見出し画像

解散命令で消え去るもの、失われないもの

家庭連合の解散請求が、1週間後に迫っています。
現役、元信者を問わず、色めき立つ様子がSNSから伝わってきます。
しかし解散命令によって、末端信者の生活が大きく変わる訳ではありません。
これまで家庭連合の知り合いと話をしても、(報道は不愉快ではあるが)むしろ解散して一からやり直した方が良いという食口が複数いました。

統一教会が解散すれば誰が困るのかという記事で書いたように、現代の摂理は中央集権の教団組織を必要としません。
先駆けて還故郷して基盤を築いた食口は、報道バッシングに殆ど影響を受けなかったと伺います。
「あの統一教会の信者」だと証していても、日頃の誠実な生き方を示してきた賜物でしょう。

しかし組織的に取り組んだボランティアや政治活動などは、その限りではありませんでした。
「教団のイメージアップ」という下心が透けて見えるので、純粋な善意と見ることが難しいからです。

この1年バッシングに抗おうと必死だった食口は、そろそろ気付いてほしいところです。
神様が本当に望んでおられるのは、「岸田の教育」でも「伝道10倍化」でもなく、「私」という一つの家庭が輝くことにあることを。
教団が豊かに栄えることで人々が伝道されるのではなく、「あなたがたの立派な行いを見て、(人々が)あなたがたの天の父をあがめるようになる(マタイ5章16)」からです。

解散命令によって消え去るものとは、真の父母という宗教権威を借りて集めた富と、そこに群がった拝金主義者でしかありません。
母の国の責任という名目で、日本から天文学的なお金が集められました。
世界の統一運動は日本からの永続的な搾取を前提としており、持続可能性という点でこれほど非現実的なモデルはありません。
お金に狂った人たちは、お金で滅びるのです。

一方で地に足を付けて愛を実践してきた食口は、これからも変わらず神様と共に歩むことが保障されています。
「何が何でも(腐敗した)教団組織を守らねば」という執着を棄てるだけで、自由になれるのです(統一教会の信者が教団から解放される日)。
世論と政治を動かした離教2世たちが望むのも、そういうことではないでしょうか。

とは言え現実問題、文鮮明師が再臨のメシアという信念すら、揺るがされる食口も出てくるかもしれません。
それは同時に、メシアとは何か、摂理とは何か、祝福家庭とは何者なのかというアイデンティティを見つめ直すチャンスでもあるのです。

2000年の迫害下でも信仰を護り抜いた、ユダヤ民族の伝統が参考になるかもしれません。
カトリックのような中央集権ではなく、家庭単位で信仰教育をつないだ歴史に、学ぶことがたくさんあります。

自らが家庭で愛を実践するようになったとき、政治とカネを離れても天国を実現する道筋が見えてくることでしょう。
先祖解怨などしなくとも、自らの成長と向き合う人は自然と、先祖に対する感謝の思いが溢れてくるのです(私の実感です)。
そして「真の家庭」とは一体何だったのか、本当に文鮮明師がメシアだったのか、怖れることなく問いかけることができるに違いありません。

多くの食口は、「私は恐怖信仰ではない」と主張しますが、分派を排除し耳を塞ぐ人の眼は恐怖に溢れています。
全てが破壊されるように見えるその先に、堅固で偽りのない希望が待っていることを知ってほしいと思います(信仰が日本社会から全否定されるいまだからこそ)。


いいなと思ったら応援しよう!