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世の中にまともな奴なんていない話。

もし、世界の真実に気付いていない人がいたら、恐縮なんだけど、私から伝えさせていただくね。

あのね、実は、世の中っていうのは、変なやつしかいないんです。


「普通」って聞こえがいいよね。私「普通」って言葉好きだったな、みんなと一緒って感じがするし、常識的だしまともだし。え、だってさ、みんなカラオケ行ったらモー娘。歌うでしょ?自分の恋話は周りとシェアが基本でしょ?スタバの新作が出たら飲みいくでしょ?

みんなそうでしょ?普通でしょ?

だってみんなやってるもん。映画やドラマでもやってたし、「良い女になるには」「こんな彼女は嫌だ10選」のWEB記事でも書いてあったもん。


って感じで、私は「普通」っていいなって思ってた。みんなと同じになってみんなと同じ話題で盛り上がりたいって。

でもみんなって誰?ってことには全く気付いてなかった。私の想像している周りのみんなって、多分名前上げていけば4、5人くらいしかいないんだけど、接する機会が多くなるとどうしてもそれが「みんな」になっていく。

そうやって無意識に「普通」へのハードルがどんどん上がっていって、そこに追いつかない自分にイライラくるし、理想の自分と今の自分のギャップが大きすぎて死にそうになってた。まあ、そりゃそうだよね、だってなりたい自分って完璧だから。自分と違うのに必死に隠してついて行ってもボロが出る。

ちなみに私はそういう「理想の彼女」と「現実の私」に一人で苦しんで結局振られた経験がある。


なんで人ってみんなまともに見えるんだろう?

“見せる自分”と“見せない自分”の棲み分けがすごい。私はそういう風に、人にはいろんな側面があるってこと、恥ずかしながら26年間くらいは気づかなかった。


だけどやっと27年目くらいで気づき始めた。

この世には、いろんな人がいるってこと。


遅すぎる、と思った人もいるかもしれないけど、そのくらい私は「みんなと一緒」に固執していたんだと思う。

どうやって気付いたかというと、間違いなく「めちゃくちゃ人に会った」からだと言える。私は転職がきっかけだったけど、私のジントニック程度の器が肉じゃが用の器に変わるくらいには受け入れる幅が広がった。


だってそこにはいろんな人がいた。


例えば、「体調不良で休み続けるやつ」。いやそんなやつ自分の会社にもいたよ、と思うかもしれないけど、私には衝撃的だった。だって私のその頃の普通は、「会社員は休まない、少しくらい悪くても大丈夫」だったから。めまいがする、腹痛、そういう理由で会社って休んでいいんだ。って気づかされた。

それに「変化が欲しいから派遣社員貫くやつ」。え、普通みんな正社員目指すんじゃないの?自らそっち選ぶんだ。しかもそういう理由で。選んでいいんだ、なんか自由じゃん、いいじゃん。って思った。

あとは「お昼くらい一人でいたいやつ」。今まで20人程度の会社にしか居たことなかったから、ランチはみんなで、が基本だったけど、そういう風に消えていいんだ。いくら業務上仲良くたって、ポリシーに沿って行動していいんだ。って思った。


最初はそういう人たちのこと、「変わってるなー」って思いながら見てた。(その頃の私の普通の価値観は激狭だったので)だけど何人も何人もそういう人を見ていると、だんだんと「あれ?なんかみんな、好きにやってる?」と気づく瞬間が訪れる。

そして、「私なんでこんな一生懸命普通を追いかけてるんだっけ?」となる。

そうなったら早い。見れば見るほどみんなおかしい。

何も考えず見てたけど、毎日コーラしか飲んでない奴いる。なんだあいつ。定時になった瞬間に「お疲れ様でした」と退社する奴がいる。なんだあいつ。アルバイト従業員が実は会社経営してた。なんだあいつ。


私一人がフガフガと鼻息を荒くしながら、今まで積み上げてきた「普通」に従って慎重に頑固に生きてきたけど、実は世の中はそうじゃなかった。

ってことは、私が本当はやりたくて仕方なかった「毎日カレー」も別に何もおかしくないし、「五本指ソックス愛用」だって隠さなくていいっぽい。

私は人から「穏やかで優しくて気配りができるひと」に見られたくて、常にそれを意識してきたけど、「せっかちで短気で大雑把なひと」でもいいっぽい。


もちろんある程度の「常識」と呼ばれるルールに従う必要はあるかもしれないけど、そこさえ守ればあとはどうでも良い。

人と違うということを恐れるのは、結局自分に自信がないから。まともに向き合うと、己の空っぽさに呆れられてしまう。嫌われたくないから好かれようともがく。

でもいろんな人を見て、私も恐る恐る自分を少しずつ曝け出すようになってから、逆に「完璧すぎる人は怖い」に行き着く。欠点のない人の方が怖くなってくるのだ。不思議だね。


私はそういう感覚に気づくのがだいぶん遅れてしまって、もっと早くに気づけば選択肢ももっと広がったのかな、世界の見え方変わってたのかな、と思うこともあるけど、この歳だったから受け入れられたのかもしれないとも思ったりする。

タイミングはその人によって違うから心配することはないし、もしなんとなく自分の世界が狭いんじゃないか。知らない誰かのルールや理想についていけなくて苦しくなっているなら、まずはとことん人を知っていけばいい。そして、変な奴いっぱいいるな、って思えばいい。


この世にまともな奴なんか存在しない。

いやそもそもその「まともな奴」って誰のこと?

他人目線の自分ルールはさっさと改定。フレッドとジョージみたいに打ち付けられたルールブックを次々に壊しまくろう。

そして新しく制定。

自分は自分目線の自分ルールで気楽に生きていこう。

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