國廣再臨〜足利1日目②〜
足利市美術館を出て、ホテルのチェックイン開始時刻まであと1時間あったので長林寺に向かいました。
一旦織姫神社の前まで行き、さらに進んだ道の奥に向かいます。
さらに奥へ
ありました。長林寺。
まんばちゃんの旗がゆらめいていますね。
ちなみにこの旗、足利市中にありまして、知らない街中によく見知った大好きなキャラがいるのがメチャクチャ嬉しいしホッとしますね。
街の人もまんばちゃんを受け入れてくれて嬉しいな〜。
スタンプラリーちゃくちゃくと集まってきました。
本堂?のまえにパネルがありました。
本堂の中見たかったのですが固く閉ざされていて参拝できませんでした....…
(時間が遅かったのかな?と思い次の日の早い時間にも行きましたが同じく閉じていました)
先ほど展覧会で長林寺所蔵のものを沢山見たので、ここでも関連するものがすこしでも見れるか....…と思いましたが何も無かったですね。宝物館とか作ってもいいのではないでしょうか。
そして!!!
これを見るのが長林寺に来た目的です!!!
ここでは代々の長尾氏を祀っております。
(墓所ってことになってるけどたぶんご遺体は埋まっていないだろうな〜)
無双パネルとスタンプラリーだけ見て長林寺後にするひとが結構多かった印象😢
お墓は脇道登ったところにあるから気づかなかったのかな....…
上段のほうが古く、武と美展に自画像があった方々はみんな上段です。
下段は顕長以降、主に江戸期の当主のものです。
ここにはボランティアのガイドさんがおりまして、長林寺やこのお墓たちの由来について詳しく聞くことができました!
長林寺は長尾家の菩提寺ですが、もともとはここの場所にあったのではないそうです。
足利の町をはさんだ反対側の山(語彙力)、簡単に言うとあしかがフラワーパークの方面にもうひとつ「長林寺」という名前のお寺があるのですが、昔はそこにここの「長林寺」があったそうです。
非常にややこしい....…!
話が分からなさすぎて私も何度も質問してしまいました。
小田原合戦で北条方に味方し敗北した長尾顕長が足利を追われ浪人となった後、佐竹家に仕えるため茨城に引っ越した時、こっちの長尾菩提寺のほうの長林寺もいっしょに茨城についていきました。
しかし徳川の世になった際、「寺は必ず檀那を持たなければならない」という法律がある寺請制度が発足します。
長林寺、長尾氏の氏寺ではあるけど引っ越してきたばかりなので茨城に檀那はいません。
檀那がいないと廃寺となってしまうので、長林寺は泣く泣くもとの足利に帰ることにしました。
しかし!元いた場所には「じゃないほうの」長林寺が収まっていました。
じゃないほうの長林寺はもともと別の名前で別の場所に建っていたのですが、戦乱を逃れるために足利にやってきて「いい感じの寺の跡地あるじゃん!ここに住も!」と足利菩提寺長林寺の跡地に収まりました。
以上のような経緯があり二つの長林寺は長い間全く関係が無いと思われていましたが、じゃないほうの長林寺から長尾氏ゆかりの品が発見されたりしたため、最近じゃないほうの長林寺と長尾氏との関連性が指摘されているようです。(名前が「長林寺」なのもその関係性のせいなのかも)
この説は武と美展の図録に詳しく載ってるのでみんな読め!!!!!!!!!!!!!
足利に戻ってきたけど自分ちの空き家に知らん奴が住んでた長尾氏長林寺、しかたなく別の場所を探します。
そこで、現在の場所に落ち着くことになったわけです。(長尾顕長のお兄ちゃんの一家・由良氏と縁の深い人達が多く住んでいた場所らしいです。)
ちょっと前に戻ってスクロールしていただいたところにある墓の写真を見てもらいたいのですが、
ガイドさんによると、五輪塔(まるさんかくしかくの石が組み合わさっているやつ)と宝篋印塔(五輪塔じゃないほうの細長いやつ)の年代と祀られている当主の年代が合わなかったりするそうで、
何回も引越しをしてきた長林寺、引越しの際に歴代長尾氏の墓もいっしょに持って行っていたのですが、墓石を一旦バラしてから運搬するんですね、
でも墓石なんてみんな同じような形と大きさしてるので多分組み直す時に別の墓の部品と混じっちゃったり壊れて作り直したりとかしていたんじゃないかという話でした。
だからどれが誰の墓かというのの信憑性があんまり無くて、顕長の墓もずっと別の人の墓だと思われていたそうで、割と最近墓石の文字を解読し直したりして顕長だと判明したらしいです(墓石の正面には別の当主の名前が書いてあり、サイドに顕長の名前が書いてあるのを発見した)。
現在まで長尾氏は続いており、下段いちばん左が現在の長尾さん家のお墓だそうです。
(東京で芸術家をしている方がいるそうで、長尾氏の美への意識というものが今の今まで受け継がれているような気がして心がカ〜〜〜〜ッッッとなってしまったよね❣️)
長尾弁天はもともと長林寺の敷地内にあったそうですが、明治の廃仏毀釈でこっちに移動してきたそうです。
長林寺を後にし、ホテルにチェックインし荷物だけ置いてまた出ていきます。
日没までに渡良瀬橋に行けるか....…!
間に合った!
これが有名な渡良瀬川の夕日か〜
まわりが開けていてたしかにメチャ綺麗!
ちょうどいい時間に見れてよかった!
つぎは夜ご飯を食べに行きます。
このご時世だし混む時間は避けて早めの時間にしました。
信用度100パーセントの番組、せっかくグルメで取り上げられていた洋食屋さん・ポルカにやってきました。
お客さんはわたし一人で、あとから地元マダム2人が入ってきただけで空き空き快適空間。
地域限定!みたいのに超弱いので足利風ナポリタンを注文。
何が足利風なのかは聞きそびれましたが非常に美味しかったです。量も多くて満足!
美術館のまんばちゃんパネルの係のおじちゃんに、これ全部持っていきな!と持たされた大量のクーポン券の中にこのお店のものも見つけたので、使って紅茶も頼みました。
(新人と思われる高校生バイトちゃん、急に懐からクーポン券出して混乱させてしまってごめんね)
会計の時に國廣再臨カードももらえました!うれぴー!財布に入れよ
ホテル帰る前に織姫神社へ〜
ふだん極力エスカレーターを使う人間に多すぎる階段辛くて泣いちゃった
心で号泣しながらひたすらひたすら登ります。
階段トレーニング中の男子高校生と何回もすれ違って気まずかった。
うお!高い!
綺麗だ!登ってよかった!
関東平野にビッシリ明かりが灯っています。
ライトアップの光に朱が映えますね。
後から来た女性2人組が社殿真ん中で自撮りバギバキにキメてました。
織姫神社の由来を調べたのですが、
「足利は織物の町なのにそういえば織物関係の神社無ぇな....…....…」
と途中で気づき織物の神様を祀ったのが始まりらしいです。(具体的な神様とかは前野智昭が言ってましたね)
なんか雑でいいですね。
あとから作ったのであろう7色の鳥居とか愛の鐘とかも深い由来とかは後付感あるのが日本人のテキトー感出てていいですね(個人の感想です)
絵馬見てみたら姫鶴一文字鍛刀祈願してる人いてサイコーーでした。
ゼェゼェ言いながらまた階段を下り、スーパーで翌日の朝ごはんを買いホテルに戻りました。
(地元特有の商品無いかな〜とおもいましたがありませんでした〜レモン牛乳すらなかった)
1日目は前野智昭音声ガイドの決済が出来なかったので、夜は聞く美術やGoogleに問い合わせたりしていましました。
寝る前は舟定屋のイモヨーカンをかじりながら(包丁とか箸とか無かった)図録を読みふけっていました〜!サイコーの過ごし方だったな。
ここで図録の素晴らしさに衝撃を受けもう一度展覧会行きたくてたまらなくなりました...…
つぎは2日目の話を書きたいです〜
フラワーパークとか山登りとかしました。