在する以上、無理なので、家から呼べば車が来る、ことにはならないと考えます。

すなわち、自動運転とは、通りに面したハブ拠点とハブ拠点の間の人と荷物の移動がメインのユースケースになるだろうと思われます。

その未来では、やはりハブ拠点との近さが不動産の価値基準として残りうると思われます。駅チカ、ハブチカの物件、自身がハブである物件を人びとは求めるでしょう。

この経済クラッシュの間、リモートワークでオフィスが要らないということに気づいてリアル拠点を手放していく企業を尻目に、この未来を見越して、着々と土地を買い占めている企業が、おそらく出てくる(もうすでにいる)でしょう。日本でのそれは、日本企業ではないかもしれないです。

モビリティを考えていたらモビリティが必要なくなった

ここで挙げただけでも、MaaSというものがたんに「複数の交通機関の料金のワンストップ化とサブスクリプション化」にとどまらないもので、行き着く先は都市論なのであり、国土改造論なのだと考えます。

「家から呼べばどこにでも自動運転車が来る」「どんな移動体もサブスクリプションでワンストップ」などと狭い世界を技術的に追求している間に、「人のほうを集積させて、移動を必要とさせない」方法で、ヒトの移動というスコープから技術を切り離し、CASEの要素技術を別のものに転用して、農業・工業・鉱業・漁業など第一次産業の生産性を上げていく国が出てくると思います。

そのうち、地球すら飛び出して、ヒトの移動ごときではなく、星間物資運輸を自律させることなどに活用する会社が出てくるでしょう。

グリーン・エネルギーとか、脱炭素社会において、わざわざモビリティを使ってヒトが移動しないというのが最適解だ、というのは誰もが考えつくところかと思います。

「共有チャリ」の回収どうしよう?という前に、チャリで可能なレベルの物理移動なら必要ない環境にすればいいのです。
「田舎のじっちゃんばっちゃん送る自動運転バス」が狭い道でのすれ違いを心配をする前に、都心に住まわせて全自動車椅子がつれて行ってくれるようにすればいいのです。

(お気持ちは、置いておいて)

国土の効率的利用化を考えると、国民の住居権を制限しても効率化を進められる国が国力を増していくのでしょう。

我が国がそうなるには、国の成り立ちの根本から、変革が迫られます。


こちらのnoteも参考にさせていただきました。


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Makoto Sone イノベーションカタリスト
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