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隣も見えないレースの先。

32歳の頃と33歳のいま。はたから見たら何も変わっていないだろう私は、自分の変化を強烈に感じている。


実は、28歳ぐらいから32歳まで、私の中のベースはあまり変わっていなかったように思う。もちろん、31歳で人生暗黒期を迎え、気づいたことはたくさんあったけれど、それでも私の中の「活気」や「考え方」は、28歳のころのままだった。非常に恥ずかしいけれど、仕事は元気よく!愛想よく!友達との仲は良好に!自分の夢に向かって頑張ろう!みたいな。

歳によって多少の変化はあれど、広角でみたら変わってない。私の思考はだいたいこんな感じ。という状態が32歳まで続いていた。

なので正直、32歳までの私は限りなくハツラツと、いや、ハツラツとした人だと思われるような振る舞いをしてきた。年齢を聞かれても胸を張って「32歳です!」と言ってきた。32は28と同等だ。違うけど。心持ちは。

でも、33歳になって、私は自分がものすごく大人である、ということを突然自覚した。きっかけは特にない。でも、ある時ふと、33という数字がドンッと目の前に現れた。ただ、それは、ぬりかべのような障害ではなくて。今まで空だと思っていたものが実はドームの天井で、ある日ぱっかり空いて次の空が現れたような。えーっ!?33!?って。


その時から、私はなんだかずっと変な感じだ。悲観的になってはいないのに、33歳という自分があらゆるものの見方を変える。気持ちのいいコミュニケーションがしたくて付けていた社内チャットの「!」マークも、なんだか今は違和感がある。誰かに、「(私)さんっていい人だよね」って思われたい気持ちも、前より薄いような。昔は帰省したら必ず会わないとって思っていた幼馴染や友達も、タイミングが合えば会おうかな。くらいに思う。


私はこの変化を、この頃ずっと考えていたんだけれど、多分、”レース参加者 対象外”になったからなんだと思う。

これは私の個人的な考えだけど、私たちは20歳頃から。もしかしたらもっと早く、中学生ぐらいの頃から、ずっと見えないレースに参加させられている。見えないほどはるか遠くに続く道のスタートラインに立って、両脇には柵とすりガラスがある。両隣に誰かがいるということくらいはわかる中で、パン、という音と共に、両隣の、さらに隣の人までもがなんとなく走り出したのを感じて、「多分ここを走ればいいのかな」と自分も駆け出していく。

このレースに勝ち負けがあるのか、隣の人より早くいけばいいのか、何もわからないけどとにかく走る。何年も何年も。それで、たまにすりガラスが無くなって隣の人やその向こうの人まで見える瞬間に、「あ、やっぱり走った方がいいんだ」と思わされて、また走る。

そういう”なんだかよくわからない人生レース”の参加者だった私は、33歳になったときに、ついに参加資格がなくなり、”対象外”になったようだ。

この感じをもっともっと言語化できたらすっきりするんだけど、今の私ではここまで。自分や誰かがきちんと線引きして決めた「引退」ではなく、運営側からあっさり告げられた「参加資格なし」という表現しか言葉が見つからない。私は自分の33歳を、そう受け止めた。


それで昨日。たまたまNetflixで「ナイルパーチの女子会」というドラマを見た。水川あさみが演じる志村栄利子と、山田真歩が演じる丸尾翔子。この2人を軸に、物語がどんどん進んでいく。志村は、もう2話くらいからどんどん豹変していって、その様がなんとも恐ろしいんだけど、同時に、自分の中に志村のような感情が1ミリもないのかといえば、そうでもなく。私があの頃抱いた、ちょっと胸につっかかった何かを肥大化させていった先が志村だった。丸尾もそうだ。何のためかもわからない小さな嘘は、正直人生の中に無数にある。原作を読んでいないのが悔しいほどに、あのドラマは胸の底にしまった感情をちくちく突いてくる。

ドラマの中で、志村が丸尾に向かって「あたしたち無敵の2人組になれる」という。丸尾は「悪の組織とでも戦うの?」と返す。
「戦いたい、と思っているよ」
「何と?」
「私たちを競争させるものたちかな」

このセリフを聞いた時、ああ、そうだよね。何かわからない、そうさせるものの存在を、私たちは見ないフリしながらも感じてたよね。と思った。

自分を形作るものを、自分以外の誰かや何かに求めることは、とても不確かで不安定だ。信頼できる友達がいること、それは親友であること、とても深い繋がりがあることが私という存在を証明してくれる。その気持ちがわからないわけではないし、ただ、今は少し縛られていた紐がゆるんだ感じ。

ちょっと誇張がすぎる(特に派遣の女の子とか。あんな子はあまりいないかもねと思ったりするけど)ところもあるけど、非常に面白いドラマだった。

あと、今日読んだ「何様」についても書きたいところだけど、さすがにボリュームが多すぎるので、これは今度にする。この、「何様」はどのストーリーも良かったんだけど、「それでは二人組を作ってください」と、「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」は、また私の胸の底をちくちくさせた。


私が初めてこの日記を書いたのは3年前。久しぶりに読み直してみたけど、その時その時で言ってることが違うのがなんか笑えた。人生っぽくて。あの頃答えが見つかったと思っていたことも、今となってはまた別の答えを見つけていて、矛盾もいっぱいあるけど、それでいいと思う。

これもまた「何様」の話になるけど、私たちはこの不確かな世界の中で、先の見えない人生を歩いているからこそ、「誰かに言いきってほしい」という気持ちが大きい。当たり前のことを、改めて言い切る。言い切ってほしいんだろうな。だから過去の私がなんか自信満々に書いていることも、その時その時で不確かな何かを確かにしたくて試行錯誤したんだろう。お疲れ自分。


34歳はどうなるんだろう。33歳の自分を解明できないまま、次は34歳になったときにまた天井がドームだったと気づくんだろうか。それとももしかしたら今も、本当はレースの真っ最中で、33から参加できる別のレースの中で走り回っているだけなのかもしれない。

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