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Dream-Seekerと今中大介

2021年10月13日夜
長野県富士見町の山荘にオリンピック4回出場の山本幸平とDream-Seekerの新エース北林力選手と弟の仁選手。それから日本人で初めてTOUR DE FRANCEを走った今中大介が集いました。
山本幸平が長年選手を続けるにあたって目標にしていた世界ランキング10位以上(ヒトケタ)には11位を最高に達成することはできませんでした。彼はその目標、あるいはそれ以上の目標を次世代の選手に託して、次のステージに突入していきます。
多くの選手は引退と同時に第二の人生を考えます。山本幸平も当然、引退後のことを考えており、それはマウンテンバイクの普及であり育成でありスクールであり講演でありコーヒーも。多岐に渡っているので全容を掴めていませんでしたが、要するに山本幸平がヒトケタになるために必要だった環境を整えることにより後に続く選手を加速させる。環境のせいにしたら負けだと言うかもしれないけど「がんばって!」だけでは動けない。選手を終えたらそこに手をつけようと考えていたのです。
環境と言えば自分も中学生の時に目の前にロードレーサーがあったから乗り始め、高校の自転車競技部でトラック競技をはじめ、インターハイに行ければ…それで夢は叶っていました。大学1年の時に国体が広島で開催されることを知り、地元国体に出たいという気持ちが目標に代わり、その時の国体チームメンバーに引っ張られて入賞することができました。周りにインターハイを目指す選手がいれば自然にそのレベルになりますし、国体優勝を目指す選手に囲まれれば、自分も入賞するつもりになることを知りました。ヒトは環境によって目標が変わる。目標が変われば行動が変わり、結果も変わるということです。残念ながら自分なんかは「全国には才能を持ったすごい選手がたくさんいるんだなー」と怖気付いてしまいましたが、今中さんは逆に「同じ人間だから自分にもできる」とさらに上のレベルに挑戦したと聞きました。大学の途中から本格的に自転車競技を始め(もっと前から乗っていたが)シマノレーシング時代には国内レースを総ナメにした後、31歳で渡欧。96年には日本人初となるTOUR DE FRANCE出場を果たしました。書けば順風満帆に聞こえますが、それに至る過程は他のどの選手とも違う今中さん独自のストーリーだったことはご存知でしょう。現在たくさんの日本人選手が海外で走れているのは先輩方が切り拓いてくれた環境ということなのです。
日本とヨーロッパでそんなに環境が違うの?ロードはともかくMTBはアメリカ発祥の競技で大手メーカーも北米にあるのに、環境はスイスやオランダ、ベルギー…やはりヨーロッパなのだそうです。そこに身を置き、向こうの選手と会話をし、毎週レースで競い合える仲間を作り切磋琢磨すれば自ずと世界レベルの選手になれる…という簡単なモノではないはずですし、個のモチベーションが前提ですが。
大きな企業かお金を出すにはあまりに広告効果が少ないのが日本の自転車競技。サッカーや野球のように朝、昼、晩のニュースで露出するスポーツではないですもんね。
しかし、われわれ一般ファンは15年後に山本幸平が育てた選手がどうなるのか?世界ランキングヒトケタになっているのか?見てみたい!
お金は持ってないけど、10万円くらいなら…いや1万円なら…と思う個人事業主や個人の方が応援できるシステム。それも環境ですよね。
そんなことを思った夜でした。
(敬称略)

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