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#81_「伝えたいことが伝わらない」という前提に立つとき、教師にできることはあるのか?

教師には、子どもたちに「伝えたいこと」がある。「伝えたいこと」を伝えるためには「言葉」が必要だ。教師は「伝えたいこと」を「言葉」にして、子どもたちに届けようとする。子どもたちは教師が発する「言葉」を聞くことで、教師の「伝えたいこと」を理解する。

こういう図式だ。

こういう図式だからこそ、つまずくのだ。
こういう図式だからこそ、うまくいかないのだ。
こういう図式だからこそ、あきらめたくなるのだ。

この図式は、書き換えなければならない。たとえば、こんなふうに。

教師には、子どもたちに「伝えたいこと」がある。「伝えたいこと」を伝えるためには「言葉」が必要だ。教師は「伝えたいこと」を「言葉」にして、子どもたちに届けようとする。子どもたちは教師が発する「言葉」を聞く。でも、教師の「言葉」をどんなふうに理解するかは、子どもたちの自由であり、すべては子どもたちに任されている。

こういう図式であれば、つまずかない。
こういう図式であれば、うまくいかなくてもいらだたない。
こういう図式であれば、あきらめも生まれない。

気が楽になる。
いくら言葉を尽くしても、伝わらないことがあるんだから。

……と、ここまで書いてきて、最後に問いが残る。

「伝えたいことが伝わらない」という前提に立つとき、教師にできることはあるのか?

「伝わらないんだ」と思いつつ、伝えなければならないのか?
「伝わらないんだ」と思いつつ、伝えることをあきらめてはならないのか?
「伝わらないんだ」と思いつつ、あきらめずに伝え続けるべきなのか?

教師という仕事は大変だ。
めんどくさくて、いらだつことも多くて、報われることも少なくて、そして、素晴らしい。

「素晴らしい」と言える理由は、また次回。


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