【レポート】2022年度のAIに関する取り組みについて|振り返りミーティング|2023年5月23日
少し時間がたってしまったのですが、昨年度のAIに関する取り組みの振り返りミーティング(オンライン)の内容を公開します。
プロジェクト監修者の徳井さんや、参加いただいた福祉施設「片山工房」、「たんぽぽの家アートセンターHANA」のみなさんを交え、全体監修の小林茂さんのコーディネートのもと、活発な議論が行われました。
現在も新たな事例づくりに取り組んでいる本プロジェクトですが、ツールと人との関係性や、様々な人の声を聴きとりながら長期的にプロジェクトを進めることの必要性など、重要なポイントが示されています。ぜひご覧ください。
出席者(順不同)
徳井直生(株式会社Qosmo代表)
新川修平(NPO法人100年福祉会 片山工房 理事長)
川本尚美(NPO法人100年福祉会 片山工房 アートディレクター、学芸員、写真家)
図師雅人(社会福祉法人わたぼうしの会アートセンターHANA スタッフ)
コーディネート:小林茂(情報科学芸術大学院大学[IAMAS]教授)
事務局:小林大祐、岡部太郎、後安美紀、森下静香
オブザーバー・記録:井尻貴子
「表現に寄りそう存在としてのAI」を振り返って
小林茂:今日は皆さんお集まりいただきありがとうございました。これから、「表現に寄りそう存在としてのAI」の振り返りを行いたいと思っています。
最初に私からどういうことをやっていたのかを共有したあと、振り返ってみて思い出したことや、新川さん、川本さん、図師さんから、徳井さんに聞いてみたかったこと。あるいは、徳井さんから、新川さん、川本さん、図師さんに聞いてみたかったことを出していただきたいと思っております。
また生成系AIをめぐり、特にここ2ヶ月でかなりいろんなことが変わってきましたので、そこで変わったことや、変わらないことを伺えるといいのかなと思っています。また最後に、もし今年度取り組めるとしたら、こんなことやってみたいなあというのをお話しできますと幸いです。
では最初に、簡単に、どんなことをやってきたかの共有から始めていきたいと思います。
「Art for Well-being」は、たんぽぽの家・アートセンターHANAのアーティスト武田佳子さんの取り組みをきっかけにして、それを本格的に進めようということで始まり、途中でそのプロジェクト自体の方向性を変えるということを経て、この展覧会から本格的にスタートしました。
これまでのワークショップで出てきた様々な問いには、
・協働で作品を作るということに対する根源的な問い
・創造性をめぐる人間とAIの関係性に関する問い
といったものがあり、今まさに生成系AIをめぐって盛り上がっている議論を、ある意味先取りするような話だったのかなと思います。
その後も、<新たなサポーターとしてのAIに着目した取り組み>として、たんぽぽの家・アートセンターHANAのアーティスト十亀史子さんが、プロンプトで画像を生成した後、それを元に絵画制作を始められたということがあったり、他にもワークショップに参加された方で、ぜひそうしたことをやってみたいと意欲を示された方がいらっしゃったりもしました。
その後に、Stable Diffusionを用いたワークショップを1月にアートセンターHANAで、2月中旬に片山工房で開催。進め方としては、AIモデルの説明をしっかりした後に、自由な発想でプロンプトを考えて画像を生成したり、メンバーの画風を模倣した画像を生成したりするようなことをやってみたりして、バリエーションを色々試した後で、参加者全員で振り返り、感想を共有するというようなことを行いました。
そこでも、色々な話題が出てきていました。この画像生成AIを用いた活動に、みなさんそれぞれ関心を持って取り組まれていて、そこには複雑な感情が伺われるようなことがあったり。
あと、参加した多くの方にとって、AIの仕組みを理解する、Diffusionモデルみたいなものを理解するというのは困難だったんですが、一方、スタッフからは、「今回のような、先端技術にまつわるトピックに一緒に触れる、考える、という機会を設けること自体が、時代からメンバー(ひいては障害のある方々)を排除されない、取り残されない、ともに参画している、というような肯定的な感情をもたらす機会ともなる」という話もありまして。これは重要な指摘だったと思います。
また、やっていく中で、多くの方が「スタッフとの協働関係が楽しかった」と回答されていました。これは、従来のと言いますか、一般的なツールでいくと、メンバーのアイディアをツールを操るスタッフが形にするということがあるために、どうしてもスタッフが優位になりがちなんですけども、今回のようなツールの場合には、テキスト入力などはスタッフが行うけども、プロンプトを考える作業というのは両者の協働になっていく。
AIというのが圧倒的な他者であるということで、障害の有無というのがもしかしたら無効化されるということもあり、対等に取り組める関係ができていたのではないかと思います。
その後行った東京でのシンポジウムでは、登壇者から下記のような話が出ました。
また、3月下旬に京都で行った報告会では、いくつかの話題として、
というご指摘もいただきました。
また、十亀さんの6枚組の作品が、ついに完成されたということで、実物を見るのが非常に楽しみですし、それを通じて、十亀さんがどう思っているのかなどもお話しできたらいいのかなと思いました。
以上、振り返ってみました。ここまで思い返してみて、どうでしょうか。
“障害を持つ方のために”って?
徳井:やっぱりこの2ヶ月、技術の進歩が早くって、僕自身もついていくのが大変みたいなところもあったりします。技術をキャッチアップしながらそれを人に伝える、使える形に翻訳していくというのは結構難しい作業だったなと振り返ってみると感じます。さっき、「もうちょっと慣れていたら、もうちょっと自由に表現できたんじゃないか」というご指摘がありましたが、まさにおっしゃる通りだなあと思って。ただ、技術をつくっている方も、僕たちみたいに技術に慣れている人たちでも、まだどういうふうに使ったらいいか見えていない部分もあって。
そのあたりは、日々、試行錯誤を続けていくしかないなという感じはありますね。
小林茂:確かに、本当に変化が激しすぎて、2ヶ月、3ヶ月前とはだいぶ違っちゃうよねっていうところもありますよね。
岡部:これほど、事業と社会的な意識の変化が同時並行で起こったのは、ちょっと珍しいなと思って。たとえば、他の人に「AIを使って」という話をすると、色々な反応があって。怪訝な顔をされる方から、期待しているっていう方もたくさんいて、関心の高さが感じられました。
先ほどの小林茂さんの話の中にあった「関係のあり方が、他の表現形態とはちょっと変わっている」というのが、そもそもArt for Well-beingのプロジェクト自体が、自動生成とかテクノロジーを使うと言いながら、人の関わり具合が結構大きい。多数のいろんな人が関わるというのが、他のアートプロジェクトと違うところだなと。
徳井さんがおっしゃっていた専門性があると思われていた人も悩みながらやっているところも含めて、可能性を感じるプロジェクトだったなと思います。
小林茂:関わっているみんな、それぞれ専門性とか理解の深さとか、興味の角度とかは違うけれど、みんな同じように悩んでいるという意味では共通しているというか。そういうのはあるかもしれないですね。
新川:そうですね。冬のイメージですね。なんか今から春が来るぞっていう時に、こういう機会をいただいてやったような気がしていて。確かにスピード感もあってやったけど、僕らからしたら、受け身が多いんですよね。なので、AIとかロボットとか、ざっくり、小学生とか中学生が出てくるような言葉を僕たちは理解しながら、進んでいったところがあった。
確かに、この2ヶ月で、娘から「ChatGPTっていうのがあんねん」とか、ニュース見るとAIの話が出てきたりとかいう状況で。障害のある人だけとかそんなんではなくて、僕自身にも関わっていること。ちょっと書類書こうと思ったら、これでできるやんとか。この1ヶ月くらいで、本当に僕の生活の身近なところにきたなという感覚がある。
でもここは、障害のある方がメインのステージだと思いますので。区別したらダメだけど、でも、障害のある方とどういうふうに携わるのかなって考えていました。
小林茂:確かに、ChatGPTとかが、一般の人の目に触れるちょっと前だったっていうのもありますので、そこで大きくギアが入ったところは実際にありますよね。
徳井:改めて思い返してみて、今回一番苦労したのは“障害を持つ方のために”っていうところだなと。AIを使って何か表現するっていうことでいうと、障害のあるなしっていうのは実はそんなに関係なくて。新しいテクノロジーを表現の領域でどう活用するかっていうのは、人類全体が今向き合っている問題だったりするので。
特に、今回のワークショップに関して、障害のある方のための支えになるような、役に立つようなとか、そういうものとしてテクノロジーを提供するというのがどういうことなのか、自分の中で噛み砕ききれなかった。
変に区別したり差別したりしないっていう意味では悪いことではないのかもしれないけれど。そこに苦労したっていうのを思い出しました。
小林茂:その辺り、かなり重要なポイントなように思います。おそらく、支援とは違うモードだよねっていうのは合意が取れていた気がしますが、じゃあ、それがなんなのっていうのははっきりしないまま進んでいたところもあって。暗黙のうちに、こういう方向はありだけど、こういうのはなしだよねっていうのはあったと思うんですけど。その辺り手探りだったとは思うんですよね。
森下:最近ずっと思っているんですが、たんぽぽの家も、障害者アートという言葉を宜上使うこともあるんですけど、基本的にそういうものはないっていうのも重々わかっていて。山野さんのアートとか、武田さんのアートとかいうものはあるんですけど。でも、いろんな企業とか行政とかとの関わりの中で、「障害者アート」という言葉をあえて使うこともまだあって。
そういう中で、「障害者」っていうのを、どう捉えて、どう説明したらいいのかっていうのが、もはやわからなくって。その人が何かにアクセスしようとした時に障害とか障壁というものはあって。それはたとえば、英語が苦手でとか、入力しにくいとか、そういうことにおいて障害ってあるんですけども。
障害者という人は、十把一絡げではないからこそ、障害者に向けてやろうとしても難しくてですね。これはもう、何をしていても最近思っていて。
また、それとは少し違うんですが、Good Job!センター香芝で取り入れている3Dプリンタは、2010年くらいに日本で普及し始めたものなんですが、そこから10何年経っても、見学に来られて初めて見る方もたくさんいらっしゃって。そこでいうと、障害のある人のためにっていうのとはまた違う、そのこと自体に触れる人、触れない人っていうのもいるんだろうなって思ったりするので、障害者だからどうっていうことでもないのかなって思ったりもしました。
改めて、この事業をやりつつ、障害者っていう括りが難しいと感じています。ないというか、いろいろそれぞれの、聴覚の障害とかアクセスのしづらさというのはあっても、そこのためにやろうとすると、難しいんだなと思いました。一方で、福祉の現場、ケアの現場の特異性はあるような気がしているので、その中で何ができるかを見ていくことはできる気がしているし、個々の障害に対してできるところを見ていくこともできる気がしています。
小林茂:今回の取り組みって、武田佳子さんという方がいて、武田さんの話が起点になって立ち上がった後、1回、障害のある人みたいに抽象化された時期があったかなと思いまして。そこからまた十亀さんみたいに、顔が見えてくるんですけど。抽象化した瞬間に、なんだったっけ?みたいになっちゃったのはあるかなと思いますね。それは、「障害のある人」を誰か一人が代表できないということとは、「Z世代」とかも同じというか。Z世代を誰か一人が代表することはできないというのと同じような問題のように思います。
それが、武田さん、山野さん、深田さんとかって顔が見えたら、どういうコラボレーションがあるんだろうっていうアイディアが出てきそうな気がするんだけれど。障害のある人って言ってしまった瞬間に、急にスーッと遠くなっていく感じはあったかもしれないですね。
ワークショップ後の変化
川本:(片山工房のメンバー)深田さんがAIで生成した絵をもらって、その後どうなったかというと、片山工房では、何も変わっていないというか(笑)。
あの時はあの時で楽しかったっていうのはあるんですけど、翌週から、いつもの絵の続きをやる、という感じで。AIのワークショップから何かこう……もしかしたら、内面的なものがあるかもしれないけれど……片山工房でそれをすごい出すみたいなことは、今のところはなくて。いつも通りゆっくりお茶を飲んで過ごしながら、絵を描いていらっしゃるというのが現状で。でも、ワークショップをしたことが嫌だったかというと、そんなことはなくて。あれはあれですごい楽しかったなと思ったし、有意義な時間だったと思われているなというのは、その後もお話ししていて思いました。
それと、スタッフとしても今回のワークショップでは英語で入力しないといけなかったので、変換するのはどうしたらいいだろうっていう戸惑いとかあったりして。でも、私は凪さんというメンバー関わらせていただいて、一緒に画像生成をさせてもらったんですけど、いつもより以上にコミュニケーションをとったっていうのは面白かったなと思います。「あ、凪さん、こんなふうに考えているんだー」とか、より一手間加わったことで、不便さというところが、逆にお互いのコミュニケーションが密になって楽しかったなというふうに思いました。
小林茂:日常の出来事の1つとして、当たり前に受け止められたという感じなんでしょうか。
川本:そうですね。あ、こういうこともあるよねって。でもそれが、図師さんが前に言っていたように、自分の中でAIというものが馴染むまでっていうのは、時間とかも必要なのかもしれないんですけど。でも入り方としては、もう無理っていうのではなくて、そんなことできるんだっていう形ではじめ入ったので、経験とか、時間をかけていくと、深田さんとか凪さんの中でも変わるものがあるのかもしれないし、私自身も関わり方も、またいろいろ変わっていくのかなって思いました。
小林茂:片山工房から参加されたお二人のメンバーは、その後は特に影響がわかる感じではないっていうことでしたが、HANAの方ではいかがでしたか?
図師:変化はあったと思うんですよね。先週の金曜日に十亀さんが無事、絵を完成されまして。本当に喜んで。僕らも嬉しかったですけど、本人がすごい喜んでいたのが印象的だったんです。
それまでに、本人にとってはすごくしんどい時期もあって。AIに対しては、本人はいろんな気持ちがあって、興味本位のところもあれば、やってみたいという前向きな気持ちでチャレンジしたいって取り組んだというのもあったけれど、出てくる画像のレベルが、いつも本人が選んでいる……図鑑とかから、これ描けるって選んでいるものではなくて。そういう難易度とか関係なくやって。それを本人も判断がなかなかできていなかったところもあった。
その上で、制作の苦しみというのもきて、1回僕が立ち会った場面では、嗚咽混じりに泣いて、もうやらないとかそういうことは言わないけど、明らかに本人に負担がきているっていうことを少なくとも僕は感じて。アトリエの横のベンチで、二人で話したり。
振り返ってと言われると、僕は、A Iとかなんやかんや言う前に、そういう場面やエピソードが出てくるところがあって。結局そこに、僕だけではなくて、アトリエのスタッフとか、他のスタッフが、十亀さんに何か声をかけられるような環境がなかったらどうなっただろうと。この十亀さんのプロジェクトが始まるってなったときに、僕とアトリエ担当の吉永さんとで「十亀さん、絵描かなくなるかもね」って話していたくらいなので。僕よりも長い間、十亀さんの活動を見てきている吉永さん(※アートセンターHANAのスタッフ)ですらそういうふうに思っていた。
そういう繊細な状況の中でということはあったけれど、結果的には、どんどん前向きな気持ちになって、本人も気持ちを大きく吐露して、じゃあここが難しいところなんだねっていうところで、本人と真剣に話せる関係や環境をつくって進めてきたところがあります。振り返って、自分にとって大事だったのはそういうところですね。
AIの進化とかは自分もできる範囲で注視していて、ついていけるのかなって思ったりもしますけど、そういうスピード感のあるものの中で、ついていけなかったりとか、現実的に向き合わなきゃいけないことが出てきたときに、本人の折り合いのつかなさみたいなものも出てくるんだろうと思うと、AIと本人の間の人たち、周りの人たちの在り方とか考え方をどう持っていくといいのかな、ということをすごく考えます。
小林茂:さっき示した図では、三角関係を、スタッフとメンバーとAIというふうに割と単純化して書いたものの、スタッフと言っても、アートサポーターの方以外にもいて、そういう関係性の中でああいうことが起きているというのは、改めて意識しておく必要があるなと今のお話を聞いて思いました。
先週、十亀さんが6枚組を完成されということなんですけど、確か3月の展覧会の時点では1枚目がなんとかできたということで、1枚目ができるまでには確か3ヶ月くらいかかったんですかね。そう考えるとめちゃめちゃスピードが上がった。
図師:本人もやり方を覚えたということもあるかもしれないし、もしかしたら展覧会に向けてというのが、本人にとってはハードルになっていたかもしれないので、やりきったということも含めてなのか。成長っていう言葉を僕が言うのも変なんですけど、明らかに本人は成長したということができるんだろうな。半年以上かけて、大変なことをやりきったんだなと。
小林茂:十亀さんは、その後、たとえば、もっと次にそういうモチーフでチャレンジしてみたいとか、これはもう今回やったからいいかなとか、どうでしょうか?
図師:そこは本人もどうしようかなっていうところではあったんですが、次のモチーフは、今回のプロジェクトとは別のところで、本人が興味を持ったモチーフに取り組もうかなと話してはいました。
小林大祐:2023年の4月に、文化庁への報告書をまとめる過程で、十亀さんにアンケート回答とインタビュー協力をお願いしたんですね。そのアンケートでは、十亀さんは、満足度「大変満足」、達成度「想像以上に達成できた」と回答されていました。その理由も、紹介しますね。
小林茂:今、画像生成系AIで一番問題になっている、デジタルで絵を描く人たちと、画像生成系AIの対立みたいな話がありますが。
十亀さんはアクリル画で、しかもアクリル画って言っても、普通のアクリル画を遥かに超えた絵の具の量といいますか、立体物に近いような描き方をされる方で。パッと見れば、そこに、その人のかけた時間とか思いみたいなものが読み取れるような、すごく物質を感じさせる作品を描く方だと思うので。画像として並べると、AIが描こうと、人が描こうと同じに見えてしまうっていうものとの違いは一個あるのかなと思いました。
また、画像生成系AIも、この時はまだみんなが気軽に使えるような感じではなくて。写真みたいな高解像度のものは生成できないモデルでした。
それが結果的に、十亀さんの場合には、本人の想像力を引き出すとか、勝ってやろうみたいな意欲を引き出すことができたのかなと思って。その辺りも、結果的にはスタッフの皆さんのサポートもあって、ご本人にとってもwell-beingな体験になったと思うんですけど。
その辺のバランスが、後からは何とでも言えるんですけど、そのとき、本当にそれでよかったのかみたいなことを改めて思いました。
小林大祐:先ほどの茂さんのスライドにあったように、十亀さんの絵のモチーフには白い線が書かれていて、番号が振ってあるんですね。その白い線はアートサポーターが書いてくださっていて。番号は、全部、僕が十亀さんと一緒に書いたんですね。絵の具の色の番号で、例えば、2番のアザラシのところだったら、この色にしよう、ちょっと金色っぽい色にしようって相談して、絵の具にも番号を貼って、この下絵の方にも番号をふるっていうようなやり方でやっていて。僕自身、アトリエの中で作家さんと一緒に何かやるのが初めてで。これでいいんかなと思いながら一緒にやっていたんですね。
でも、今まで関われていなかったけど、今回の取り組みによって、十亀さんと一緒に制作活動に関わらせてもらったというところは、個人的にはすごく嬉しかった。
図師さんにはどう見えてたんかな。
図師:小林さん大変じゃないかな、とかそんくらい(笑)。いろんな人が関わるのはいいと思います。もしそこで混乱が起きそうだったら、僕らも環境を整える役割で入ったかもしれませんが、十亀さん自身が、小林さんとやりたいっていうのがあったんで。小林さんからもらえた仕事っていうか、そういう関係性をすごく大事にされる人だなあという印象があるので。
だから、僕が手伝えるよって言っても、そこは小林さんがいいみたいな感じもあったんで。それは、ご本人が、制作のマネージメントができるので、任せつつ、何かあったら言おうかなと思っていました。
小林茂:いろんな関係性の中でできているんだなっていうことが非常によくわかるというか。AIを使って生成するという単純な話ではなくて。見本があったらそれを模写するっていう関係でもなくて。そこにいろんな人々の関係があって、初めてできているっていうことを改めて思いました。
プログラミングを見せるということ
小林茂:新川さん、川本さん、図師さんから、徳井さんに、ここってどうだったんですかね?って聞いてみたかったことは何かありますか?
川本:今回、画像生成をするときに、入力をスタッフがするような場面を作られたっていうふうにお聞きしたのですが、それは意図的にコミュニケーションをとるっていうことを考えられた、画像生成のプログラミングだったのでしょうか?
徳井:一つは、英語に変換しないといけないっていうところがあったんですね。そこは自動翻訳とかを使わない限り、必ず出てくるところなんです。迷ったのは、今、ウェブ上で、検索するような感覚で文章入れたら、パッと画像が出てくるみたいなツールもあるので、そういうものを使うのがいいのか、それともプログラミングの中身が……その、何が書かれているのかっていうのがわからなかったとしても、何かプログラミングして、それが生成の結果につながっているのが見えた方がいいのかは結構悩んで。
結果、プログラミングが見えるような、スクリプトを動かして、というふうにしたんですね。
それに関しては、僕も、どっちがよかったのかわからなかったところではあります。実は、もっと単純に、ウェブサイト開いて文章を入れたら画像が出てくるみたいな仕組みの方が、何回も繰り返して使えて良かったっていうこともあるかもしれないですし。その辺りいかがですか?
川本:コミュニケーションがスムーズじゃなかったのが、英語に変換しないといけないとか、結構考えながらで、結果としてお互いコミュニケーションとりながらするのが逆に良かったなという気もしていて。
徳井:確かに、そこはいい部分と悪い部分がありますね。ウェブサイトを開いて文章を入れたら画像が出てくるっていうのだと、確かに使い勝手はいいけど、そのままスルーされるっていうか。ありがたみがないっていうのはちょっと言い方が違うかもしれないけど。そこは結構迷ったところです。
どういう使い方をしたら、絵を描く楽しみにつながるのか。
徳井:1回ワークショップをやってみて面白かったけど、その後あんまり使わなかったっていうのは示唆的だなあと思っていて。アーティストの方や絵を描いている方に、健常の方でも、多分こういうワークショップをやって、面白がって使う人と、ワークショップだけやって使わないっていう人と、いろいろ出てくると思うんですよね。それで「AI使ってなんかやると面白いでしょ」というのは、僕だったり、施設の人だったりの思い込みがあるような気がするんですね。
絵を描いている人からすると、効率化にはつながるし、今まで絵に入らなかったようなリファレンスになるような画像をパッと生成して、絵を描けるとか。
今、AI絵師とかって言われて、AIで生成した画像をそのまま公開したりとか、ちょっと問題になってきているけれど、効率というか、経済的な論理で動いていたりしていて。AIを使うことが、絵を描く楽しみに直接的につながっていないんじゃないか。
僕はAIを使うことで、新しいアイディアにリーチできるといいなと思っていて。楽しみで絵を描いている人が、AIを使うことで、より楽しくなるっていうのはどうしたらいいのか。大きい課題として見えてきたなと個人的には思いました。
どういう使い方をしたら、絵を描く楽しみにつながるのかな。
紙や鉛筆みたいなツールになるか
新川:片山工房から今回のワークショップに参加したのは深田隆さんと凪裕之さんでしたが、すごく理解度が早い人たちを僕たちは選んじゃった。選んじゃったというのは、時間も短かったし、本当は選んだらダメなんだけど、その時に、お互いなめらかにいくには選ばざるをえなかったところがあった。そういう人らって僕らと同じで、多分、AIとかを真新しく思っていないんですよね
AIがくるぞ〜っていう職員さんとか施設とかは、AIがきた〜、未来がきた〜みたいな雰囲気のところが多いと思うんですね。でも重要なのは、使ってみたその先が、ワクワク感につながるか。
やっぱり、障害のある方とどうするかっていう以前に、どうしたらみんなもっと面白いことできるんやろうって。紙と鉛筆くらいのプラットフォームがあればもっとみんな入るんじゃないかな。障害のある人だからっていって、変にAIのハードルを上げようとするから、すごくぎこちなくなっているというか。もうちょっと真っ平なところにみんなが立っていければ、僕が参加者を選ばなくても進みますから。紙と鉛筆とAIっていうのがすごく近い関係じゃないと誰も使えないってなってしまうんじゃないかな。すごく使う人を選んでいるような気がしています。
それと、一番大事なのは、本人が本当にそれをのぞんでいるか。そういうのを本当にしたいのか、という本質的なところ。
小林茂:ツールになるとか、完成度が上がるっていう時に、一般的にコンピュータが関係すると、いかに人の関与が少なくできるかっていう、少なければ少ないほど完成度が上がったっていうことになりがちなんですけど、今みたいに鉛筆とか絵筆とかの話でいうと、それとはまた違った方向に発展させていく必要があるってことですよね。
今回、なんであえてスクリプトを見せたのかっていう時に、徳井さんがなんであれを選んだのか考え方として私個人としてはわかるところがあって。ある意味、未完成感というか、手触り感が感じられるという狙いとしてうまくいっていた部分もあれば、それはそれで一つの手触り感なんだけど、違う手触り感の感じ方みたいなものもあるかもっていうところで。でもそれはどういう方向に持っていけばいいのって。
システムが一方向という問題
徳井:システムが一方向なのが問題なのかなと思って。結局、文章を入れたら何か画像が出てきます、それを見て、また文章を書き直して入れたりはするんですけど、出てきたものに対して人がフィードバックして、それに対してまたAIフィードバックするみたいな、ここの行ったり来たりっていうのがあんまり実現できていなくて。
人が入れてAIが出す、人が入れてAIが出す、みたいな一方向になっていたのが飽きてしまう原因なんじゃないかなと。もし次にアップデートするとしたら、その辺を考えたいなと思いました。
小林茂:さっきの三角関係の図を描いたときも、実はそこは悩んだところで。
AIツールの方に向かう矢印だけなのか、返ってくる矢印もあるのかな。でもまだないよなと思ったんですけど。そこがあるとだいぶ違うものになるのかもしれないですし。でもそこは、まだ他でもあまりできていない。注目されていない、気づかれていないところなんでしょうかね。あるいは、こういうのならもうできているかもとかってありますか?
徳井:例えば、Blenderとか、3DCADとかの中に画像生成のエンジンが今、インテグレードされようとしていて。自分が描いた3Dの形に、テクチャーをつけてあげて、またその3Dの形に削ったりとか変形させたりすると、また生成される画像がちょっと変わったりみたいな。そういうインタラクションは実現されようとしていますね。確かに、DALL·Eとかも画像入れて、そこから画像生成したりとか、あるにはあるんですよね。でもそこまで重視されていないというか。
小林茂:それでちょっと思い出したのは、徳井さんがやられているAI DJ Projectって、いいなあというか、うまいなあと。あれって、おがたいに曲を掛け合う、「バック・トゥ・バック」っていう、DJブースに2人同時に入り交代で曲をかけるDJスタイルがあるところに乗せている。「そうきたか、じゃあ次どうするか」みたいなやりとりをするっていう、ある意味約束事があった上で進んでいくから、一方的にならないっていうのがある。たとえば、絵を描くのに限らないんですけど、創作のときには、約束事にうまく乗っけると、そういう行ったり来たりの感じが出せたりするんですかね。
徳井:絵の世界でそういう約束事ってなんなのか。たとえば、短歌だったら、連歌とかそういうフォーマットがありますよね。
小林茂:そういうルートの中に人もAIも同じように入っていったら、矢印が一方向で止まらないみたいなのがあったりするのかもしれないですね。
AIをめぐる変化
徳井さんへの質問になるんですが、この2ヶ月間ですごく状況が変わって、専門家ですらそれについていくのが大変だというお話をされていました。徳井さんの本『創るためのAI 機械と創造性のはてしない物語』(2021年、BNN)が増刷されましたよね。
この2ヶ月間でもいいですし、この本を出してからでもいいんですが、何が変わって、何が変わらないって考えておられるのかをちょっと聞かせていただけますでしょうか。
徳井:今ちょうど、英語版の翻訳が佳境になっていて。ほぼドラフトが出来上がってきているんですが、ちょっとそのままじゃ出せないなあという気がしていて。あまりにこの2022年でAIをめぐる状況が大きく変わっているので。まさに今、変わっていること、変わらっていないことみたいな章を追加しようと思って、書いているところなんです。変わったこととしては、精度が大きく変わったっていうのが1番大きい。今までは、AIが持っているある種の不完全性や、人間を模倣しようとして模倣しきれないみたいなところに面白さを見出していて。そこに、新しいアイディアを人が得られるチャンスがあるんじゃないかなと考えていたんですけど、最近は精度が上がって、人が書いたのと変わらないような文章とか絵が出てくるようになった。一方で、何が起きているのかって考えると、より優等生的になったというか。
それっぽさの権化
徳井:それっぽさの権化。みたいな言い方を僕はよくしちゃうんですけど。〜っぽい。少女漫画だったら少女漫画っぽい、イラストだったらイラストっぽいレシピを聞いたら、それっぽいレシピを返してくれる。インターネット上の集合知から抽出した最大公約数的なというか、それっぽいものが返ってくる。それで、結構多くの場合に、それっぽさで事足りてしまうってことがわかったっていうのが、結構大きい。人間の知能ってすごいって思っていたけど、実はそれらしいことを返せれば、みんなそれでおーってなっちゃうっていうのが、わかってきたことなんじゃないかなと思っています。それが、絵を描くことの楽しみにつながっていないことが僕は問題だなあと思っていて。
商業的なイラストを描いている人や、何か仕事としてやっている人は、確かにそれっぽいものが描ければ仕事になってしまうところがある。
でも、自分の楽しみのために描いている人とか、新しい表現をつくろうとして活動しているアーティストの方にとっては、それっぽさはそんなに必要なくって。そこからどう逸脱するかみたいなことを考えるのがアーティストだし。
だからといってChatGPTとか、Stable Diffusionをさげすむ必要もなくて。僕はDJだなといつも思っていて。Twitterとかにも書いているんですけども。結局DJっていうのも、既にあるコンテンツを組み合わせていて、要素要素は既にあるものだし、場合によってはもうみんなが使い古したサンプルとかを使って新しいものをつくるっていう人もいる。要素要素は新しくはないんだけど、組み合わせだったり流れを変えたりすることで、全く新しい流れ、表現をつくる。それをDJは音楽の世界でやっていたんですけど、そういうことが、画像だったり、文章だったり、いろんな領域で手軽にできるようになった。逆にいうと、こういうツールを使って何か新しいものをつくろうとする人は、過去の作品だったりアーティストだったり、そういう歴史のことを知らないと新しいものは作れなくて。その辺りもすごくDJ的だなあと思っていたりします。そういう、要素要素は古いんだけど組み合わせによって新しいものが生まれてくるっていうのはDJの世界を見ていてもよくあることなので。だから、こういうツールを使って、新しい表現が生まれてくるということは十分あり得ると思います。それっぽさの権化だからといって、意味がないとか価値がないっていうことを言いたいわけではなくて。そんなふうに捉えていますね。
今日のお話だと、描く楽しみにつながるっていうのは、もうちょっとどういうことなのか考える必要があるなと思いました。
小林茂:それって非常に大事だなと思うんですよね。AIによって仕事が奪われるみたいな話がありますが、奪ってくれない、人がやんなきゃいけないことって色々あるなとも思うんです。たとえば、意味を見出すとか。生きることに楽しんだり、苦しんだりあると思うんですけど、その楽しさを見出すっていうのは、AIがやってくれることではないし。それぞれの人がやんなきゃいけないことだなと思った時に、それをどういうふうに、より深めたり高めたりできるのか。これは、AIにはどうやってもわからない話なんじゃないかと思うんですよね。それは人間がやらないといけない仕事だなと。
徳井:そこはAIの精度が上がっても変わらず課題というか、考えなきゃいけないところですよね。余談ですけど、最近読んだ記事に、「AIっていうとすぐビジネスを最適化するとか、新しい価値を生み出す、みたいなことばかり言っていて、一般の人が、精神的なものも含めてそれによりどう豊かになるのか。そういう議論がされてない」というような内容のものがあって、その通りだなと思って。僕も新しい表現を目指すとか、そういうことばかり言ってないで、根源的なところ、小林茂さんがおっしゃった、どう楽しみを見出すのかみたいなところにつながるツールを考えられたらいいなと最近思っています。
テクノロジーのおもしろさとは?
図師:今回、関わりながらも思ったんだけど、テクノロジーに対して自分が距離をとりすぎてしまうと何も進まない。だから、どうやって楽しんでいくかを考えていて。自分の主体性っていうのをどう考えていくべきなんだろう。
徳井さんや、Good Job!センターの小林大祐さんとか後安さんとかは、そういうテクノロジーに関する研究をしていたり、アートにしようとしていたりとかってことを専門的にやられていると思うんですけど、テクノロジーに関することを楽しいって思った、初めの動機を聞きたいと思いました。
専門的にやられている人たちが、こういうのがおもしろいんだよっていうのを聞きたいなあと。と言うのも、僕は、今、陶芸のプログラムをの一つを担当しているんですが、実は、陶芸をやったことがないのにそのプログラムを任されたんですね(※アートセンターHANAの”創作陶芸プログラム”。ほとんどのメンバー、スタッフが陶芸未経験で2020年からスタート)。でも、僕も美術作品をつくるので、陶芸の楽しみはわからないんだけど、同じレールで、ものをつくる楽しみとか、土を触る、粘土を触る楽しみとか、造形できる、どんどん形ができていくことの楽しみとかなら伝えられるし、それが根源的な部分かなと。そこなら、メンバーと一緒にできるなっていう気持ちで、そこを大事にしているんです。ここがおもしろいよねっていうところが、お互いに認知し合えているかどうかは、すごく気になるところで。
今の話を聞いていて、テクノロジーに対して、そういうことを専門的にされている人たちが何をおもしろいと思っているのか、聞きたいと思いました。
後安:テクノロジーが単なる道具じゃなくて、ちょっと擬人化できる、親しみがあるっていうのを、つい最近思いまして。それは、自分が、どちらかというと画像よりも文章を扱っているからかな。AIが雰囲気書きしてくるわけなんですよ。それに対して、この人に負けたくない、みたいな。人と同じような感覚をやっと持てたというか。それは楽しいなって思ってます。最近やっと。
それで、十亀さんのことも勝手にわかったというか。文章とかで雰囲気書きしてくる人に対して、この人、どこからどう引っ張ってきて、っていうのがある程度、専門とかのことであれば、ここから引っ張ってきてってわかるじゃないですか。でも、それ以外のあやふやなところも相当誤魔化して、それっぽくしている時に、多分画像も、それっぽさが出てくるけど、誤魔化しているところもある。そこのところに十亀さんは最初は、それをもとにインスピレーションを得て、自分が絵を描こうっていうときに、その相手が雰囲気書きしてきたものに自分はちゃんと対峙してっていうことを思ったんですね。
でもこれって、他の他者に対して思うことと同じというか。面白い相手になってきたっていう感じです。
徳井:僕の場合だと音楽なんですけど、こういうシステムを使うことで、自分が思いつかなかったリズムとかメロディを返してくれて、あ、こういうのもありなんだっていうのを気づいて。自分の曲の中に使うことができるっていうのが結構大きくて。改めて今回のワークショップを思い返していて思ったのは、僕の場合は、最終的に鳴らすのはシンセサイザーとかだから、AIが生成してきたものが直接僕の作品のパートになるんですよね。ただ、完成形にはならないんだけど。曲をまるっと生成するわけじゃないんだけど。AIが生成してきたリズムとかをそのまま使える。
でも絵を描いている方の場合って、画像が出てきても、それはある種のリファレンスでしかないし、そのくせに、完成形みたいな感じで出てくるから、そこにあまりおもしろさが見出せなかったり、さっきから繰り返し言ってますけど、描く楽しさにつながっていないみたいな。最終的に作るものと、A Iが生成してくれるものの関係性というか、距離感というか、そういうところにも影響しているのかな。だからもしかしたら、illustratorとか、PCのソフトを使ってイラストを書いている人だと、またちょっと違う反応があったりしたのかなって思いました。
描く楽しみとは何なのか
森下:「描く楽しみとは何なのか」をもう少し分析してもいいのかなと。たとえば、たんぽぽの家・アートセンターHANAのアーティストの山野将志さんて、描かない時期もあったり、描き方が変わったり。今みたいに、怖いものとか、ちょっとおどろおどろしいものを描くことが好きになっているっていう時もあれば、何かすごく写実的に描こうとするんだけど、途中から線とか点々とかリズムとかを楽しむような描き方をしてるんじゃないかと思ったりすることもあって。その時に、山野さんも、描いている楽しみと、それを見る楽しみと、自分の中に両方あるんじゃないかなと。十亀さんも、描く楽しみの中に、たとえば、今回も、終わったらみんなで鳥貴族に行くっていう打ち上げの楽しみとか、スタッフの小林くんとやりとりしたいからこその関わりの楽しみとかもあるんですけど、そうは言っても、絵に向き合っている時間が圧倒的に長いので、その時間の、描くという行為とか、彼女自身がそれを見て、何か判断している中での楽しさって、その周辺の関わりの楽しさ以外に、やっぱりあるような気がしていて。2時間も3時間もそこに向き合えるのは人によっては生み出す苦しみと一体になった楽しさがあったり、山野さんのようにあえて自分の怖いものを描こうという楽しみもあったりという中で、そこの楽しみが何なのか。そこを追求してみた時に、何かAIに応用してフィードバックさせることもできるのかなと。どう楽しみをつくるのかと同時に、その楽しみは何なのか、その人の中で何があるのかは、もうちょっと考えられたらいいのかなと思いました。
続けることの重要性
新川:何度かしないとダメですよね。一回こっきりじゃ。特に、こういう真新しいものに関しては。何度かしない限りは本質には当たらない気がしていますね。技術は常に更新しているんだろうけども、どっかでアンカーというか、ここで停泊しますよという場所があって、そこで僕たちが追いついて、その中で何かずーっと考えていかないと、追いついていかないといけないというか。ここって決めたところでぐっと深掘りしていく必要があるんじゃないかな。
深田さんもそうですけど、おもしろくなかった、気にかけてなかったわけじゃなくて、次の週なかった、というただそれだけのことかなとも思うんですよね。スタッフにとっても士気の上がり方が全く違うんです。やるんやったらやる、やらへんのやったらやらへん。くらいの気持ちでやらないと、こういうものに関しては、広く浅くで終わってしまう。次あそことやってみよう、次あそことやってみよう、で終わっちゃうので。
あと、楽しみっていうのはもう、本人のみぞ知る世界なので。片山でも、楽しんでいるか、楽しんでいないかって全くわかんないんですよね。来さされている人もいっぱいいますし。そこに着眼点はないような気がする。
今日もそうなんですけど、当事者がいない中での話がどんどん進んでいるっていうのが、障害福祉サービスしてたら常にあるんですけど。本人がいないなかで、僕らが、「そう思うかもしれない、そうであろう」って考えて進んでいくと、実はこの方向行きたかったのにちょっと近いけどこっちに行ってた、みたいな時があるので、できる限り、振れ幅を短くアジャストしたい。
だからと言って、当事者が言ったからと言っても、当事者も忖度がありますから。おもしろい?って聞いたらおもしろいっていうかもしれないですね。だから、本当におもしろいっていうのは、紙と鉛筆をパッと渡して、自由にできるような環境があって、僕たちもそんなにタッチしないような状況のなかで、何かできたら、それはすごいおもしろいAI技術なのかなと。
人が関われば関わるほど、案外、本音がでない感じがします。
今回は、1コマ1回授業を受けた生徒がお話ししている段階なのかなと思います。
ちょっと厳しいですけど。本質的な部分をしっかり見ておかないと。上の層だけで話が進んでいっちゃうと、変に僕たちだけが残っちゃう気がする。僕たちはAI技術に対しては受け身なので。こんなのがありますよと言われて、そうなんですか、どんななんですかって言う立場なので。他に行けばそれなりに他でも興味を持つ人はいるだろうけど、おもしろい、やってみたいで終わってしまう部分がある。
小林茂:まさに、そういうお話を今日、できたらいいなと思っていたんですね。こういう事業って、やって、こういう成果が出ましたっていうことをお話しするようなことになったり、どっか学会で発表するっていう時もそうですけど、こういうふうにできましたっていう話になった時に、うまくいったことにされてしまいがちなんですけども、今日話をしていた中でも、課題が山積みになっている状態だと思うんですよね。それは継続して取り組んでいかないとわからないことでもあるし。逆に言えば、課題山積みなんですけど、どうもこの辺りわかっていないところだなというのが見えてきた段階でもあると思うので、まさに、そこを今日指摘していただいたんだと思います。そのことは、やってみたことのない人にはわからないところでもあるので。それをちゃんと把握して進めていくということが責任としてもあるのかなと思います。どこまでできていて、そこにどんな課題が残っているのかを把握することは、振り返りつつ、今後どうしていくかを考える上で必要なことだと考えています。
事務局としてはこの事業を今後どういうふうにしていこうと考えているのでしょうか。
今後に向けて
小林大祐:2023年度は、文化庁の事業としては2年目になります。昨年、創作や表現に、AIやVRなどが関わりつつ、日常にどう取り入れることができるのかを実践的に考えてきて。2年目も、それを広げるかたちで進めて行きたいと考えています。もうそろそろ6月に差し掛かるところですが、7月、8月からは、新しい取り組み、事例づくりに向けて動き出したいと考えています。その中で、こういう新しい取り組みに対して一緒にやりたい方いらっしゃいませんかと広く募ることによって、今まで我々がリーチできなかった人たちに届くという良さもありつつも、どう広げていこうか悩んでいるところです。いろいろご意見いただきながら進めていきたいと考えています。
小林茂:新川さん、川本さん、徳井さんの立場から、こういうのだったら関わってもいいなというのがあれば率直に伺いたいです。おそらく、みなさん、すでに課題も山積みなのに、同じことを繰り返してもしょうがないよねっていうのはあると思いますし。せっかくやるなら、新しいチャレンジをしつつ、前回たどり着けなかったところまでいけるといいのかなと思うんですけど。
新川:やりたいですよ。やりたいけど、エラーを繰り返さないといけない気が僕はしていますね。野球じゃないけど、エラーしてなんぼ。エラーして、どうしたら良かったんかなって。センターやったらセンター、レフトはレフトという、どっかにポジション、1個決めて花咲かそうよとしないと一向に野球が進まないような気がするんですね。一つ深掘りしてみませんか。あとはどうやって成長するか。芽を潰さないようにするかが大事なので。成長するにはじっくり携わっていかないといけないのかなと思うので。
徳井:やりたいことでいうと2つあって。1つは、繰り返しですけど、どういうAIのツールがあったら役に立つのか、描く楽しみにつながるのかとか。日々使えるものになるのかっていうのは、こういう現場だからこそ、追求しがいがあるトピックだなと思います。創作にどうつながるのかを考えてみたい。
あと、もう1つは、同じことだと思うんですけど、新川さんがおっしゃっていた、鉛筆とか、消しゴムとかと同等のものというところですよね。いますぐにアイディアが出てくるわけではないんですけど。ひとつのヒントは、インタラクティブ性。こちらからの入力にすぐに返してくれるとか、ある種の誤用ができるというか、自由な使い方ができるということもすごく大事だと思うので、このツールをどうつくるのかという実験を一緒にやらせていただけたらなあと思っています。
新川:これやから、こうしてくださいっていうものが多いんですよね。そうじゃなくて、鉛筆みたいなもの。鉛筆さえもらったら、こんなんできるよって、その想像力を人に任せてほしい気がしますよね。僕らAIに任せようとしているので、今。
小林茂:今日の振り返りで、昨年度の取り組みで、どこまで踏み込むことができて、どこはまだなのかというのがはっきりしたように思います。課題も見えて、例えば、道具にするのはどうすればいいんだろうとか、つくる楽しみ、場合によっては苦しみも含めて、well-beingだと思うんですけど、それをどう考えていくのか、テーマがより明確になってきたと思いますので、ぜひ引き続き、今年度も取り組めたらなと思っています。
今日はありがとうございました。(終わり)
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