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愛聴盤(9)ポミエのベートーヴェン

ジャン=ベルナール・ポミエがベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の録音を完全したのは、1990年から1997年にかけて。南仏の修道院でのセッション録音。

この演奏を聴くまで、ポミエというピアニストのことをよく知らなかったし、彼の他の演奏を聴いたこともない。しかし、自分にとって、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを聞く時、この演奏を聴くことが多い。

ポミエの特徴の一つが美音である。音に芯があって、フオルティシモでもヒステリックにならない。切れ味で勝負するタイプではない。テンポも中庸。中音域はむっちりと量感があるのに、適度に引き締まっていて、心地よい。低音から高音域までムラがない。修道院での録音は適度な残響があるが、それをうまくブレンドされて、聴く人に安らぎを届ける。

どの曲も素晴らしい。うち、何曲か印象を書いてみたい。

第15番「田園」はポミエの上述の美点が端的に現れている。左手の奏でる豊かな音色の中低音の上に、右手の旋律が見事にブレンドされ、充実した音楽が展開する。特に、第一楽章の展開部の表情の豊かさは素晴らしい。

第21番「ワルトシュタイン」。第一楽章の冒頭から、やや重心の低い音で開始。バランスは絶妙。和音が一塊になっている。スピードが上がっても、フォルムが崩れる心配はない。中味がギュッと詰まった濃厚な味わいだ。第二楽章も素晴らしい。ポミエのベートーヴェンの魅力は、彼の音楽性の魅力なのかもしれない。第三楽章の安らぎに満ちた開始は、彼の人間性溢れる音楽。細部にわたるまで行き届いていて、一音一音にムラがない。力強いのに力任せではない。豊かな低音の上に、ピラミッド型の音楽が構築される。その音楽は堅牢ながら柔軟だ。

第23番「熱情」。この曲に限らないが、フリードリヒ・グルダの演奏は、素晴らしいテクニックで息を呑む。しかし、やや人工的に感じる。対して、ポミエの演奏は、迫力がありながらも、人間らしい呼吸が感じられる。もちろんテクニックに余力があるので、打鍵が力尽くにならず、音楽が破綻する怖さは皆無。第二楽章に入ると、その深い呼吸に感動が更に増す。意外にもテンポは早めで、感傷的になるのを避けながら、力強さと美しさが高いレベルで両立している。

第24番「テレーゼ」、第26番「告別」のような抒情的性格の楽曲は、第15番同様に、ポミエの美点が最も輝く。八分音符が連続する箇所で、その一音一音の粒が揃っているのは当然ながら、息の長い音楽は安心感を得られる。

第30番は、ベートーヴェン最晩年の精神性が高みに達した音楽だ。第一楽章の開始は、まるで天から音が降り注いでくるような音楽のようだが、ポミエのピアノは、その抒情性的な音楽ゆえ、感情的になる傾向も垣間見られる。第三楽章の主題の提示など、もう少し即物的であっても良いと思う。ベートーヴェンの晩年の音楽に主情を挟み込む余地はないのだから。
 しかし、そうした思いはあるものの、第三楽章の第四変奏の高音は魅力的だ。第五変奏をやたらに速く弾かないのもいい。第六変奏の開始でテーマが戻ってくる、その前のちょっとした間の取り方、ため息が出る。

ジャン=ベルナール・ポミエのベートーヴェンのピアノソナタ全集は生涯の宝物になりそうだ。

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