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グッドサン山口の生き様note~誰でも、いつからでも、未来は変えられる~

はじめまして。仕事を輝かせる人、グッドサン山口です! 

本名は山口嘉竜(よしたつ)。
1989年生まれ、兵庫県出身。
周りからは「ぐっさん」と呼ばれています。

大企業のサラリーマンとして

  • 20億円、100名規模の設備構築プロジェクトの統括

  • 年間1200億円の予算戦略の統括

  • 新規事業創出の統括、事業推進のコンサルタント、オープンイノベーションの推進

などをしてきた中、サラリーマン以外の複業として

  • 6カ月で35kgのダイエット経験×コーチングを活かした、オンラインのボディーメイクサービスの提供。

  • 新卒就活のイベント企画/法人向け 採用支援/社会人向けキャリア支援を行う 「コミュニティラポール」の共同創業。

  • キャリアアドバイザー、認知科学コーチ、新規事業のコンサルタントとして、述べ500名以上の支援。 

  • ワクワク働くきっかけをつくるコミュニティー「WakWork」の立ち上げ

 など、様々な挑戦をしてきました。

 そして2022年4月から、GOAL-B執行役員(CHRO:最高人事責任者)として参画しました。

今回は、自分の仕事、ひいては人生に絶望した状態から、
自分の歩みたい人生、後悔のない人生を見つめなおし、
自分のやりたいこと、才能に悩んだ過去、そして少しずつ気づきを得て、
挑戦を経て、理想の志事を手に入れてきた僕の生き様を綴りたいと思います。

 自分の情熱×才能を活かした「志事」ができる人生は最高です

 少しでも誰かの背中を押すことができたら、嬉しい限りです。


 【最初に】この記事で伝えたい3つのこと

  1. 誰でも「才能」と「輝く場所」がある

  2. 誰でも、いつからでも、未来は変えられる

  3. 志ある仕事(=志事)、志ある事業(=志業)は手にできる

 僕がいままでの人生の経験を通して、確信していることです。

実際に人生の絶望から立ち直った僕が実践して、乗り越えることができました。

そして、支援した方の人生も実際に変わっています。

「すべての人に可能性がある」ということが伝わり、実際に一歩を踏み出すきっかけになったら嬉しさの極みです!

*仕事、キャリアに関するエピソードは「社会人編」からお読みください。

【小学生~中学生】仕事に対する価値観を形成

僕が仕事に対する価値観を形成することになった、小学生~中学生時代の原体験をお伝えします。
振り替えると、このころからずっとこの価値観はブレていません


常にみんなの輪の中心にいることが好きだった

物心ついた小学1年のころから、僕が起点となって遊び企画を提案していたことを思い出します。

僕が言い出しっぺで、「どろけい」「ドッチボール」「エアガン」「ゲーム大会」を企画したり、この指とまれ!を指揮して、そこに皆が群がって「夢中で、笑顔」になっている状態。

利害がバラバラ(賞を獲りたい、楽しみたいなど)な想いを包摂するゴール(目的)を、僕がコミュニケーションを取って打ち立てる。

みんなが熱中、夢中になり、このチームがどんどん好きになってくる。

一体感が醸成される情景がたまらなく愛しかった。

 

母親にお願いした誕生日プレゼント

今でも強烈に記憶に残っているのは小2の頃の「自分の誕生日会」の話しです。

母親の「プレゼントは何が欲しい?」に対して、自分が欲しいとお願いしたことは「誕生日会を主催する権利」でした

当時の目的は今でも覚えています。

僕が主役になったうえで、参加者を熱中、夢中、圧倒的にワクワクさせて、めちゃくちゃ楽しんでもらいたかった。

僕が好きな友達・近所のお兄ちゃんを呼んで、全員が仲良くなって、今までにないぐらい楽しんでもらいたいと思っていました。

その裏側には、僕が主導で、僕が輪の中心で、このムーブメントを起こしたいという欲求があったことを覚えています。

 

父親を見て「絶対に大人になりたくない」と思った

僕は小学生のとき、大人になりたくありませんでした。

疲れて帰ってくる自分の父親や周りの大人を見ていて、
小学生ながらに「仕事ってめちゃめちゃ大変やな」と思ったから。

友達と遊んでいたらこんなにも楽しいのに、疲れ果てて帰ってくる姿を見て

「仕事はしんどいものなんだ」
「そんな人生はいやだ。大人になりたくない!」

そう思っていました。

とにかく働くことに対してネガティブで、仕事が楽しいというイメージはなかったことを覚えています。


イジメたらイジメられ、仲間が大切だと痛感

僕は小学校高学年~中学校の頃、いじめっ子だった時期がありました。

運動も勉強もできない。突き抜けられない。目立てない。
当時唯一誇れるのは、人を笑わせて巻き込むことと、小学校からやっていた空手ぐらい。

それでも一丁前にみんなの輪の中心でいたいという自分との葛藤。

 

そんな葛藤と思春期も相まって、いじめをするようになりました。
現在では最低なことをしていたと思います。

 

輪の中心にいようとした努力も空しく、ある日からいじめられる側になりました。

机をカッターナイフで切り刻まれたり、上履きがなくなったり。
夏休みの宿題を出したのに、僕の宿題だけ紛失したり。

先生からも「山口はイジメっ子で悪いやつ」という先入観を持たれていたので、助けてもらうこともできず。

 

痛い目を見た分、心の底から仲間の大切さに気づきました。
「これからは本当の仲間を作りたい」と、いじめがきっかけで改心することができました。

中学時代のこの経験がなかったら、今みたいに
「仲間にこだわる価値観」は持てなかっただろうと思います。


将来に恐怖を覚えた職業体験

14歳の時に職業体験がありました。

ある大手電機メーカーのでやらせてもらった仕事は、炊飯器の品質検査です。

1日8時間、一言もしゃべらずに流れてくる炊飯器の同じボタンを押し続けるライン作業でした。

自分が経験してみて、大人になってこの仕事をやり続けると考えたときに「ゾッ」としました

それを 父や周りの先生に伝えると、「勉強をして、いい大学に入って、いい会社に就職したら大丈夫」という言葉を受けました。

 それがきっかけで、150人中120位だった成績を中学3年生の夏休みから1日約12時間勉強して学年のトップ20に入るまで上げ、近所で1番の高校にギリギリ入学することができました。


【高校生~大学生】チャレンジと自信、そして葛藤

次は、いろいろなことにチャレンジし、自信をつけていった高校から大学時代についてです。
大学時代の就活と葛藤も、あわせてお伝えします。

はじめて自信が付いた高校時代のアメフト経験

高校に入ってからは、アメフト部に入りました。

アメフトには全く興味がなかったものの、周りよりも体が大きかった僕は、先輩から毎日のように勧誘を受け、

「君はスターになれる」

体験入部で言われたこの一言がきっかけで、もともと輪の中心にいたかった僕はすぐに入部を決めました。


僕の人生で大切にしている価値観の一つは「適材適所」で、これはアメフトから芽生えたものです。

アメフトではいろんなポジションがあって、僕は「ライン」を担当していました。

ラインというポジションは自分でゴールを決めたりするポジションではないものの、縁の下の力持ちで、突撃してくる相手を止めたり、ボールを持って走るチームメイトの進路をこじあけたりするポジションです。

アメフトはチームの力を結集し、相手に打ち勝つところがすごくおもしろかったです。

それぞれが得意な事、できることを活かしチーム一丸となる楽しさと喜びを強く感じ、適材適所というのは強固な価値観となっています。

この経験のおかげで、高校3年の時には「自信もついて勉強もやればできる」と思えるようになりました。


35kgのダイエット成功で自信をつけた大学時代

大切な仲間と価値観をくれたアメフトとの別れは高校3年生の時です。


最後の試合で、プレイ中に激痛があったのですが、そこで無理して出場しました。
結果、試合後に腰のヘルニアでドクターストップになってアメフトを断念。

唯一誇れたアメフトができなくなって自信がなくなったのに加え、残ったのは102kgのデブの僕です。全くモテなくてさらに自信を失いました。

しかし、そこで僕は折れませんでした。

それから「人生を変える!」と決意して、

  • 1日10キロ走る毎日

  • ビリーズブートキャンプをする

  • 1日の摂取カロリーを1500キロカロリーに抑える

を行い、6ヶ月で35kg痩せることができました

これがきっかけで、圧倒的な自信が手に入りました。

「人生で無理なことはない」と本気で思えました


たくさんのサークルやバイトにチャレンジし、人生の軸に気づく

ダイエットに成功して、見た目のコンプレックスも克服し、そこからは堂々と振舞えるようになりました。


サークルも5つに所属するようになり、外見だけでなく、徐々に内面も大きく変化していくように。

大学4年生で「うらじゃ」というお祭りの踊り連を仲間と立ち上げ、振り付けや衣装、楽曲などを全て自分たちで考えて、1つの演舞を創る「0から1」を作り上げていく工程を心から楽しみました。

また、適職を探すためにたくさんのバイトも経験しました。

飲食店でリーダーのいないときに、チームの指揮をとった事はとてもやりがいのある経験で、「完全に自分に合っている」と感じました。

高校のアメフトのときと併せて、

「仲間と一緒に0→1の価値を創ることが本当に好きなんだ」

ということを強く感じ、これが人生の軸だと、この頃に気付きました。

誰よりも就職の準備をした。だけど心から入社したい企業は見つからなかった

僕は大学卒業後、電気電子系の専攻で大学院に進学しました。

小学生で感じていた「仕事は大変だ」という未来を変えて、できるだけ楽しく働けそうな仕事に就きたかったからです。

大学1年生のころから、「PRESIDENT(プレジデント)」を読んでいたり、
企業のインターンシップに参加したり、「働くこと」への意識は人一倍高かったと思います。

 

大学院での就活は周りが推薦で数社しか受けない中、僕は色んな分野の企業を視野に入れて、悔いなくやり切りました。

興味のある企業に内定した人を探しては、見ず知らずの研究室の先輩を訪問して、企業のことを聞いて回ったり、情報を集めたりしました。

それでも「早く卒業して入社したい!」と思える仕事は見つかりませんでした

 

結局、当時は親や周囲の影響もあり、大手有名企業を10社ほど受けました。

誰よりも準備していたことから、面接に進んだ企業は全て合格し、電気電子の専門性×人・物・金をトータルで扱うプロジェクトマネジメントができる第一志望の企業に内定をもらいました。


【社会人前半】仕事に対する絶望が、希望に変わるまで

僕は社会人になってから、人生に絶望していました。
何年も苦しんだ中で少しずつ行動した結果、バチイケに輝く今があります。
そんな僕の社会人人生を、ここで紹介します。


社会人で働く中での疑問・そして絶望(2013~2015年)

入社1年目から仕事は全く楽しくありませんでした

僕は日々
「このままの人生じゃ後悔する」
「働くって、人生のなんなんだろうか」
「何とかしたい」
と思いながら、

せっかく勝ち取ったはずの第一志望の企業の仕事に悶々としていました。

 

また、同期の仲の良い友人がうつ病になったり、別の大企業に就職した大学の友人がつぶれたりしているのを目の当たりにしました。

「やっぱり、楽しく働くことなんか無理なんかも。」

小学校から思っていた「なりたくなかった大人」に近づいている気がしているけれど、当時は打開策もわかりませんでした。

あれだけ悩んで決めた第一志望の会社。
他にこれ以上の選択肢はないのでは?

そう思っていました。

ダイエット以降「人生なんだってできる」と思えていた自分の自信も日々なくなっている感覚でした。

 

いろんな葛藤がありましたが、負けず嫌いな僕は入社当時から希望している部署に配属されるまでは何があっても、「戦いぬく」「やりぬく」と決めていました。

 その甲斐あって、同期の中では最短で入社4年目の時に念願だった希望の部署に配属されました。

しかし念願が叶っても、土日を楽しみに働くのが現実でした。

やりがいはそこそこ感じていた一方で、「働くってこんなもんなんかな。」と思ったり「ワクワク働く」ことはできませんでした。

努力してまっすぐ進んで大きな壁を超えたのに、そこに光がなかったことが一番辛かったです。

自分の未来や生きている意味に悩んだ時期もありました。

「やっぱり、ワクワク働くなんて無理なんだ。これがサラリーマンか」と感じました。

「このままじゃヤバい」と思い、転職も考えました。

大学までの経験から「人と向き合う仕事がしたい」と考えて転職エージェントに相談するも、「技術系からは無理」とバッサリ。

今の延長上の仕事のオファーしかなかったり、「これだ」と思う仕事もありませんでした。

これからの人生が一気に闇に閉ざされて、お先真っ暗でした。

「自分に自信なんてこれっぽっちもない」
「仕事はお金を稼ぐために我慢をするもの」
「この先、定年まで惰性で仕事をして生き続けるのか」
「このまま電車に飛び込んだ方がラクなんじゃ…」

そう思うほどに、僕の心は限界を迎えようとしていました。


副業で迷走する中での大きな出会い(2016年)

絶望の中、当時に選択したのは本業を続けながら「副業」することでした。

しかし、最初は全くうまくいきませんでした。
いろんな異業種交流会に参加するものの、ネットワークビジネスの誘いのために参加している人としか出会えなかったり。
著名人のビジネス書を読んで奮起するも、明日から具体的にできるステップが結局分からずじまいだったり。

はっきり言って、僕は迷走していました。


そんな中、ある日大西タケシさんという人に出会いました。
タケさんは元会社員から脱サラして起業した人で「好きなことを仕事にする」を体現していて、すごく人生を謳歌している人でした。

「こんな人生や生き方もあるんや!」

タケさんは僕の身近なロールモデルになりました。

それまでは有名人の本を読んでも、「行動しよう」とはなりませんでしたが、タケさんは元々同じような立場の方だったので、いい意味で「自分にもできるかも!」と初めて思えました。

そしてようやく1歩を踏み出す決意が出来ました。


周りの人に聞いてやっと分かった「自分の好き×得意」(2017年)

「1歩踏み出そう」と決意した後にまず行ったことは、家族や仲の良い友達へのヒアリングです。
周りの30人くらいに「俺の長所を教えて!」「俺にやってほしいことって何があるかな?」とひたすら質問しました。

「ぐっさんは相談に乗るのがめちゃめちゃ上手い」
と多くの人に言われたので、「人生の悩みを解決し、人生をワクワクさせるコーチ」という肩書きで「悩み相談うけます!!!」という活動を始めました。

しかし、問い合わせゼロで、ダダ滑り。

本業が今まで技術者なので、ビジネスの経験は全くゼロでした。

そもそもターゲットを絞ったり「〇〇の専門家」と名乗らないとビジネスは成立しないのです。


同時に、起業を学べるオンラインサロンにも入りました。

これから自分でメシを食っていくビジネスをしていきたいという人の集まりです。

そこであたたかい仲間の集まりがあって、はじめて本当の同志と繋がれる場にめぐりあえました。

人生をワクワクさせるコーチでダダ滑りしてから、オンラインサロンで同志といろんなことを学んで、2018年の3月から始めたのが「ボディメイクコーチ」です。

自分の過去の人生を変えた大学時代のダイエットの経験を生かして

ZOOMでオンラインでダイエット指導×コーチングを行うサービスを立ち上げました。

自分が得意かつ好きなことで、人から対価を頂ける。しかも「人生が変わった」「ぐっさんに出会えてよかった」と感謝される。

働くことに絶望していた僕が、「働くことって、こんなにも楽しいんだ!」に変わった瞬間です

この成功体験が、僕を大きく変えることになります。

その後も、外見だけでなく内面を変えて人生を激変させるサービスを提供していきました。

 

社外で仕事をしたからこそ変わった、仕事の価値観

ボディメイクコーチを実施して、2つわかったことがありました。

  1. 社内で仕事をしている「当たり前」は誰かにとっての大きな価値になるということ。

  2. 真なる才能は今の仕事に出し切れていない可能性があるということ。

その理由を、以下で説明します。


1.社内で仕事をしている「当たり前」は誰かにとっての大きな価値になるということ。

当時の僕は早いタイミングで昇格していったこともあり、どこの職場に行っても最若手でした。身近な先輩と比較しては「自分は平凡以下。価値がない人間かもしれない」と悩んでいたことが多かったです。

しかし日々の仕事で「当たり前」にやっていた

  • わかりやすい企画書を作ること

  • 丁寧なコミュニケーションをすること

  • 目標を設定し、達成に向けて行動すること

など、その「当たり前」にしていることが誰かにとってはすごい価値になることを経営者の方から教えてもらい、身を置く場所1つで価値は変わることを実感しました。

もし悩んでいる方がいたら、今やっている「当たり前」が、誰かにとっての価値になると全力で伝えたいと思います。 


2.真なる才能は今の仕事に出し切れていない可能性があるということ。

ボディメイクコーチで自認した僕の才能は

  • ビジョンや思いを掲げて、周りを巻き込み仲間にすること

  • 人を励まし、行動に起こすレベルまで背中を押すこと

  • 目の前の人と向き合い切って、やりたいことや強みを引き出すこと

  • 短時間でたくさんのアイデアを考えること

  • 0から1を作り出すこと

などです。

 

振り返れば、幼少期からずっと通底して発動している才能ですが、
当時の仕事では活用する機会がなかったので、自認すらしていませんでした。
ここにきてはじめて、みんなの背中を押せる才能を持っている自分の存在価値に気付いたのです。

 

この才能を認知してからは、本職の大企業でもガンガン還元できるようになり、ビジネス経験やスキルも活かして、社内の業績もさらに上がっていきました。

  こうなると「仕事って楽しい!」と思えるようになっていきます。

「今まで楽しくない」と捉えていたのは自分のせいだったと気づくこともできました。


さらにそれは、社内の周りの人にもどんどん波及していきます。 

会社の中で「自分は何もできない」という人に対して、才能を見出しと、行動を変えるアドバイスを行うことで、自覚して輝く人が出てきました。

 「役割分担して進めていこう。それで成果が上がる」ということを理解し、それが僕の持ち場だということに気付き始めました。


副業は、社内ではできないことに思い切って挑戦することで、強みや肯定感を得て、自信につながる1つの手段なのだと実感しました。

高校時代のアメフト、大学時代のうらじゃのように、

  • 個々の強みを活かして、適材適所で

  • 大きな1つの目標のために一丸となって

  • 一人では成し得ない価値を生み出したい

ということが、本当に自分のやりたいことなのだと強く思いました。


キャリア支援(新卒領域)事業の立ち上げ(2018年)

自分のやりたいことに気づき
「もっと世の中にインパクトを与えるビジネスがしたい」
と思っていた矢先、大学時代の友人が創業する話を聞き、
一般社団法人「コミュニティ ラポール」を立ち上げました。 


自分が悩みに悩んだ就活の不安を後輩にさせたくない気持ちから、
「内定をゴールにしない、ミスマッチのない就職サポート」
を行う事業を立ち上げたのです。


企業と就活生のミスマッチは、僕が実際に体感したことです。
例えば僕のような電気電子系の学生なら、先輩からの情報をたどる形が標準的なので、家電メーカーや重電メーカー、車メーカー、インフラなどしか選択肢にありませんでした。

選択肢がそもそも限られているので、就活でどれだけ情報収集しても、就職後に「ここじゃなかった」と後悔してしまうのです。

当時の就活で人材支援の仕事やコンサル、ベンチャーの魅力を知っていたら、やり方は確実に変わっていた。そんな思いで始めた事業でした。

 

ラポールの具体的な事業内容は、大学生には無償で全部サポートする一方で、企業にスポンサーについてもらってお金をいただくという仕組みです。

人材マッチングは企業側の課題ですが、就活生は企業の思いや特性まで知る機会はありません。

それをラポールがしっかりと代弁して学生に伝える。

学生は就活サポートを通して素敵な企業を知っていくことで、両者をマッチングさせる合同説明会を開いたりして、初期は事業として成立させました。

泥臭く立ち上げた会社でしたが、
今では新聞社と共催でイベントの企画・運営や、新卒領域だけでなく、
社会人へのキャリア支援、法人向けの採用コンサルティング、インターンシップのディレクションなどを行うようになりました。

僕が仕事に対して、自己理解に対して悩みに悩んできた経験があるからこそ、この事業に情熱を注げたのです。

 

キャリア支援を推進し、本当にやりたい仕事(=志事)を確信(2019年)

ボディメイクコーチ、ラポール、社外の活動を通じて、新しい知識や人との繋がりも得られました。


それを会社内で発揮できるようにもなって、毎日が楽しくなっていきました。

僕はこれまでの人生経験の中で、
「同じ志を持つ仲間がいれば、1歩踏み出し挑戦できる。」
そういうサードプレイスがあれば世の中の会社員がもっとワクワク働けるようになると強く感じました。

必要なのは、身近な成功のロールモデルと応援し合える仲間です。

迷走から抜け出した僕が「そんなコミュニティがあったらいいな」という思いから生まれたのが「WakWork」です。

「ワクワク働きたいけど悶々としている会社員」をメインターゲットに、楽しんで働ける複業コミュニティを作りました。

 

楽しんで働いている、納得して働いている人もいる一方で「悶々としている会社員」もたくさんいます。

悶々としているのに行動に移せてない、行動に移したけど成果が出なくてやめてしまう…

一人で本を読んだり、ネットで起業・副業の方法を調べても一人だから面白くもない…

嘘の情報や自分に向いてない方法を選んでしまうこともありますし、どんな一歩を具体的に踏み出したらいいか分からないです。

だけど周りに仲間がいるだけで全然違う。
そういう場がないのであれば、作ってしまおう!という想いです。

 

WakWorkでは「めちゃめちゃすごい人」ではなく、自分と同じような会社員が工夫して成功した事例をたくさん共有することで成功を身近に感じてもらうことができます。

そして同じ志、価値観を持つ仲間で熱いチームを組んでみんなで挑戦、前進していくことができます。

挑戦する会社員を応援するのは会社員で輝いている人、実際に元会社員でいろいろ挑戦した結果起業した人、ジョブチェンジして本業で楽しい人生を切り開いた人たちです。


みんなの強み・長所・特技・経験を適材適所で発揮できる、参加者の全員が主役となるような場所にしたい。

自分の本当の強みは、「自分の当たり前」なので、一人ではなかなか気づかないものだけど、WakWorkでそれを見出して、伝える。

関わるうちに「私ってすごい!?」そして、「やってみたい!」と思っていることの一歩を踏み出すサポートを行っていました。

 

色んな事情があり、今は活動を休止しましたが、
この経験からキャリア支援が僕の本当にやりたい仕事(=志事)だと確信し、
キャリアアドバイス、キャリアコーチング、転職支援、複業(起業)支援に本気で舵を切ることができました。


【社会人後半】バチイケに輝く仕事人、グッドサン山口!

自分の本当にやりたい仕事(=志事)を見つけてから、僕の人生は輝き始めました。略歴を紹介します。


念願の社内異動。技術系から転身し、経営企画室へ(2020年)

会社の外で結果を出せるようになってからは、社内でも本音のコミュニケーションがどんどんできるように。
技術系の仕事をやる傍ら、新規事業の仕事を社内兼業で一緒に行わせてもらいました。

「給料なしでもいいので、やらせてください!」
そういった想いをプロジェクトオーナーにぶつけて、会社内で自分のやりたいことができるようにもなって、社内の仕事が楽しくなっていきました。 

社外の実践ベースで磨いた経験と行動力で、
社内新規事業の法人営業責任者を任せてもらったり、
自身でも新規事業を立案するなど挑戦を重ねていきました。

 

最終的には誰もが無理と言っていた、「経営企画室 新規事業部署」へ社内転職することができました。 

経営企画室での仕事は本来の才能と今までの経験をフルに活かせる仕事だったこともあり、

  • 新規事業開発の統括

  • 社内起業制度の企画・統括業務

に抜擢頂き、スケールが大きい仕事を任せてもらい、最高の環境で仕事ができました。

 

技術系からこの部署に異動するまでの道のりは途方もないくらい長かったけど、挑戦して本当によかった。

4年前にうつ病手前までいったことを忘れるぐらい、会社の仕事がめちゃくちゃ楽しくなりました

「サラリーマンでも好きな仕事をつかみ取れる」と、ここで確信したのです。


社内イノベーションの推進(2021年)

2021年4月からは、副社長から任命され、社内イノベーションの推進を進めました。  

社内起業制度の運営や新規事業創出の仕事に加えて、イノベーション拠点の創設を行う仕事です。

グループ会社も含めて、イノベーションに関係する全事業部署の垣根をなくして、人と人の繋がりを起点に、新たな価値を生み出す機会をつくっていきました。

 

「Have toの仕事を 、Want toの志事」に。
「日々の業務のモヤモヤを、ワクワク」に。
「一人では無理を、皆とならできる」に。
「バカにされる挑戦を、応援される挑戦」に。

そんな熱い想いを込めて、色んな施策を打っていきました。

この会社の熱量が上がれば、周りの会社の熱量が上がる。
結果、日本社会全体の熱量を上げることができる。

給料以上の目的がある、やりがいのある仕事(=志事)に全力を注ぎました。

  

少しずつ影響の輪が大きくなっていき、それに応じてワクワクする仕事も増えていきました。

  •  役員の方からの推薦で、役員候補の大先輩のメンターを1周りも年下の僕が任して頂いた経験

  • グループ会社の役員の方へ新規事業のコンサルをして伴走する経験

  • 社内の筆頭事業部署に、社内コンサルという初めてのポジションで、事業のブレイクスルーのきっかけをつくるという経験

  • 社外の名だたる大手企業に対し、事業アドバイスや事業メンターをした経験

 など「あえて大企業に残って、やり抜く」という決断をしたからこそ、経験できたことでした。


コーチングへの挑戦(2021年)

社内の挑戦と並行して2021年から、
「人の可能性を開花させる力をもっと磨きたい。」
「ワクワクする人生を支援できる本物になりたい。」
こんな想いを抱いていたところ、コーチングの解説イベントに参加したことがきっかけで"Mindset coaching school"の存在を知りました。

今まで知っていた「共感・傾聴」をベースにしたコーチングとは違い、「脳科学・認知科学」をベースにした未来志向のコーチングです。

「これを本気で学びたい!」という思いで即決し、飛び込みました。

めちゃくちゃハードとの噂を聞いたけど、理論だけでなく、たくさん実践を重ねて、本物のコーチングができるようになって、人の圧倒的成長と可能性を開花させる人になりたい。

ここで得た本物のコーチングという武器があれば、
天職だった「キャリア支援、組織変革、事業支援」がもっと高いレベルでできると信じて、飛び込みました。

 

Mindset coaching schoolは現実を変えて成果を出すという目的において、本質的なコーチングを教えてくれるスクールでした。

机上の学習は言わずもがな、コーチをやるうえで一番大切な「コーチ自身の生き様」を徹底的に叩き込んでもらえた9か月です。

学習以上に、自分の想定していない高いレベルのゴールを設定し挑戦したことが一番の価値でした。
 

人生で一番ヒリヒリしたけど、充実した9か月。

「人生、誰だって、何だって、やれないことはない。人の可能性は無限大。」

とこれまで以上に、確信することができました。

 

これは正しいゴールが設定されていることが前提です。期間中に100回以上のセッションを経験させて頂いたスクールの関係者、モニターの方、クライアントの方、OBの方、同期の方、関わりをもってくれた、全ての方に心から感謝しています。

卒業後はプロコーチとして活動するようになりました。
完全なるWant toの仕事(=志事)です。

自分自身がでかい挑戦をしてもっと飛躍しながら、コーチとしての腕ももっと、もっと磨いていこうと思っています!


株式会社GOAL-Bへの参画(2022年)

そしてこの度2022年、株式会社GOAL-Bの執行役員(CHRO)として参画することになりました。

  • 会社に残って全力で新規事業を推進していくか

  • 共同創業したラポールでキャリア支援事業に注力するか

  • 自身でフリーランスとして他企業を支援するか

  • 他の声をかけて頂いている会社へ参画するか

色んな選択がある中で、GOAL-Bに決めた理由は

「全ての人に可能性がある。」

会社としてのビジョンが、僕の信念と完全に一致していたことです。

 

ポテンシャルが溢れる最高の仲間かつ、気の合う仲間と共に挑戦した未来を一緒に見たい。
ということが、参画の決め手でした。

 

個人の人生に向き合うことも、
企業の変革を支援することも、
多くの方の人生を変革するきっかけをつくることも、

全てできる組織である確信を得たからです。

  

CHRO(最高人事責任者)として、組織のポテンシャルを最大化するための社内風土や、最適配置、採用・育成の戦略を実行していきます。

ビジョンから逆算した事業戦略を策定し、各事業部の底上げをしていきます。 

「熱さ」に加えて、「包容力」×「ワクワク感」を大切に、

新たに参画するベンチャーで、思いっきり志事を楽しもうと思います。

自分らしさ全開でGOAL-Bを一緒に盛り立てていきます

 

最後に:未来へ向けて

今の世の中で問題だと感じること、 もったいないと感じることは

「大人になるにつれて、本気になれること、夢中になれること、熱くなれること」

が少ないことだと思っています。

 

この記事を読んでいる方も「今、人生が楽しいです!」が心の底から言えずに、モヤモヤしているのではないでしょうか。

大半の原因は「仕事」「会社(組織)」にあると思っています。 

  • パフォーマンスを最大化したいのに、適材適所の配置ができていない。 

  • 選ばれる会社でありたいと言うのに、選ばれる接し方をしていない。

そんなやり方では、個人の才能が死んでしまいます。


  • 個人と組織のベクトルを合致させて、腹落ちさせて

  • 個人の個性と才能を適材適所にする

こういった価値観を持ち、体現できる人がリーダーの条件だと思います。

 

これからの世の中はもっと正解がない世の中になっていきます。

その中で必要なことは自分が正解だと思う人生を自分で見出す「主体性」「自分軸」を持つことではないでしょうか。

「自分軸」が見つかれば、毎日の日常は変わっていないはずなのに、世界の見え方が変わりますし、毎日が少し面白くなります。

 

息するようにできる。
逆に、求められていないのに、仕事として与えられていないのに、身体が動いてしまう。


これまで、若いうちは何度も

「山口おせっかいをするな!」
「まずはお前の職務を全うしろ!」

とシバかれました。

それでもやっちゃう。これが天職。志事の要素です。

 

そしてその要素は、人それぞれ誰もが持っていることも、僕は知っています。

個人が志事を見つけて、人生を楽しみながら、本気で挑戦して、「人生を熱く生きたい」と望む人全てが熱量高く生きれる世の中を作りたいと思っています。

 *志事とはワークとライフの垣根を越えて、息するようにやりたい仕事と定義しています。

 

その熱量が周りに伝播して、高まり続けていくことが、最高の未来です。

その未来の実現に向けて、爆走していこうと思います。


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