独生女の宗教権威が一人歩きし始めた
文鮮明師の聖和後、韓鶴子総裁は「中断なき前進」を呼びかけ、動揺する食口を首尾良くまとめました。
ところが程なくして、韓鶴子総裁の「独生女無原罪誕生発言」が物議を醸すようになります。
篤信な食口たちは、「どのように受け止めるべきか」混乱しました。
教団の公式見解では、韓鶴子総裁の発言は「部分的に」修正されています。
「お母様がおっしゃったのは、『お父様は生まれながらに無原罪、お母様も生まれながらに無原罪』ということ。
『お父様は生まれたときは原罪があったが、お母様は生まれながらに無原罪』とは、お母様を貶めるための分派のフェイク」だと。
しかしその後も韓鶴子総裁の爆弾発言は継続し、どうやら文鮮明師とは異なる信仰観をお持ちだということが分かってきました。
「誰が無原罪か」ということなら、神学論争として聞き流すこともできたのです。
「本部の公式見解のとおりに理解しておけば、誰も傷付かないのだからそれに越したことはない」と。
ところが真の父母間における「信仰観のズレ」は、無原罪神学には留まりませんでした。
私はこの録音について、何人かの家庭連合の知り合いに見解を伺いました。
①誰の音声かも分からない。分派のフェイクとして無視する。
②自分なりの判断は避け、本部の公式見解を待つ(その後この録音は、「神学者の個人的見解」として退けられた)。
③この録音は本当にお母様のお考えだと思う。実際お父様には罪があったと思う。
①と②はお約束として、③を堂々と主張する食口がいることに驚きました。
韓鶴子総裁の宗教権威は、「真の父母最終一体」宣布に由来するはずです。
食口は文鮮明師を再臨主と信じるから祝福を受けたのであり、最終一体である韓鶴子総裁にも、真の父母として同等の価値が賦与されていたはずでした。
その根源である文鮮明師を「聖婚後も罪があった」と断言することは、韓鶴子総裁の宗教権威の否定につながりはしないでしょうか。
しかしその食口はそこで、人類が待ち望んだ独生女(ひとり娘)について力説しました。
独生女の誕生はイエス様(独生子)の誕生と同列の歴史的勝利であり、独生子の真理があるのであれば、独生女の真理もあるべきだと。
私は毒気に当てられたように反論できませんでしたが、なるほどそのような観点であれば、韓鶴子総裁の全ての「ご乱心」が説明可能だと納得しました。
実際のところ、文鮮明師聖和後の韓鶴子総裁の発言は理路整然と首尾一貫しています。
公式見解のように「誰も傷付かない落とし所」など探る必要もなく、堂々とご自分の考えを表明されているに過ぎないのです。
韓鶴子総裁にとって文鮮明師は独生子(ひとり子)ですらなく、無原罪の独生女には相応しくない「難しい事情」が残されていたことになります。
こうなってくると再臨摂理の主役は、文鮮明師よりもむしろ韓鶴子総裁ということになりはしないでしょうか。
分派論争で多くの食口が勘違いしていることは、「摂理の中心はどこにあるのか?」という質問の答えです。
摂理の中心は韓鶴子独生女ではなく、文顯進第4アダムでもなく、文亨進二代王でもありません。イエス様でもなければ、文鮮明師でもありません。
摂理の中心は過去も現在もこれからも、世界を創造された神様です。
文鮮明師は基元節を奉献しようと準備されていましたが、志半ばで聖和されました。
前々回記事で書いたように、文鮮明師が基元節を前に聖和されたことによって、完成期の聖婚式は未だ挙行されていません。
条件的宣布であった「真の父母最終一体」も、成就していないことになります。
文鮮明師にとって宣布とは、対外的には無意味な宗教儀式ではありませんでした。
天と地の前に宣布する「神様との約束」なのですから、成就するまではその宣布から逃れることはできないのです。
「口先だけだった」と非難される幾多の宣布も、神様の前に果たすべき約束としていまも残されています。
「人類が待ち望んだ独生女」という宗教権威は、はじめ「真の父母最終一体」に根差しているように見えました。
いまや最終一体がないとしても、独生女の権威を中心に世界が廻る「コペルニクス的転回」が起きたのです。
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