【原稿&トーク音声】2023年7月 「3つのたとえ話(2)」
父母コンビでお届けしているラジオ「ゴスペルアワー」の「原稿」を、トーク部分の「音声」と共に、ラジオの再放送が終わってから投稿しています。ラジオ内で紹介した歌は、どなたかがアップされているyoutubeから探して埋め込ませていただきます。(youtubeで見つけられなかった場合はご紹介できませんがご了承ください。)
ラジオでゴスペルアワーを聴くことができない方にも、ゴスペル(=福音・良い知らせ・グッドニュース)が届きますように!
下記リンクの、Youtube「ラジオ・ゴスペルアワー」の再生リストで、これまでのトーク音声&音楽を通してお聞きいただくこともできます。
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トーク1
父:みなさん、(父母)こんばんは (母)2023年7月のゴスペルアワーの時間です。
父:ゴスペルアワーの「ゴスペル」とは、「福音・良い知らせ・グッドニュース」という意味です。天地万物をつくられた創造主・神様がおられて、私たちを罪から救うため、約2000年前に、神が人となってこの地上にうまれてくださったのが、イエス・キリストです。
母:このイエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死んで、葬られ、三日目によみがえり、復活したことがゴスペル・福音だと聖書は教えています。
父:イエス様を私の罪からの救い主として信じるだけで、罪がゆるされ、神の子とされ、永遠の命が与えられて、神の国、天の御国に入れていただけるということが聖書の中で約束されています。
母: 2023年7月、今年、7回目のゴスペルアワーです。
父: はい、今日のゴスペルアワーは、先月の続きで「3つのたとえ話(その2)」というテーマでお届けしたいと思います。
母: 先月はルカの福音書15章の3つのたとえ話のうち、2つしか紹介できませんでしたので、今日は3番目の「放蕩息子のたとえ」を紹介したいと思います。
父:みなさんご存知の短編小説の天才と呼ばれていた芥川龍之介は、このイエス様の
「放蕩息子のたとえ話は、世界最高の短編小説だ」と言ったそうです。
通常10分以内で読める2000文字から3000文字の短編小説を67作品も書いている芥川龍之介が「世界最高の短編小説」と呼んだ、新約聖書・ルカの福音書15章のこの「放蕩息子のたとえ話」は、新改訳2017では、全部で2,013文字、リビングバイブルという翻訳の聖書では、2,359文字です。
母:ほう、聖書を1文字1文字、数えたんですか?
父:いや、今はコンピュータで聖書の中の最初と最後を指定して、「文字数」というコマンドで調べると、何文字あるのかは、1、2秒で表示されます。
母:コンピュータがなかった時代の昔の聖書学者は、1つ1つ手で数えて、聖書の中の真ん中の文字はこの文字だと言えるほど、手作業で数えたんですってね。
父:へぇ、よっぽど熱心だったのか、よっぽど暇だったのか・・・、いずれにしてもえらいことですね。
母:それでは、芥川龍之介さんが「世界最高」と言った「放蕩息子のたとえ話」の前半部分をせっかくですから、みなさんに紹介したいと思います。
父: ルカの福音書15:11 イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。
母:何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。
父:彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』
母:こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
父:息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。
母:ここまでが前半のお話になります。
父:それでは、ここで、今日の最初の歌を紹介したいと思います。
「主の愛が今」という歌をお聞き下さい。
※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています
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トーク2
父:「主の愛が今」という歌をお届けしました。
母:今日のゴスペルアワーは「3つのたとえ話その2」というテーマでお届けしています。
父:今日のお話で登場する放蕩息子はどんな人だったと思いますか?まず年齢は20才前の青年。当時は長男が2/3、次男は1/3の遺産を相続しました。お父さんがまだ生きているにも関わらず、自分の分の財産をもらって、それを全部お金に変えて、お父さんのいない、遠い町に自由を求めて出て行きました。そして、財産は湯水のように、すぐ使い果たしてしまいました。
母:お金があった時には、彼の周りには集まってくる人が沢山いましたが、お金が無くなると、金の切れ目は縁の切れ目とばかり、彼のそばにはだれも寄り付かなくなりました。
父:しかも、お金がなくなっただけではなく、その地方に、飢饉が襲いました。
彼は食べることにも困り始めました。そこで、ユダヤ人の最も軽蔑する最低の仕事の豚の世話をすることになりました。
母:当時のユダヤ人にとっては、豚は汚れた動物でしたので、ユダヤ人にとっては、最低の仕事という意味になりますが、現代の豚を飼う養豚業の仕事が賎しい最低の仕事だという意味はありませんので誤解しないようにご注意ください。
父:その時彼は、はたと気づきました。父の家には食べ物が有り余っている使用人が沢山いる。そうだ、父の家に帰ろう。
母:「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』とお父さんに言うセリフを何度も声に出して練習したようです。
父:そして、お父さんの家に帰ることにしました。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけしました。
母:お父さんは、毎日、毎日、弟息子は帰って来ないか、帰ってこないかと遠くを見つめていたようです。落ちぶれた姿でしたが帰って来た息子を、まだ遠かったのに、見つけたお父さんは、かわいそうに思って走り寄って、首を抱き、受け入れる印の口づけをしました。
父:豚を相手に何度もセリフを練習した息子はお父さんに言いました。
『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』
母:そこまで聞くとお父さんは、「雇い人の一人にしてください。」という言葉を息子が言う前に、しもべたちに言いました。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。
父:3つの例え話に全部共通の「喜びの祝宴」が始まりました。
いなくなった羊の時も、失った銀貨の時も、そして息子が帰って来た時も、喜びの祝宴が始まったのです。
母:悔い改めて神様に立ち返った息子には、お父さんは4つのものを与えました。
① 一番良い服(新しい人生) ②指輪(相続人であることを示す印鑑の役割を果たす指輪)③足に履物(当時の奴隷は裸足でした、お父さんは奴隷、使用人ではなく、自由人として受け入れました。④最後が喜びの宴会・祝宴です。
父:神様は、イエス様を救い主として信じる全ての人を、罪の奴隷ではなく、罪がゆるされ自由が与えられた、神の子として受け入れ、永遠のいのちが与えられ、神様の喜びの中に入れて下さいます。
母:それでは、今日の2曲目の賛美は、「感謝と喜びを」という賛美です。
父:それではどうぞお聞きください。
※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています
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トーク3
父:「感謝と喜びを」という歌をおとどけしました。
母:今日のゴスペルアワーは「3つのたとえ話(その2)」というテーマでお届けしています。
父:今日のイエス様の放蕩息子のたとえ話の中で、私たち人間は神様の前に、放蕩息子として描かれています。神様から離れ、自分勝手に生きた結果、自由ではなく、罪の奴隷として最悪の状態です。
母:神様から離れたこの世は、何を持っている、何ができるということで人の価値が計られる世界です。持ち物の一切を失った息子は人から必要とされなくなりました。価値のない存在として扱われました。
父:しかし、父なる神様は違います。何ができる、何をもっているかで、私たちの価値を決めることはなさいません。私たちのありのままの姿で、私たちを愛し、受け入れてくださいます。私の目にはあなたは高価で尊いと言ってくださるんですね。
母:私たちが、神様に悔い改めて立ち返った時に、神様は大きな愛と哀れみの心で、受け入れ、赦し、新しい救いの喜びの人生に入れて下さいます。
父:このたとえのお話の中には、罪人の私たちを表す放蕩息子と、父なる神様を表すお父さんは登場してきますが、イエス様が登場して来ていません。しかし、ある人は「隠れているキリスト」として紹介しています。
母:ヨハネ14:6にはこんな聖書のことばがあります。イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」
父:私たちが神のもとに帰る道は、イエスキリストです。イエスキリストが道となってくださいました。その道とはイエスキリストの十字架の道です。
母:十字架を通して、イエスキリストの十字架を通して、私たちは神様に立ち返ることができるんですね。
父:むかし、ある先生が教えてくれたお話を忘れることができません。
あるマンションで火事が起こりました。お父さんと息子の二人が住んでいる階にだんだんと火が近づいて来ます。逃げる場所がありません。窓を開けると、隣のビルの窓に手を伸ばせば届く距離です。お父さんは思い切って体を伸ばして、向かいのビルの窓をつかんで、子供に言いました。「さあ、お父さんの背中の上をつたって、向かいのビルに逃げなさい。」
母:子供は怖かったのですが、なんとかお父さんの背中をつたわって、向かいのビルまで逃げることができました。子供が渡りきると、お父さんは力が尽きて、マンションの下に落ちて亡くなってしまいました。
父:お父さんがこどもを救う道、橋となってくれたんですね。
滅びのこの地上から神の御国に イエスキリストの十字架が架け橋となって、私たちを救ってくださると聖書は約束しています。
母:イエスキリストは私たちのために十字架で身代わりとなって死んでくださったほどに私たちを愛して下さっています。
父:はい、それでは今日の3曲目の歌は「主イエスの十字架の血で」という歌をお届けします。 どうぞお聞きください。
※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています
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トーク4
父:「主イエスの十字架の血で」という歌をお届けしました。
母:今日のゴスペルアワーは「3つのたとえ話(その2)」というテーマでお届けしました。
父:今日は放蕩息子のたとえ話を紹介しました。最後に、同じ放蕩息子の話をリビングバイブルという翻訳の聖書で紹介します。
「ある人に息子が二人いました。 ある日、弟のほうが出し抜けに、『お父さん。 あなたが亡くなってからじゃなく、今すぐ財産の分け前がほしいんだけどな。 だめですか』と言いだしたのです。 それで父親は、二人にそれぞれ財産を分けてやりました。
母:もらう物をもらうと、何日もたたないうちに、弟は荷物をまとめ、そそくさと遠い国に旅立ちました。 そこで放蕩に明け暮れ、全財産を使い果たしてしまいました。
一文なしになった時、その国に大ききんが起こり、食べる物にも事欠く有様でした。
父:それで、その地方のある農夫に頼み込み、畑で豚を飼う仕事をもらいました。あまりのひもじさに、豚のえさのいなご豆さえ食べたいほどでしたが、だれも食べる物をくれません。こんな毎日を送るうち、彼もやっと目が覚めました。 『あーあ、家なら雇い人にだって、あり余るほど食べ物があるだろうな……。 なのにおれときたら、なんてみじめなんだ。 こんなとこで飢え死にしかけてる。そうだ。 家に帰ろう。 帰って、お父さんに頼もう。 「お父さん。 すみませんでした。 神様にも、お父さんにも、罪を犯してしまって……。 もう息子と呼ばれる資格はありません。 どうか、雇い人として使ってください。」』
母:決心がつくと、彼は父親のもとに帰って行きました。 ところが、家までは、まだ遠く離れていたというのに、父親は息子の姿を、いち早く見つけたのです。 『あれが帰って来た。 かわいそうに、あんな、みすぼらしいなりで……。』こう思うと、じっと待ってなどいられません。 走り寄ってぎゅっと抱きしめ、口づけしました。
父:『お父さん。 ごめんなさいっ! ぼくは神様にも、お父さんにも、取り返しのつかないことをしでかしました。 もう息子と呼ばれる資格はありません……。』
ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。 『さあさあ、何をぼやぼやしている。 一番よい服を出して、これに着せてやれ! 宝石のついた指輪も、くつもだ。あっ、それから、肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意も忘れんようにな。死んだものとあきらめていた息子が生き返り、行方の知れなかった息子が帰って来たのだから。』こうして、祝宴が始まりました。
母:みなさんも、ぜひ神様の祝宴に出席してみませんか。
聖書のことば「わたしの目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」
教会に一度も行かれたことのない方は、ぜひ、今月、いや次の日曜日、お近くの教会に行ってみてください。日曜日の朝10時半から、普段着のままで、手ぶらで、お気軽においでください。
父:それでは最後に、ゴスペルアワーのテーマソング 「きみは愛されるために生まれた」を聞きながらお別れしたいと思います。
あなたも愛されていることを忘れないでください。 今夜もゴスペルアワーを聞いて下さりありがとうございました。
・・・それでは 母:この次は 父:来月8月にまた
母:お耳に 父母:かかりましょう。
※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています
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◆本放送:第1金曜日 19時~
◆再放送:翌週金曜日 19時~
★秋田県南の「FMゆーとぴあ」の放送を、パソコンやスマホで全国から、ゴスペルアワーの放送時間にお聞きいただけます。
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