生命の起源は天のお母様なのか?
文鮮明師の聖和後、韓鶴子総裁の指示により神様の呼称が、「天の父母様」に変更されました。私は当時この呼称に馴染めず、そのまま「天のお父様」あるいは「神様」と祈っていた一人です。
印象に残っているのが清平公認の霊能者、金孝南です。彼女は金銭スキャンダルで更迭される挨拶の場でも、「天の父母様」と連呼していました。
「真の父母様」という教義からすれば、呼称変更は自然にも思えます。
しかし神様は、父親と母親が二人並んだ「左右対称」な姿ではありません。
「二性性相の中和的主体」とは、潜在的な男性と女性が混ざって無色透明になったようなイメージです。その無色透明な神様(正)が実体のアダムとエバに分立(分)して、夫婦愛によって一つになる(合)、そこに創造理想がありました。
分立したアダムとエバに対して神様はお一人であるため、男性格主体(父親)ではあっても「雌雄同体」のような父母ではありません。
韓鶴子総裁は天の父母について、独自の信仰観をお持ちのようです。
これは原理講論も統一思想の原相論も書き換えなければならない、画期的内容と言って良いでしょう。
男性が0.001%、女性が99.999%と言えば、精子と卵子の受精のことでしょうか。細胞のサイズだけ見ればその通りなのですが、遺伝情報から見ればそうではありません。
文鮮明師の元々の教えでも、生命の起源が父親である旨を明言されていました。
神様がアダムを創造された目的の一つに、アダムを通して「エバと結婚するため」というものがあります。
愛の主体である神様はどこまでも、「愛したい」存在です。エバを通してアダムに、「愛されたかった」のではありません。
神様が「天のお母様」であれば、神様が「誰に」愛されたかったのかという疑問が生じます。
「天のお母様」が「天のお父様」に愛されたかったいうことであれば、はじめから愛の相対がいるのですから創造の必要がありません。
また神様が二人おられる、多神教になってしまいます。
前回記事で書いたように、韓鶴子総裁の宗教権威は既に文鮮明師に依存していません。
真の父母が「最終一体」でなかったとしても、食口の信仰は揺らがないことでしょう。
教団は「食口が躓くのではないか」と懸念して、上記発言はカットしたようです。
これは、文鮮明師と韓鶴子総裁が(そもそもの神観から)一致していない事実を隠蔽する、犯罪行為の繁殖ではないでしょうか。