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【原稿&トーク音声】2024年3月 「情けは人の為ならず」

父母コンビでお届けしているラジオ「ゴスペルアワー」の「原稿」を、トーク部分の「音声」と共に、ラジオの再放送が終わってから投稿しています。ラジオ内で紹介した歌は、どなたかがアップされているyoutubeから探して埋め込ませていただきます。(youtubeで見つけられなかった場合はご紹介できませんがご了承ください。)
ラジオでゴスペルアワーを聴くことができない方にも、ゴスペル(=福音・良い知らせ・グッドニュース)が届きますように!

下記リンクの、Youtube「ラジオ・ゴスペルアワー」の再生リストで、これまでのトーク音声&音楽を通してお聞きいただくこともできます。

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トーク1

父:みなさん、(父母)こんばんは (母)2024年3月のゴスペルアワーの時間です。
父:ゴスペルアワーの「ゴスペル」とは、「福音・良い知らせ・グッドニュース」という意味です。天地万物をつくられた創造主・神様がおられて、私たちを罪から救うため、約2000年前に、神が人となってこの地上にうまれてくださったのが、イエス・キリストです。

母:このイエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死んで、葬られ、三日目によみがえり、復活したことがゴスペル・福音だと聖書は教えています。
父:イエス様を私の罪からの救い主として信じるだけで、罪がゆるされ、神の子とされ、永遠の命が与えられて、神の国、天の御国に入れていただけるということが聖書の中で約束されています。

母: 2024年3月、今年、3回目のゴスペルアワーです。

父: はい、今日は「情けは人の為ならず」というテーマでお届けしたいと思います。

母:「情けは人の為ならず」ですか・・・・

父:はい、今現在、若い人を中心に、約、半分近くの人がこの言葉の意味を間違って、誤解しているそうです。

母:「人に情をかける・親切にしてあげることは、その人のためにならない」だから、親切にしない、情をかけない方が良い・情けをかけるべきではない」という意味で、間違って理解している人が多いそうです。

父:国語辞書では通常は、「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味であると説明されています。

母:英語には「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)という同様の言葉があるそうです。(今日はあなた、明日はわたし) いずれにしても、人に親切にしてあげましょう。ということばですね。

父:しかし、なぜ誤解されたんでしょうね。古い言葉使い・文語体の「情けは人の為ならず」を、「情けは人の為にならず」という現代文で理解しちゃったんでしょうね。

母:教会でも、昔から歌われている讃美の中に、「信ずる者はだれも、みな救われん」という歌詞の賛美がありますが、この言葉も、文語体を知らない人が聞くと、イエス様を信じる人はだれも、みな救われない」と誤解して、歌の意味が分からなくなってしまいます。

父:正しくは「イエス様を信じる人はだれでも、みんな救われます」という意味ですね。
  昔の言葉遣い・文語体も理解・勉強する必要がありますね。

母:さて、それでは、「情けは人の為ならず」という言葉を最初に言った人は誰かわかりますか?

父:はい、なんとぉ、今、日曜日の夜8時からNHK総合テレビの時代劇・ドラマの主人公の「紫式部」さんらしいですよ。

父:1000年も前に書かれた「源氏物語」の中の、「世の中の情けは人の為ならず、我人の為辛(つら)ければ、必ず身にも報(むく)ふなり」から来ているという説があります。
この「我人の為辛(つら)ければ、必ず身にも報(むく)ふなり」という言葉の意味は、相手の為に苦労をすれば、必ず自分にも報いがあるという意味です。

母:「世のため、人のため情けをかけておけば、また人の為苦労すれば、必ず自分に報われる。」 と昔から日本人は考え・理解していたようです。

父:世のため人のために情をかける、親切にすること、苦労すると、めぐりめぐって自分に良い報いがあるという考えを日本人は持っていたんですね。

母:はい、それではここで、今日の最初の歌をお届けします。
   「教会福音讃美歌40番 父の神の真実 」という歌です。

父:それではどうぞお聞きください。

※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています


トーク2

父:「教会福音讃美歌40番 父の神の真実」という歌をお届けしました。
  
母:はい、今日のゴスペルアワーは「情けは人の為ならず」というテーマでお届けしています。

父:さて、今年2024年、今年の7月3日から新しい紙幣・新札が発行されます。
 新しい5000円札に印刷されるのは、1900年に創立された津田塾大学の創立者の津田梅子さんが描かれます。

母:津田梅子さんはクリスチャンでした。そして、津田梅子さんよりも2代前の5000円札に描かれていた新渡戸稲造さんもクリスチャンでした。

父:そしてなんと、この新渡戸稲造さんが大正4年に発行した「一日一言」という本の中の4月23日のページに、「情けは人の為ならず」という言葉が紹介されています。
 昔の文語体ですが・・・「ほどこせし 情けは人の為ならず。己がこころの 慰めと知れ
 我ひとに かけし恵みは忘れども、ひとの恩をば ながく忘るな」

母:現代文に翻訳すると、「情けをかけるということは人のためではなく、ただ自分が満足できれば良い。他人にかけた情けは忘れても、自分がかけられた情けは決して忘れるな」という意味だそうです。

父:情けは、自分の心の満足のためにかけるものであって、人からの見返りを求めるものではない。ということを教えているのだそうです!

母:国語辞典では、「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味で説明されていますが、新渡戸稲造自身は、「恩を施しては忘れよ」というタイトルをそのページの文章に紹介しています。

父:人に親切にしておけば、やがて親切にしてもらえる、人に情をかけて、恩を売っておけば、いつが恩が返って来るという見返りを求める心を逆に戒めています。自分が人に施した情は忘れても、人からしてもらった恩・親切は決して忘れるなと教えています。

母:現在日本では、「愛」という言葉が普通に使われています。しかし、キリスト教が日本に入って来る前は、「愛」という言葉は人前では口にすることは恥ずかしい言葉でした。現在も「愛欲」という言葉には、悪いイメージがあります。

父:仏教でいう「愛」とは、愛欲や過度な愛着を持つことを意味し、人、モノ、お金、名声などに執着する心のことだとされていて、良いイメージはありませんでした。しかし、キリスト教が日本に入って来てからは、「愛」は神の人類に対する「愛」として説かれ、良い意味に変わりました。

母:現在「情けは人の為ならず」という言葉が、人に親切にしておけば、廻りまわって自分に恩恵が戻ってくることを期待する言葉ですが、新渡戸稲造が本来求めていた「見返りを求めない愛、情け、親切」を私たちも理解し、求めて生きたいと思います。

父:聖書の教える愛は 一方通行の与える愛です。人から奪うだけの愛ではなく、また、相手に親切にして、相手から親切のお返しがある時だけ成立するようなブツブツ交換の愛でもありません。相手から感謝されたり、おかえしがなかったとしても、一方的に与える愛が聖書の愛です。イエスキリストは私たちの罪の身代わりとなって十字架で命を与えて下さいました。

母:それでは、今日の2曲目の歌をおとどけしましょう。小坂忠さんの「主イエスの十字架の血で」という歌です。

父:どうぞお聞きください。

※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています

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トーク3

父:小坂忠さんの「主イエスの十字架の血で」という歌をお届けしました。

母:今日のゴスペルアワーは「情けは人の為ならず」というテーマでお届けしています。

父:昔、テレビで安達祐実ちゃんが、「同情するなら金をくれ」という言葉を流行らせました。日本人の情け・同情はどちらかというと 上から目線の同情が多いと思います。

母:ですから、自分が人を同情することはあっても、自分が人から同情されることは、素直に受け取ることができません。人から同情されたくないプライドがあるわけです。

父:聖書の中で使われている「憐れみ」(同情)という言葉は、「一緒に苦しむ」腸が痛みで
ゆさぶられるほどの感情・憐れみです。 ただ単純にかわいそうだと同情することではなく、「行動に現れる同情」を憐れみと言います。行動に現れない同情は本物の憐れみではないということですね。

母:イエス様の有名な「良きサマリヤ人」の例え話があります。リビングバイブルの翻訳で紹介したいと思います。

父:「エルサレムからエリコへ旅をしていたユダヤ人が、強盗に襲われました。強盗どもは、身ぐるみはぎ取り、あり金全部を奪うと、その人を殴ったり、蹴ったりして半殺しにし、道ばたに放り出して逃げて行きました。

母:ちょうどそこへ、ユダヤの祭司が通りかかりました。ふと見ると、旅人が倒れています。でも、めんどうに巻き込まれたくなかったので、道の反対側へ回り、何くわぬ顔で通り過ぎてしまいました。

父:しばらくすると、今度はレビ人(神殿で奉仕する人)が通りかかりましたが、彼も、倒れている旅人を横目でちらりとながめただけで行ってしまいました。 ところが、常日頃ユダヤ人に軽蔑されていたサマリヤ人がたまたま通りかかり、旅人を見つけました。その人をかわいそうに思ったサマリヤ人は、 急いでそばに近づいて、傷口に薬をぬり、包帯を巻いて応急手当をしました。それから自分のろばに乗せ、宿屋まで運んで、一晩中、看病してあげました。

母:翌日、宿屋の主人にデナリ銀貨二枚(2万円)を渡し、『あの人を介抱してあげてください。足りない分は、私が帰りに寄って払いますから』と頼みました。

父:この三人のうちだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」 律法の専門家は答えました。「もちろん、親切にしてやった人・あわれみ深い行いをした人です。」この答えを聞くと、イエスは言われました。「そのとおりです。あなたも行って、同じようにしなさい。」

父:はい、それでは今日の3曲目の歌をお届けします。
 Rainbow Music Japanの You are preciousという歌です。

母:それでは、どうぞお聞きください。

※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています

トーク4

父:Rainbow Music Japanの You are preciousという歌をお届けしました。

母:今日のゴスペルアワーは「情けは人の為ならず」というテーマでお届けしました。

父:聖書には、「受けるよりも与える方が幸いです」という言葉があります。秋田弁では、「もらうより、けだほうが、ずっとえがべた」となりますが・・・ある宣教師が、クリスチャンではない人に通訳を手伝ってもらって聖書のお話を人々にしました。

母:「受けるよりも与える方が幸いです。」

父:するとクリスチャンではない通訳の人が「与えるよりも受ける方が幸いです」と間違って通訳してしまいました。宣教師は間違いに気づいて、もう一度、「受けるよりも与える方が幸いです。」と話しました。しかし、今度も、「与えるよりも受ける方が幸いです」と間違ったまま通訳してしまいました。

母:みなさんはどうでしょうか? どちらが幸せですか?

父:人の痛みを自分の痛みとして感じ、自分のいのちまで与える愛はイエス様の十字架の愛を知ることから生まれます。今日は時間がないので、詳しくは紹介できませんが・・・王様から68億円借金を免除して赦された人が、1万円貸していた友達を赦さなかった話があります。

母:神様を象徴していた王様は彼に言いました。「自分があわれんでもらったように、ほかの人をあわれんでやるべきではなかったのか!」

父:最後に聖書の言葉をお読みします。「主は、あわれみ深く、情け深い神。・・・彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった」「わたしの目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」

母:私たちをいのちがけで、十字架でいのちを捨てるほどに私たちを愛して下さっているイエスキリストのことばを、聖書のことばをみなさんも、聞いてみませんか。

父:教会に一度も行かれたことのない方は、ぜひ、今月、いや次の日曜日、お近くの教会に行ってみてください。日曜日の朝10時半から、普段着のままで、手ぶらで、お気軽においでください。

父:それでは最後に、ゴスペルアワーのテーマソング 「きみは愛されるために生まれた」を聞きながらお別れしたいと思います。あなたも愛されていることを忘れないでください。 今夜もゴスペルアワーを聞いて下さりありがとうございました。
・・・それでは  母:この次は  父:来月4月にまた  
母:お耳に  父母:かかりましょう。

※ゴスペルアワーで紹介した歌をyoutubeから探して貼り付けています

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◆本放送:第1金曜日 19時~
◆再放送:翌週金曜日 19時~
★秋田県南の「FMゆーとぴあ」の放送を、パソコンやスマホで全国から、ゴスペルアワーの放送時間にお聞きいただけます。

【聴く方法】

 ■スマホの場合、

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