反町康治監督のサッカーは山雅サポにとって何故魅力的であったのか ver1.0
反町康治監督のサッカーは山雅サポにとって何故魅力的であったのか
反町康治監督が松本山雅fcの監督に就任したのは、山雅がJFL(当時の3部リーグ)からJ2リーグに昇格した2012年であり、その後2014年のJ2で2位、2018年のJ2優勝による2度のJ1昇格を果たした。
ただし、J1で過ごした2015年、2019年ではいずれも降格圏の成績でのフィニッシュとなり、2019年を最後に退任することとなった。
反町康治監督が山雅時代に採った戦術は、一般的には魅力的とは言い難いロングボール戦術(キック&ラッシュとも縦ポンサッカーとも言う。またリトリート戦術ともいうはずである)であり、「ソリボール」と揶揄されることもあった(元ネタは意味が真逆の「サッリボール」?)。
いわゆる守備的と言われる、弱者のサッカーである。
一般的には「魅力的」とは言われないスタイルのサッカースタイルである。
しかし、そこには確かに人を惹きつける魅力ががあった。
その点を、非競技者目線で書き連ねて行く。
反町康治監督は基本的に3−4−2−1のフォーメーションでメンバーを組んでいた。
3センターバック、2ボランチ・2wb(ウィングバック)、2シャドーストライカー、1トップである。
これを基本とする点は8年間をとおしてほぼ変わらなかった。
たまに、4バックで開幕を迎えた時もあったかと思うが、上手くいかないとなると開幕2試合くらい試した程度で3バックに戻していたと思う(修正が早い)。
2012年のはじめ、何故3バックでのフォーメーションだったかというと、「サイドバックができる選手がいなかったから」と言っていたはずである。
J2レベルでサイドバックができる人材がいなかった、つまり、戦力が足りなかったのである。
それは弱者であるが故の弱者のサッカー戦術であったわけである。
しかし、反町康治監督は弱者を弱者のままにせず、ストロングポイントを作り出した。3つ挙げるとしたら
1、守備戦術の徹底
2、セットプレー戦術の徹底
3、「走力」の爆上げ
である。
テクニックがないので、ビルドアップはできないが、とにかく点を取らせなければ負けない(上記1)
そして、なんとかマイボールになったら、ロングボールを放り込み、1トップに当ててどうにか相手側の陣地でセットプレーを奪取。なんとか1点をもぎ取る(上記2)。
上記1、2だけでも徹底できていれば弱者のサッカーとして及第点であるが、このサッカーを魅力的なものとしていたのが、『「走力」の爆上げ』である。
走力の爆上げのために用いたのが、プレシーズンから行われたYoYotest - ヨーヨーテスト
という持久力評価方法を用いたトレーニング方法である。
YoYotestはシグナル音に合わせて20mの往復走を繰り返す、シャトルラン形式の持久力測定テストである。
エルシオフィジカルコーチの元、このヨーヨーテストで算定される数値を重視したトレーニングが行われた。
数値で算定されるので、選手自身にもその成長度合が明確になり、J2というカテゴリーで戦うための自信となる効果もあったであろう。
実際の試合内の効果としても、ロングボールの際の駆け上がりと守備の際の帰陣はスムーズであった。
そして、その効果が明確に現れるのは試合終盤である。
試合終盤、相手のスタミナが尽きてからの素早いロングカウンターは相手にとって驚異的であったはずであり、実際に試合終盤に得点し勝ち越すという試合も多かった。
このような試合展開が多かったことからそのような展開が「山雅劇場」と呼ばれることとなった。
とにかく、最後まで走力が落ちないのが、山雅のサッカーであった。最後の最後まで走って諦めない。
山雅のサポーターからの視点から見ても、ヨーヨーテストで走力を重視したトレーニングをしていることは知っていたし、そのことが試合展開にも反映されており、とても分かりやすかったのだ。
なんにせよ、人は全力で走っている人を見るのが好きである。
そのダイナミズムは自然と応援する気にさせてくれるし、その姿を見ると自分も頑張らなければという気持ちにさせてくれる。
青春ドラマには終盤に何故か主人公が走るシーンが挿入されるが、走ることにはその者に対するある種の思い入れを引き起こす効果があるのであろう。
個人的には箱根駅伝に何故人があれほど熱狂するのかは分からないのであるが、確かにそこに熱狂があることは毎年の中継映像の応援からも確認できる。
そしてそれが、自分が応援しているチームの選手であるならばその思い入れの度合いは凄まじいものとなる。
兎にも角にも、「最後まで走り切るサッカー」は、一時期において山雅のスタイルとなったと思う(特に2012年から2014年が顕著だったと思う)。
その上で、勝利という結果もでていたのである。
なお、このように最後まで走り切ることができたのは、戦術が守備的であり、必ずしも全体が常に走り続けていたわけではないという点もあったかと思う。
試合開始から走り続けていたのは、相手のボールの出どころを邪魔する役割の1トップの選手と、各サイドを1人で上下動して攻守に参加していた、ウィングバック(WB)の2人であり、中央を固めていたその他の選手はある程度の体力の温存ができていたのではないだろうか。
結果として、2度のJ1への昇格を経験したが、J1リーグに留まることはできなかった。
そのため、その経験を踏まえて、その後に就任する監督には、会社として上記の方法以外のスタイルでの戦い方を要請することとなる。
それは2度のJ1へのトライ後の方向転換としてはごく当たり前のことではあるが、「最後まで走り切るサッカー」を長年見てきた身からしてみると、「何かが違う」と感じるのも必然であろう。
既に上述したとおり、一般的につまらないサッカーとされる守備的でドン引きのソリボールは、「最後まで走り切るサッカー」として山雅サポとしては非常に魅力的なサッカーであった。
スタイルが変わった今としては、それはノスタルジーでしかすぎないかもしれないが、魅惑的なドン引きサッカーは確かに存在したのである。
おまけ
なお、下部リーグではトラッキングデータがないため(たしか)、過去と現在の走行距離の比較はできない。なので、過去も現在も走行距離自体は変わっていない可能性もある。
例えば、走行距離が少なそうに感じる選手の代表例である遠藤保仁選手は、実のところ走行距離の長い部類の選手である。走行距離が少なそうなのは印象にすぎない。
なので、私は現在の山雅のサッカーは以前より走れていないように思えるが、それもまた印象の問題なのかもしれないのである。
もっとも、2024年現在においてチームがやろうとしていると思われる、ハイプレス戦術は体力の消耗度が激しいため、そもそもが「最後まで走り切る」ことは難しいのであろう。
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