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「好き」に踏み込む覚悟の話。

今、自分の携帯の待受はなんですか?

私は韓国アイドルの後ろ姿です。(後ろ姿、というのがとってもリアル)


仕事で初対面の人に1日3回も会わないといけなかった時、急ぎのタスクを終わらせたいのに新しいタスクが降ってきた時、大事な発表が控えている時、一息つきたくて不意に携帯を見るとそこにいて、思いがけず癒しになってくれる。

早く帰りたい理由になったり、喜びを伝えたくなったりもする。

「好きなもの」があるのは正直強いなと最近特に思います。私にとってそれは韓国のアイドルだけど、好きな人でもアニメでもスペースでも何でもよくて、持ってるというだけでそこに「帰れる」安心感が生まれる気がする。

だけど「好き」と「気になる」には明確な境界線があると思う。しかもそれは気がついたら好きに変わっている、というものではなくて、明確なラインを「好き」側に超える勇気があるかどうかだということも、この歳になってやっとわかった。

私は、好きになるということは、意外と覚悟がいることだと思うんです。大人になればなるほど、そのハードルは高くなるような気がするんです。


学生時代は簡単に好きなものができていたし、好きになったらその後、時間が惜しいと思うほど熱中したし、とんでもない情報量を“好きだから”という理由で簡単に受け入れることができていた。何もかも一直線に繋がっていたから。

だけど今は違う。時間が惜しいと思うほど熱中してしまったら困る、だってそれだけを考えられるほど、自分の生活に余裕がないから。とんでもない情報量を入れるスペースも、もうパンパンに膨れ上がった私の頭の中には無くなってしまった。

だから、新しいことが怖い。抱えきれるか分からないから。

好きになることが怖い。今の状態から何かが変わる気がするから。


そんな風に、先のことが少しだけ読めるようになって、年齢も1つ1つ重ねるに従って、境界線がはっきりと見えてくるようになる。あっちに行きたいのに、意識的に「気になる」にとどめておこうとする自分がいる。よし、行こうと決めなければ、もう向こう側にはいけないのかもしれない。

だからこそ、「好き」の境界線を超えた人は強いと思うのかもしれない。


好きなことが見つからない時は、何かに思い切って飛び込んでみるのもいい。実は自分でブレーキをかけているだけかもしれない。例えば、ちょっといいなと思っている芸能人やアイドルのファンクラブに入ってみるとか、気になったお皿で揃えてみる、とか、行きたいと思った場所を1人で旅行してみる、とか。

それでもし違っていたら戻ってきて、また別の境界線に挑戦してみればいいし。

(もちろん、全然行きたくないなら行かなくてもいいし。)


自分で決めて自分で選ぶだけなんだけど、生きていくだけで精一杯。もしこれを見てくれた人がいるなら、お疲れ様と言いたいです。

そしていつか濃密に好きになるものが出てきたら、教えて欲しいです。その時は、どんな風にラインを超えたか、聞かせて欲しいです。

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