見出し画像

もう学校には二度と戻りたくない。

なんとなくnoteを書きたくなったので更新します。

よくインタビューで、「タイムマシーンがあったら、過去と未来、どちらに行きたいですか?」って質問があると思うけど、私は間違いなく未来に行きたい、と答えると思う。
それは、未来が見てみたい、というよりは「もう二度と学生に戻りたくない」という気持ちが強すぎるからだと思う。

私は別に不登校でもなかったし、猛烈に誰かにいじめられたり、どんなに頑張っても勉強ができなかったとか、そういう学生生活を過ごしたわけではない。なのに、あの囲われた場所に戻るのが寒気がするほど嫌いだ。

そういえば学生の時は、部活動に行くために送ってもらった車の中、このまま別の場所に行けたらいいのにって思ってた。到着して降りた私を確認して、去っていく親の姿が、とんでもなく自由に見えた。私は足にツルが巻き付いて、体育館に引きずり込まれるような気分だった。

早く私もそっち側に行きたい、早く大人になりたい。大きくなって、子供ができたら、嫌がる子供を部活に送って行って、「頑張ってきなさいよ」とか言って置いていく親になりたい。っていう意味のわからない夢もできた。

学校っていう場所はとても規則的で、集団行動を学んで、勉強する場所。

朝、登校中にクラスメイトに会ったら「おはよ」って挨拶するとか、教室についたら教科書を出して鞄をしまうとか。化学の実験で一緒になったグループの中に頭がいい人がいるか確認したり、昼休みにだけ集まる4~5人の友達がいたり。時間になったら始まる部活動とか、一緒に帰るカップルだとか。

人が集まると自然とできる暗黙のルールがたくさんあって、はみ出さないように、陰口言われないように、必死だったな。

特に私は、田舎の学校だったから、だいたい集まる場所もみんな一緒だったし、自転車で誰のかバレたりするし、出身中学言ったら必ず誰かの知り合いだったりしたから、ものすごく囚われている感覚を持ってた。

大人数の”こいつら”とうまくやっていかないと、友達も、学校生活も、私生活ですら、全て終わる。って本気で思ってた。

だからこそ、その中でも、うまく立ち回って友達がたくさんいる人や、逆に周りの目が気にならないほどに自立してる人はうらやましかった。でも、私にはそうする勇気が無かった。草むらの中で、不自由だ!とただ叫んでいるだけ。

私は学生時代、多分人間関係に悩んでたわけではない。勉強ができないことに悩んでたわけでもないと思う。決められたルールとなんとなく感じる曖昧なルールの中で、慎重に「〇」と「△」を選んでいる。その環境に閉塞感を感じて仕方がなかったんだと思う。特に学校という場所では。

もし、私が過去に友達関係でトラブルを起こしていたり、進学した学校の選択をミスってめちゃくちゃ後悔してるのだとしたら、タイムマシンでは「過去」を選択して、戻って、もっとうまくやってく。って思うのかもしれない。

でも私は、どの選択をしたところであの漠然とした不自由さ、閉塞感を味わわない方法が思いつかない。だから過去には戻れないのだと思う。

あの頃、同じ教室に座ってたあの子は、今どんな人生を送っているんだろう。今なら会ってみたい、と少し思ったりする。同じ学校に通って、同じ授業を受けて、同じ時期に卒業していったのに、きっと思いがけない人生を送っているんだと思う。

だから良い。大人は良い。とても自由だ。無数の選択肢ですら、あの頃の自分が見たら嬉しいのだと思う。今はその選択肢の多さにめまいがすることもあるが。

振り返ると懐かしい。何がとは言えないが、愛しい。少しずつ忘れていく記憶の中で、混沌とキラキラで眠ってくれ。そしてもう、思い出すことはないかもしれない。でもそれでいい。人生は1度きりなんだと、また思うことができる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?