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届く不幸の手紙と書けない手紙

小学生のころ、友人だと思っていた子が私に不幸の手紙を届けた。

内容は
「この手紙をもらったあなたは不幸になります。それが嫌であれば数日以内に同じ内容を手紙の差出人以外の二人に出しましょう」

というホラー映画の貞子システムであり、マルチであり、ネズミ講をなんともわかり易く体現した手紙に私は大きなショックを受けた。
当時、友人はその手のオカルト本を読み漁っていた。

え?
この手紙を私に寄越したってことは、目の前の友人は私が不幸になってもいいという判断をしたのだろうか?

という悲しき疑問と信頼関係を自らブッダ斬るその姿勢こそが不幸をよんでるのではないか?

私はだいぶ頭を悩ませたし

そもそも不幸ってなんなん?

なんか怖い感じがする(´・ω・`)よね

頭の中はなんか怖いけど、ここで終わらせて良くない?
だって他の人を不幸にしちゃうらしいよ。
呪いだよ?これ以上つらい人を見たくないよ

良くないよね(´・ω・`)ね?キュゥベえ


最初はそう考えていたはずなのに…

迫る期日

その日がきたら不幸がやってくるらしい

心は
ドキドキ

ハラハラ

バクバク

手紙一枚であまりに憔悴する私を見兼ねて最終日に差出人ではない友人が声をかけた。

友人「私に手紙だしていいから!!」
他のグループの同級生「私にも出していいよ!こんなのさっさと終わらせよう」

まるで人生のノルマの一つだと言わんばかりに勇気を出してくれた二人

書いちゃう私

その後、不幸の手紙はパスポートを失ったようにパタリと交流が途絶えた。

でも、私の中には罪の意識が芽生えていた。

これは人生のカルマではないのか?

自分が自分に負けた

本当に大切なことってなに?

もし、友人たちがあの手紙を止めてくれなかったら?

そもそも友人からの手紙を受け取らずにゴミ箱に捨てたら良かったの?

私の後方では姉が布団から安いマットのベッドを与えられ睡眠不足から眼光が鋭くなり、その瞳の視界にいれた上級生が睨まれた勘違いからのいじめを受けて家庭内で大暴れし、子豚の大暴れと2年おきの転勤ストレスで父はDVを発動させ、母の足をちょこんと蹴るし、ちょこんもダメだよ!大切な人を傷つけたらダメだよと母の足を抱きしめ止めに入ってみれば、母は私を保護するように背後に隠し、兄に一緒に止めに入ろうと言えば、放っておけよと、はなった先には、ご近所さんの不幸の言葉「そういう時は子豚をぶつの!」を受けて、相談相手を間違えた母が布団たたきで大暴れし、三匹が被弾しているという

え?心のケア?発達形成のサポート?

されていたら機能を不全してる家族にはなってないからね(´・ω・`)
※現在記録更新中です。

昭和世代の親に精神科ルートが簡単に選べると思う?令和ですら発達形成を疑って専門家に問い合わせられず専門医でもないのに自己判断するような状態にあるの。それだけ怖いの

医療の状態、福祉の状態、社会に蔓延る偏見と差別で大量の貞子がでてくる井戸くらいには背景がやばい

実は不幸の手紙は彼女の心のSOSだったんだ。

私はショックで気づけなくて

彼女は衝動性が強い子で、涼宮ハルヒのように様々なことに取り組み、一緒に体験させてくれて私を魅了していたんだ。
たまにそれでやんちゃもしたけどね。

で、我が父は2年おきの転勤族で私は引っ越しする。

連絡先は交換できてて数年後に彼女からいじめを受けてるという悲しい手紙が届きます。

私は手紙を書こうとするんだけど

できない

母も返事を書いたらどうかと言うけど

できない

残念、私も当時いじめにあってた(´・ω・`)

友人視点からすると嫌われたから手紙の返事がないと思うと思う

いじめにあってるという友人に私もいじめを受けてるという

私は机に向かって紙にことのあり様を書こうとした。

でもいじめを受けてるという状態の人間にごめん私もなんだというのは当時の私にはできなかった。

あまりにも情けない

私の心にはアンパンマンでもないのに、アンパンマンでなければいけないという謎の原理が働いていたのである(´・ω・`)

さて
今回の記事に(´・ω・`)は何匹いたでしょう?

文章問題の(´・ω・`)は含まれません。

答えは…




私も数えてないので(´・ω・`)わからないよ

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