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世のどのお金持ちも羨む、私が一番欲しかったものを頂けた祝福の証

ここ最近、明け方の1時に起きることがなかなかできていなかったので、どうか力や知恵を与えてくださいと先日祈り求めたところ、「もっと体を鍛えなさい」といった霊感をいただきました。

体を鍛えることが精神力を鍛えることにも繋がるのだと思いました。

早速、昨日はお昼に数年ぶりとなるランニングに挑戦しました。

いきなり3.5キロ位は走ったと思います。

私は膝の半月板損傷しているので、アスファルトのような硬い道は、膝がすぐ痛くなる原因になります。

ありがたいことに私の家の近くにかなり広く膝を痛めずに走れる公園があります。

これはきっと神様がくださったのだと感謝しました。

久しぶりの運動に足の筋肉は悲鳴をあげ、疲労感はすごいものの、早速明け方の1時にはぱっと起きることができました。

ただ、1時に起きて、4時半までに祈ろうとすると、これまで雑念にとらわれる時間が結構出てきてしまっていました。

今日はそうならないようにと考えていたところ、この3時間半は短い時間だと思って、常に切実にお祈りするように努めなさい、と言われた気がして、必死に切実に祈っていました。

すると、心が暖かなり、いくつかの御言葉が頭に浮かんできました。

この御言葉を悟れたことが、私がこれまで1番心の底から求めていたものだったと痛感したのです。

そして、どこまでも幸福に満たされました。

思わず笑顔になってしまい、人類全てを心から愛することができるようになりました。

その御言葉とは…

「愛とは無償の愛ではなく、自分も相手に愛されたいという気持ちを抱きながら、同時に相手のことを愛したいと思うものだ」

この御言葉が頭によぎった時に、自分は神様に愛されたいと気持ちが薄かったことに気づきました。

どこか神様からまだしっかりと愛されているという自覚を持てておりませんでした。

意識すれば、なんとなく感じられる事はもあるものの常に意識する事は難しかったです。

これまでの人生振り返ると、人に期待しても、それに見合う愛を返してきてもらったことがなかったので、人に愛されたいという気持ちはどこか諦め、その気持ちに自分で蓋をしてしまっていたのだと気づきました。

しかし、先の御言葉を心に留めたところ、

自分がもっと誰かに慰めてもらいたかったし、愛されたかった、でも、それは誰にも頼ることはできなかった。

これまでの人生、正直いろいろ大変で辛いことがたくさんありました。

でも、誰にも助けを求める事は、本当の意味ではできなかったと思いました。

自分の力でどうにかするしかないと、ひたすらもがき、もっと誰かに認めてもらえる何かにならなければという思いで、過酷な環境に飛び込んでいった日々でした。

そのおかげで、今ではいろんな力が身に付きました。

でも、スキルは身についても、心の底から誰か甘えられる人は近くにいなかったなと思います。

自分の妻もたまには甘えさせてくれますが、

すべての価値観が同じわけではないので、対立してしまう意見もあります。

でも、神様ならどこまでも私のことを理解してくれる唯一の永遠の不動の存在なのです。

このことを悟ったときに、どれほど感激したことでしょう。

今朝の明け方は、とてつもなく幸福に満たされたのです。

あぁ、神様に慰めてもらいたい、これまでの人生は本当に大変だった。

自分の頑張りをもっと誰かに見て欲しかった。

でも、神様は全部見てくださった。これからも自分の頑張りを全部見てくださる。

神様にもっと愛して欲しい、そんな思いが溢れてきました。そして同時に、神様も人間から愛されたいと感じられていることを感じました。だから私も神様のことをどこまでも深く愛したい、そんな気持ちでいっぱいになりました。

なんだか今までずっと追い求めていた、理想の恋人に初めて会ったような気分になりました。

人間の恋人では、決して得られることのない関係性です。

それと同時に、やっぱりどこか大きな優しく自分を包み込んでくれるような存在に甘えたい、慰めてもらいたいという気持ちも同時に溢れています。

これはずっと私が自分の肉親である父親や母親に求めていた気持ちです。

実際の肉親には、この部分は全く期待することができませんでした。彼らは子供の気持ちに向き合う事がとても苦手で、自分たちのことで精一杯の精神状態の人たちだったからです。人の話を真剣に聞くことができない人だちでした。

だから、小さい頃から、自分の親には、そういった本当は甘えたいという気持ちが湧き出て親に掛け合ってみるも何度もむげにされた経験を通じて、いつのまにかその気持ちに自然と蓋をしていたように思います。

でも、今朝の明け方の悟りでは、神様は私の父親でもあり、母親でもある、どこでも慰めてくださる存在でもあると感じました。

今、私には3歳と5歳の子供がいます。

「ねぇ、パパ見て~!」

自分がちゃんと見てないと、

「ねぇちゃんと見てよ~!」

と怒ってきます。

この彼らの気持ちがよくわかりました。

自分は全く同じ気持ちを神様に抱いたからです。

私は信仰生活を家族には内緒で行っています。以前、妻に話をしたら軽く弾圧されたからです。

でも私は諦めずに、日々神様のために全力で頑張っているつもりです。

当然まだまだ完璧な努力かと言われると、もっとやれる部分はあるかもしれません。

でも一生懸命頑張っています。

その頑張りを常に神様に見ていて欲しいです。

そんな気持ちが溢れています。

そして、愛の対象である神様のことをどこまでも喜ばせたい。その気持ちも同時に溢れています。

私はずっと誰かに心の底から愛され、猛烈に愛する関係を持ちたかったと渇望していました。

でも、この明け方までそのことにずっと気づきませんでした。

見て見ぬふりをしていました。

でも、世の中の多くの人々も、きっと自覚がある、ない問わずそうだと思います。

人間は誰かとどこまでも愛し合う関係を持ちたいのです。

でも人間にとって、それが永続的に成り立つのは神様との関係でしか成り立たないと改めて気づいたのです。

人は、恋人ができると、急に世界が美しく見えたり、性格が穏やかになるものです。

この悟りを得た瞬間、さっきまで見ていたビルや池、広場などの光景全てが急に美しく見えてきました。

また、もう自分を守るために防衛的にならなくてもいい、人生、安心していいんだという気持ちでいっぱいになり、心穏やかにもなりました。

いつもの朝は毎日バタバタしていて、子供たちを急かして、子供が甘えたそうにしても「早くやってね」と甘えさせず突き離してしまうことが多かったります。

そのあとで、あぁ良くなったなぁと思いますが、心の余裕がなかったりすると、そうなってしまうのです。

しかし、今日は自分がどこまでも神様に愛されている存在だという自覚があるので、自然と子供たちの甘えにも余裕を持って応えることができました。

そうだよね。甘えたいよね。そんな気持ちにとても共感できたからです。

今はまだ仕事もお金もまだまだ必要な状況ですが、神様からいただけたこの深く愛し合う関係の素晴らしさの悟りは、そんなものよりも、はるかにかけがえのないものだと感じています。

世のどの、お金持ちも得られないものを、私は手にしたのです。

きっとサタンはまた祝福を奪いに来るでしょうが、心穏やかに日々を過ごせそうな気持ちになっています。

この気持ちをいつまでも忘れず、神様を喜ばせて生きられるものとなれますよう、深くお祈りいたします。

すべての人類がどうか救われますように、そのために、神様の力がこの地上に強力に働かれますように心よりお祈りいたします。

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この記事は、まだ無神論という壮大な洗脳をされている方にとって何か人生を豊かにするヒントになればと思い執筆しています。

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