鉄と木の錬金術師
第一印象は“湖国のゼペットじいさん”
この場所にアトリエを構えて35年。
築およそ150年の醸造蔵のアトリエ。
茗荷恭介さん(71歳)。
一歩足を踏み入れるとそこはまるで異空間
アトリエの壁には直径2メートルのしょうゆ樽のタガ。
ところ狭しといろんな道具と機械の中に作品が顔を出し、
対するように軽快な音楽が流れていました。
湖国との出会い
最初は高島のガリバー旅行村の造形物を頼まれ、
弟子や後輩とともに東京から通って遊具や看板を制作。
見学に来た自治体の人に越してきてくれないかと言われて移住。
まるで絵に描いたような場所
そのころは、いいものをどんどん壊していた時代に
「この地は、当時の人たちの知恵が濃縮され、
日本人のアイデンティティが語りかけてくる、
滋賀で仕事をするならここしかない!」
という出会いだったという。
ここは生きる化石シーラカンスみたいな場所
越してきた当時は何十年も同じ仕事仲間から資材を仕入れるギルド状態。
「とつぜん、“日本昔ばなし”の中に放り込まれ
閉鎖的なカルチャーショックを受けた。」とのこと。
その後はこの地も急速に時代の波で変化しました。
アトリエから望むびわ湖
「毎日びわ湖を見ていると時間がたつのはあっという間。」
そういう無駄な時間が大切だと学んだのはここという。
「鉄を使った先輩とのご縁があったのでしょう。」
同じ町内に、近藤勇の愛刀を作った刀鍛冶として知られる、
長曾祢虎徹が江戸に行く前にこの地に滞在したという碑が建てられています。
鉄の彫刻との出会い
茗荷さんの技術は、すべて独学です。
大学では彫刻科に入学したものの、
鉄や様々な素材の加工を学ぶ場はなく2年で中退。
鉄彫刻のパイオニア、
井手則夫さんの工房に学生時代から出入りして
見よう見まねで制作活動を始めたのだそうです。
機械と道具
工房にある機械は鉄工所、木工所にあるものといっしょ。
高いものなので中古を探して購入。設備投資がすごくかかるようです。
「材木は買ったことがない。」
以前、樹齢100年くらいの桜並木が堤防工事で伐採され、
その木材で家具の作成を依頼されたことがあったそうです。
古家の木材は産廃として捨てられているけれど、
まともに買ったらすごい値段。
倉庫には各方面からいただいた一生分の木材のストック。
木材は別の倉庫にも保管中。
近江兄弟社学園(現ヴォーリズ学園)理事長との出会い
30年以上前、近江兄弟社学園の理事長の、
「文化で学園を作っていきたい。
その学園づくりに協力して欲しい。」
という願いを受け、園内には茗荷さんの
作品が数多く収められています。
学園内の建物の建て替えのときに出た廃材を
バキバキと壊していたので、
「先生これ使えますよ!」と言って止めたそう。
「割れていたり穴が開いていたり、逆に歴史を学べる。
今の人が不安に思うのは、
つながりが横ばかりになっているのが大きな原因。
縦の空間軸がないこと。
先輩後輩や、家の中でおじいさんおばあさんに学ぶ。
その接点がつながることで精神状態が安定する。
そういうことを補助する作品を置くことによって
知らないうちに無意識に滑り込んでいる。
それが大事。
30年経つと一つの山になる。一つの形になっている。
これすごいな!
そこで学んだ子供たち、僕の作ったものの前で記念写真を撮って表紙にしてくれた。」茗荷さんの熱い思いが込められた、ヴォーリズ学園の作品のほんの一部です。
学園内には多くの作品があり、
実際に家具として使用されていたり、
インテリアとしてその場になじんでいたり、
教室の室名札のように小さなものから校門の門扉のような大作もあり、
作品を発見するたびに歓びと驚きの連続でした。
常磐線の坂元駅で
宮城県と福島県の県境、坂元駅周辺の集落は3.11の津波にのみ込まれて壊滅。
レンタカーで到着した海岸で運命的に出会った、
昭和の懐かしいデザインのガラスホヤ。
いったいどんな人生を照らしていたのかと思いめぐらしながら再生。
今では工房の片隅で新たな光を灯した作品です。
イメージに追い付けない
「イメージが浮かぶと書き留める。
すぐには役に立たないけど10年20年たつと役に立つ時が来る。
手の方が追い付かない。
重労働だから、手間暇かかって制作イメージに追い付かない。
知らないうちにイメージに追い越されて、どこかにいっちゃう。
なんだったっけ?こういう闘い。
イメージのかけっこでいつも負けている。」
大変なことは何かと聞くと、このように答えられ、
怪我や火傷が絶えないそうです。
満たされた瞬間
うれしいことはと聞くと、
「イメージに合ったものが作れた時。
社会的な評価や経済的な問題もあるけれど、
とりあえずは置いておいて喜びに浸る。
経済的にきびしくて肉体的にもきつくても、
それを得たときの歓びは換え難い」と答えてくださいました。
反骨心
「団体に所属するのが嫌。
誰もやっていない見たことがないものを造る。
頼まれたものに対して依頼主の思いに沿い、
それ以上のものを視覚化する。
人間的として成長しないと作品も成長しない。
哲学とか社会心理学、人類学・・・かたっぱしから学んだ。
それを具現化する。」
物腰やわらかに語られる中に見えかくれする
突き抜けた強い思いと、
求めて止まない探求心を持った
永遠の少年のようなピュアな印象の素敵な方でした。
滋賀県内外の美術展の開催や企画に幅広く関わりながらも、
現在は栃木県那須塩原の個展にむけて準備中ということです。
(写真・文:山口寿)