いつまでも続くとばかり
北海道にいる。
とても寒かったり、暑かったり、何日か過ごした。
一ヶ月ぶりの奥さんは
もう妊娠37週。
大きくなったお腹で少し緊張しながら会った。
いま動いたよって言われて、触ってみるけどなかなか僕が触れた時は動いてくれなかったりする。
手を離した瞬間に、ビクビクと動いたりして
彼女と子供しか知らない言葉で
話してみるみたいで、ちょっと寂しかったりした。
歌も歌わず、何もしない日々を何日か過ごしていながら、これからのことやいままでのことを考えたりした。うまく言葉にできないまま。
ちゃんとお伝えしたりとか、お礼言えてなかったので。以下
先週の週末で、高円寺での路上を辞めた。
どんな人よりも、どんな景色よりもどんなライブハウスよりも、長く長く生きたあの場所に
とんでもない数の人たちが二日間集まってくれて、すごくすごく嬉しかった。
途中は人が増えすぎて、警察が来ないか不安になってるくらい。
でも、不思議とその日は何か大きな光が溢れてた感じで。
逆にあんまり慣れなくて照れくさくなりながら歌った。
あの場所に縛られ続けた。
というか自分で居場所を求め続けた。
東京の日々でずっと。
もう、工事が始まるということで
あの場所が終わっちゃうなら
正直、高円寺の路上はもういいかなって思うくらい。
あそこに来てくれた何十倍の人と
話して酒を飲んで命を繰り返したこと
何も失うものなんてないと
思わせてくれた夜の繰り返しと
摩耗された社会性の欠如を経て
一番失いたくなかった高円寺の路上という
現場を失ってでも
守りたい生活や未来がたくさんあることに気づいたのかもしれない。
それは奥さんだったりこれからの子供だったりバンドメンバーだったりマネージャーだったり、そしてこれから続く自分の音楽が羽を生やして飛び立つこと。
軽やかに更に近くに遠くに。
こんなにずっと満たされないつもりで
過ごしていた毎日は
満たされ続けていた日々で、
なんという幸せな人生なんだろうなあと。
言葉では表せない大きな流れの中で
たくさんの美しさを灯してくれたすべての
人々に大きな大きな感謝を持っています。
ありがとう。
といいつつ、これからどうしようか、というのは全然あって。
暮らしの部分では路上はだいぶ生活に貢献してたりとか。
夜の一人の時間とか、寂しさとかどうなるんだろうとか。
もしかしたら他の街でふらっと歌うかもしれないし。
バンドでの動きもこれからきちんと発表したいところだし。
とりあえずできることを続けながら、歌をうたうので、
よかったらライブハウスに来てください。
必要な時でいいから。
聞きたい時でいいから。
僕も一からちゃんと初めて行くつもりです。
うまく言えないけど活動というか。
できなかったり逃げてきたこととか。
そして、ぼくもたくさん
人に会いに行きたい。そう思います。
見られる人間として、きちんと。
売れていくためのアーティストとして。
そして一人の父親として。
夏ぐらいまでは出産の関係で少し
ライブ本数は落ち着くと思うんだけれど。
それでも歌や言葉がきっと
たくさん産まれて飛び立っていくのですから。
形にしながら日々、新しく生きていきたい。
今後のことは、きっとおいおい
そして少しずつ。
良い報せができるように。
頑張ります。
改めて、高円寺という街で勝手に始めた
グッナイ小形という音楽は
次のステップへ向かって勝手に歩み始めます。
本当にいままでどうもありがとう。
そして今後とも。