問題と原因
言葉に詰まる
わたしが人前で発言をできない理由がはっきりしてきたので、シェアしてみようと思います。
思い出すと幼稚園児の頃には、人前で発言が出来なくなっていました。
幼稚園で先生に泣いている理由を聞かれても答えられなかった。
この時頭の中では、これを言って大丈夫なのか、言ったらどうなるのか、もし言ったことで困ったことになったらどうしようと、不安になっていました。
言おうと思っても言葉が詰まって出てこない。
こんなことが小学校に上がっても続き、大人になると、言葉に詰まること自体を回避するようになっていました。
これが長年のわたしの悩みのひとつでした。
発言できなくなったのはなぜ?
考えてみると、その背景は両親にあったと思います。
母親はとても世間体を気にする人で、わたしの発言が自分の常識から外れていると、正そうとする人でした。
わたしが自由に発言すると困った顔をして取り繕ったり、時には怒りました。
次第にわたしは母親に合わせなきゃいけないと思っていったようです。
でもそうすると今度は何を話していいのかわからなくなりました。
母親の期待する答えがわからない。だから言葉に詰まってしまう。そうなるとなぜ何も言えないのかと責められる。
意見を言っても言わなくても責められる。これではたまりません。
また父親は短気で子供にも容赦なく激昂する人だったので、子どもとしては恐怖でしかなく、いつも様子を伺って怒らせないようにしていました。
この二人と過ごしていながら、学校や外の世界で、まともに発言できるようになるわけがありません。
またこんなわたしに追い打ちをかけるように、わたしに厳しかった教師がよく「なんで言えないの」と困ったように言ってきました。
わたしは責められているようで、更に黙り込みます。
そういう状況はクラス中の知るところで、特に小学生のころなど、周りの子たちの容赦ない言葉に傷つきます。
ますますわたしは落ち込んでいきました。
そして「わたしはダメなヤツ」だという信念が出来上がっていきました。
でもその信念が変わった
それまでずっと自分が悪いと思い込んでいましたが、数年前からコーチングやhole理論を学ぶうちに、これは仕方ないことだったと気がつきました。
原因は上に述べた通りです。
わたしが悪いわけじゃなかった。人前で発言できないのは、こういった理由があったからで、仕方なかったのだとわかった。
でも理由がわかったからと言って、すぐに人前で発言できるわけではなく、そこにはまだ苦しみがあります。
でもここに気がつけたことで、わたしは楽になりました。
自分を責めなくて良くなったからです。
生きやすい人生を送るには、やっぱり今躓いている問題と、その原因を知ることが大事だと思いました。