SNSを使いこなす3代目店主が守る、昭和の懐かしい思い出の場所昭和23年創業、南彦根倉庫街のお菓子問屋「おかしの三口屋」
倉庫街にたたずむ老舗のお菓子問屋さん、倉庫と駄菓子の不思議な組み合わせ
南彦根のビバシティ前、倉庫街の一角にそのお店はあります。
商品の陳列棚に駄菓子の段ボールが使用されていることも特徴の一つです。
床は歩くたびに「ギシッギシッ」と音を立てますが、それがなんだか心地よく懐かしい気持ちになります。
懐かしのゴムで飛ぶグライダー
火薬とセットのおもちゃのピストル
親に買ってもらった記憶がよみがえりました。
来店されていた方、何人かにお話を聞きました。
子どもが成人されて久々に来店されたお父さんの「こういう場所、なんかいいよな」というはにかんだ笑顔がすごく素敵で印象に残っています。
写真撮影に協力いただいたマダムも、口コミでお店を知ったそうです。
ここは誰かの思い出が繋がって、新しい思い出になっていく場所なのだと感じました。
時代に合わせた変革と変わらない思いやりの気持ち
現在の店主は、三代目の川口義雄さんです。今日に至るまで三口屋さんには2度の大きな試練が訪れました。
1度目は、時代の変化による顧客の減少です。インターネットの普及などで問屋を必要としない取引が主流になり、もともと問屋だった三口屋さんは、対企業から対個人の商売へと舵を切ることを決めました。これが倉庫+駄菓子屋という不思議な雰囲気の始まりです。今では8割以上が個人向けの売り上げになりました。
2度目はコロナウィルスの流行です。地蔵盆などの地域のイベントが無くなり団体の大量注文が無くなってしまいました。
それでも各種SNSを使った情報発信、キャッシュレス決済の拡充など義雄さんはチャレンジすることを諦めませんでした。
「彦根だけにとどまらず世界を見据えて情報発信をしていきたい」という熱い気持ちが伝わってきました。義雄さんの努力の甲斐もあり、全盛期までとはいかないもののかなり売上が回復してきているそうです。
そんな三口屋さんですが、変わらないルールがあります。
それは「商品は買い物かごに入れること」です。お子さんであってもルールは絶対で、時に注意をされることもあります。
なぜなら、自分が手に取って戻した商品は他の誰かが買う商品だからです。
私は三口屋さんを取材させていただいた中で、このルールはとても大切なことだと思いました。自分はちゃんと商品を扱っていただろうかと深く反省するきっかけになりました。
三口屋さんはいつの時代も子どもが社会を勉強する場所を提供されているのだと感じました。
消えゆく駄菓子と今後について
義雄さんとのお話の中で「駄菓子メーカーが色々な事情で廃業してしまうこと」がとても悲しいと言われていました。確かに自分たちの子どもの頃と比べて、駄菓子の種類が減ってしまった印象はあります。
時代の変化で淘汰されてしまうことはとても悲しいです。
最後に、僕自身も幼少期に親父に連れられて三口屋さんに来ていました。自分も子どもが出来たら「お父さんの頃は」と思い出を語りながら連れていくことでしょう。
そんな世代を超えた思い出の場所、三口屋さんに足を運んでいただけると嬉しく思います。
(写真・文:川﨑新介)