女性と性的関係をもっても、ただただ苦しむだけだった。誤った価値観に苦しんでいる人は、どうかお読みください。
goodluckです。
さて、本日も私の体験から証について書かせていただきます。
今回のテーマは、異性関係についてです。
私の過去に受けたショックな出来事を赤裸々に書いていくつもりです。
自己紹介でも書かせていただきましたが、私は過去の経験から女性にモテない人生を歩んできました。
女性にモテないという経験から、ステータスを手に入れなければ、女性からモテないし、幸せにもなれないと考えて生きてきました。
私が女性からモテたいと望んだ理由は、そうなったほうが良いというメディアの洗脳からでした。
20代当時のことをお話させていただきます。
・・・・・・
以前からの話の続きです。
私は、過去に女性と付き合うこともなく、誰からも愛されていない、と感じていました。
「今後、自分を愛してくれる人はいるのかな?」
「ネットでは素人童貞のまま30になると、魔法使いになるらしい。自分もそうなるのか?」
私は、前回のような体験を経つつも、資格試験の勉強を続けていました。
ただ、勉強するのが苦痛になったときは、ゲームにふけっていました。
途中から「もうやってられるか!」と思い始めていたのです。
私の生活はすさんでいきました。
そんな最中、試験を受験しました。
まあ、受からないだろう、と思って諦めムードでしたが、結果発表までには時間がありました。
試験後、私はネット販売員の仕事を増やして、フルタイムで働くようになっていました。
それなりに収入が増えてきて、生活するには余裕ができてきました。
ですので、私は風俗に通いだすようになりました。
月1から2回ぐらいです。
私は過去に風俗に行き、初体験は済ませていましたから、風俗に行くことは抵抗感のあることではありませんでした。
当時の私は素人の女性と付き合ったりするなどとてもできないと思っていました。
自分に自信を持つこともできず、今後の将来がどうなるかもわからない、そんな状況でした。
風俗の女性とのかかわりは毎回1時間程度です。
彼女たちはお金を介在して会ってくれますが、性的関係を持つことはできても、それが自分を満たしてくれることはありませんでした。
私を愛してくれるわけではありませんから。
私はただただ愛に飢えていました。
・・・・そんなときに、私は試験に合格したのです。
まさか受かるとは思っていませんでしたが、私はこの幸運に感謝しました。
これで私はようやく次に進むことができると思いました。
そして、私は派遣社員を辞めて、資格を活かす仕事につくようになっていきます。
私は、友人からの誘いもあり当時流行っていた合コン、街コン、パーティーに参加しました。
しかし、コミュニケーション下手な私は、女性とうまく話すことができず、いわゆる汚れ役になるようなこともありました。
汚れ役をすることは、私のプライドを傷つけ、余計に自分に価値がないと思わせることもありました。
ただ、以前と違い、少なくとも社会的ステータスは得つつあったことがわずかながらの救いでした。
私は、自分にコミュニケーション力がないと思っていたので、トークのテンポなどを一緒にいた友人を真似て上達していきました。
そのようにしてコミュニケーションを磨いていったのです。
そして、たまたま彼氏に浮気をされ別れたばかりの孤独感を抱えていた女の子に好意をもってもらうことができ、ついに念願の初彼女ができました。
彼女と早速性交渉を済ませましたが、私は全く満たされませんでした。
変わったことといえば、他人に自分は素人童貞ではないと、心からいえることになったぐらいです。
もともと他人には「素人童貞ではないと」恥ずかしい嘘をついていましたから、他者からみたときに私の何かが変わったわけではありません。
私の劣等感を刺激するものが一つなくなった、ただそれだけでした。
性交渉をしたことによる喜びなどありませんでした。私は、風俗ですでに初体験を済ませていたからです。
むしろ、快楽を得たとしても、一時的なものでしかなく、それによって自分が救われたとは思えませんでした。
・・・これではだめだ。もっと多くの女性と性的関係を持たなければ。
そうしなければ、自分は満たされない・・・
そう思って、私は彼女ができても、彼女を全く大切にすることはできませんでした。
そして、私は、またも合コンなどに積極的に参加するようになります。
ところが、これが彼女にばれてしまい、ふられることになりました。
本当に馬鹿なことをしてしまったと後悔しながらも、私にできることは一つでも多くの出会いの場に参加することでした。
過去を清算するかのように、私は、合コンなどに参加をし続けました。
結果、私は、複数の女性と交際したり、性的関係をもつことができました。
もはや、私は複数の女性と交際することに罪悪感を感じることができなくなっていました。
ただ、複数の女性と交際するためには、「嘘」をつかなければなりません。
「この日は、誰かと予定がある、家族との予定がある、だから会えない。だから連絡ができない。
家に来ることはできない。」こうしたアリバイ作りの嘘です。
私は、こうした嘘をつき続けることが徐々に苦痛になっていきました。
めんどくさいという理由もありますし、いちいち嘘をつくことで多少の罪悪感が頭をよぎったからでもあります。
そこで、私は彼女を一人に絞り、その後は、彼女にばれないように適度に風俗に通ったり、素人の女性とデートしたりなどを繰り返していました。
偽らず言うと、彼女のことは好きでした。
しかし、私は、風俗通いやほかの女性との一時的な関係を完全に打ち切ることはできませんでした。
なぜなら、「複数の女性と関係を持たなければ男として価値がない」「生きている意味がない」と思っていたからです。
・・・・最中、私の年齢も20代後半に差し掛かり、彼女と結婚しました。
結婚式も盛大に行いました。友人も見に来てくれました。結婚により私は幸せになれると思っていました。
・・・しかし、私は、結婚しても結婚前と同じ生活を続けていました。
以前と変わらず、風俗に通い、隙をみて素人の女性と遊ぶ。
私の価値観は結婚しても変わっていませんでした。
むしろ、このように生きることが素晴らしいことだと思っていました。
とはいえ、結婚することによって、時間も場所も制約されますから、以前と同じほど遊ぶことはできなくなりました。
本当に隙を見て、ということでした。
そこに、私の独身の友人のA君の自慢話を聞いていました。
A君はイケメンで、女性からよくモテていました。
今は、だれだれと付き合っている、だれだれとやった、などですね。
私はその自慢話を聞くのが好きでした。
普通なら、こうした自慢話を聞くと嫌になるかもしれませんが、私は自分が自由な立場ではなくなったので、
A君の立場を自身に投影して、自分がそのようにできているかのように夢想していました。
また、A君からはさっさと離婚して、自分と起業しようなどとも誘われていました。
私は、A君の生き方を次第にうらやましく感じるようになっていきました。
そうなると、私は妻につらく当たりました。離婚したくて仕方なかったのです。
私は妻を愛していたはずが、もう愛せなくなっていて、自分を縛る邪魔者のように感じていきました。
本当に最低な人間です。
また、妻からも冷たく当たられるようになっていき、どんどん夫婦関係は悪化していきました。
そして、妻はもともと男性への要求度やプライドが高い性格だったこともあり、私は妻から苦しめられ、妻の性格も含めてますます嫌いになっていました。
そうして、ある日、私は妻に、風俗に行っていたことや女性と遊びに行こうとしていたことがばれてしまったのです。
私は、妻からすさまじく追及されましたが、一切を黙秘しました。自らの保身のためです。
なんなら逆に妻のほうが悪い、などと言って攻めました。
普通に考えれば、もうここで夫婦生活は破綻です。
もう終わりです。
しかし、私は離婚していいし、むしろ離婚したいと思っていたので、ほとんど謝ることさえしていませんでした。
しかし、妻は、私のその気持ちを察していて
「離婚してもいいと思っている人間にこれ以上何を言っても無駄だ」
「でも私は離婚したいと思ってなくてやり直したいと思っている」と言って、なぜか離婚することにはなりませんでした。
やり直したいと言われても、私はそうは思っていませんでしたが、風俗などの点は私が悪いので、それ以上私からは何も言いませんでした。
・・・私の精神状態はもう無茶苦茶でした。
当時は、仕事もうまくいきませんでしたし、妻との夫婦生活もこのように無茶苦茶でした。
私は離婚してもいいと思ってるし、できるなら離婚したい、しかし、妻は離婚したくはない、ただ仲が悪い。
仕事も妻もほかの女も自分を救ってくれるわけではない。
しかし、女遊びを辞めようと思っても辞められない・・・
何か救いはないかと心の中で望んでいたときに私はラプトブログ(http://rapt-neo.com/)に出会いました。
私は陰謀論のブログを読んだりすることがあってラプトブログに辿り着いたわけです。
ラプトブログに出会ったとき、なぜかわかりませんが、この人のブログをもっと読みたいと思いました。
ただ、それだけではありません。当時の私は多くの悩みを抱えていました。
異性の点もそうですが、仕事での悩みもありました。
そうしたときに、ラプトブログに天使と悪魔の話が載っていました。
当時の私は、本当に追い詰められていましたから、藁にもすがる思いと今まで聞いたことのない話だったことから、天使と悪魔の話を読みました。
そして、神と悪魔が実在しているということも。
私は、30年以上、宗教とは関わらずに生きてきました。私の人生と「神」は交わることはないと思っていました。
何なら宗教にかかわると、弱い人間である、だまされてお金が奪われるとも。
ですから、私が通常の「何の苦しみも抱えていない状態」であったなら、私は神と悪魔が実在するといわれても、全く信じることはできなかったでしょう。
しかし、私の苦しみはあまりのもので、何のために生きているかもわからないほどになっていたので、
漠然と「悪魔」がいるんじゃないのか、「悪魔」に苦しめられてるんじゃないかと思ったのです。
そして、もし悪魔が実在して私を苦しめているなら、「どうか神様助けてください。」と心の中で思いました。
「異性と性的関係をもつのはもうやめよう」「神様どうかやめさせてください」
今考えれば、ちゃんとお祈りをささげたわけではありません。心の中でただそう思っただけです。
すると、今までただただ「不安」「苦しみ」の感情だけが強く頭の中にあったものが、なぜか少しずつ溶けていくような感情が生まれてきたのです。
暖かいような許してくれるような。悩みが晴れていくような。
客観的状況が変わったわけではありません。
私と妻の関係は悪かったですし、仕事もうまくいってません。
本当に、客観的にみると、私の何かが好転したわけではありません。
ただ漠然と不安感から解放されていくような印象をうけたのです。
そこから、私は、ますますラプトブログを読み漁りました。
ラプトブログは、私の心と精神を回復させてくれました。
客観的に何かが好転したわけではありません。ただ、私を少しずつ救ってくれている気がしました。
そうしているうちにラプト様が、クリスチャンであることを知りました。
そして、神様が聖書の神様であることも。
私の精神が取り戻されるたびに、私は妻との関係が修復していくのを感じていました。
そのうちに、私は、仕事を辞めようという思いが湧いてきました。
仕事がうまくいかないのは、もしかしたら私個人の能力のせいではなく、
環境や社長から求められている内容が間違っているのではないか?とも感じるようになってきたからです。
当時の私の社長は「儲かれば何をやってもいいんだ」というよう価値観でした。
私は会社の社長で成功するためには、「儲かれば何をやってもいいんだ・悪ですら許されるんだ」と思わされてきました。
私はそのように考えないと成功することはできないのか、と思ってきました。
しかし、ラプト様のブログを読んでいるうちに、自然と善と悪がわけられるようになってきました。
ラプト様のブログ、聖書では、やってよいこと悪いことが、価値観が明確に示されています。
私は今まで、何がよいことで悪いことか、悪いことでも犯罪でないならやってもよいぐらいじゃないと成功できないと考えてきました。
しかし、この考え方は、どうにも私には合っていないことを感じていたのです。
どうにも合わないから、従順にそれに従うことができず、うまくいかなくなってきたのです。
そのように考え始めると、私は、仕事を辞めようという思いが強まってきました。
・・・・・そんなときに、私と妻との間に子供ができました。
妻が妊娠したことを知り、私はなんとも言えない気持ちになりました。
自分に子供ができる、ということが全く現実感のないことだったからです。
私は本当につい先日まで、妻と離婚して自由になる、女性と自由に遊ぶ、仕事をしてお金を稼ぐ、と考えていたはずでした。
そう考えると、子供の存在は邪魔になるはずでした。
しかし、子供ができたと聞いたときに、実感はないものの、ただ嬉しかったのです。
私は、もともと今までの人生を振り返ってみても、子供が欲しいと思ったこともありませんし、子供が好きだったこともありません。
嫌いだったということはありませんが、興味の対象ではないというか、自分に子供ができることがただただ想像もできず、欲しいと思わなかったのです。
しかし、子供ができたと聞いたときに私は、ただ嬉しかったです。
そのときに、私は、これは「兆し」だと思ったのです。
確かに「自分が変わった」と強く自覚した瞬間でした。
神様を知り始めたことによって、私の環境が急激に変化し始めました。
「女性と関係を持つことが幸せ」と思っていた私が、そうは思えなくなってきていました。
「仕事が命、出世が命」と思っていた私が、会社での立場を捨てて、辞めたいと思っている。
妻と離婚し、子供の存在は邪魔だったはずの私が、妻と離婚したいと思わなくなってきて、子供ができたことを喜ぶ。
ここ数年の自分には「ない感情」でした。
・・・・「会社を辞めてどうする?起業してうまくいくのか?怖くないのか?」
今まではそうした疑問が湧いてきて不安になっていました。
しかし、なぜかそうした不安がなくなってきていたのです
(今にして思えば、神様が私の不安感を拭い去る霊感を与えてくれたのでしょう。)
私は社長に会社を辞めることを伝えました。
そして、私は地元で起業することにしました。それと同時に一緒に起業しようと言っていたA君とも決別しました。
地元に帰って起業すると、A君に伝えたとき、A君は案外すんなりとOKしてくれました。
A君からは、そのときに何かよくわからないけど地元に戻ることに私の強い意志を感じる、と言われました。
私は地元に戻って起業する理由を、なんとなく帰ろうと思う、と伝えただけでした。
私は、A君にちゃんとした理由を説明できなかったのです。
別に会社を辞めても、地元に帰らずにA君と一緒に起業してもよいのです。
しかし、A君といたら、問答無用で「異性の罪」と関わり続けることになります。
間違った価値観をいれられ続けることになります。
神様を知り始めた私には、それがわかっていました。
実を言うと、私とA君とは、ほぼ毎日のように1から2時間ぐらい会ってしゃべるぐらいの仲のよさでした。
私にとって、A君は人生を通しても「親友」と呼べる存在でした。
はっきり言って、妻よりもA君のほうを人間的に好きだったことも多々あります。
A君は人間的に魅力的でした。イケメンですし話も面白い。頭もいい。
私と親しい友人でいてくれることは私からすれば本当にうれしいことでした。
そんなA君と、これほどあっさり決別できることが不思議でした。
私からすれば、もっと未練があっていいはずでした。
しかし、不思議と自分の中で整理がついていて、A君と決別することができたのです。
きっと、A君が「強い意志」を感じると言ってくれたことの中に神様がついていてくださったのだと思います。
「神様」がいなければ、私はA君と決別できなかったでしょう。私の友人関係については、また別途の証で述べさせていただきます。
すでに私にとっては、A君よりも神様を愛していたのだと思います。
「義」と「善」が私の中に息づき始めました。
神様は、生きながらにして死んでいた私を神様は生ける者にしてくれました。
この出来事は、私がラプトブログを読み始めて、2か月もたたないうちに起こったことです。
神様と出会っていなかったら、これほど心境に変化が生じるでしょうか?
たった2か月で、今まで積み上げてきた人生の価値観を変えることができるでしょうか?
神様がいなければ絶対に不可能だったと思います。
・・・・・・・
どうだったでしょうか?
私は、異性の罪に翻弄され、「女性にモテないといけない」「性的関係を持っていないとカッコ悪い」「複数の女性と付き合うことはよいこと」
と思って生きてきました。
しかし、私は、異性や妻に救ってもらったということはありません。
むしろ苦しめられました。
私を救ってくれたのは、ただ神様でした。
もし仮に、あなたが、世間や知人友人のこうした価値観に振り回され、自分を見失っているなら、どうか神様に出会ってみてください。
女性と性的関係を持ちつづけ、辞められないというなら、神様に出会ってください。
あなたの独力で、性的誘惑から逃れることは不可能です。
神様に出会い、その霊感を受け、悪魔の誘惑を追い払わなければ、自身の価値観を変えることはできません。
性的誘惑に対処することはできません。
どうか、あなたに神様のご加護がありますように。
どうか、あなたに神様の愛が与えられますように。
最後に、ラプトブログはこちらです。