テクノロジーは「障害は世界を捉え直す視点」を人間にもたらすことはできるのか? キュレーター・プロデューサー・田中みゆきさんインタビュー
今回インタビューしたのは、キュレーター・プロデューサーの田中(たなか)みゆきさん。トップ画像(撮影:吉田直人)でこちらに顔を向けておられる方です。
田中さんはこれまで、「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、表現の見方や捉え方を障害当事者や鑑賞者とともに再考することに、さまざまなプロジェクトを通し取り組んできました。近年の仕事に映画『ナイトクルージング』(2019年公開)、『音で観るダンスのワークインプログレス』(KAAT神奈川芸術劇場(2017-2019))、城崎国際アートセンター(2020)、京都芸術センター(Co-program 2022)、その後自主プロジェクトとして継続)、「ルール?展」(21_21 DESIGN SIGHT、2021)、展覧会「語りの複数性」(東京都渋谷公園通りギャラリー、2021)、「オーディオゲームセンター」(2017-)などがあります。また、アジアン・カルチュラル・カウンシルの助成を得て2022年7月から12月までニューヨーク大学の客員研究員としてニューヨークに滞在し、現地の障害者コミュニティや障害に関する芸術実践について調査を行いました。
今回は、田中さんがこのようなテーマを掲げるに至った経緯や、その活動、そして活動する中で考えてきたことについてじっくり伺いました。
「障害は世界を捉え直す視点」
―後安:田中さんが「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに活動するようになったきっかけは?
田中:私は、障害のある人が周りにいる環境で育ったというわけではなく、小さい頃は特に接点はなかったんです。最初に意識したのは、21_21 DESIGN SIGHTで企画の仕事をしていた時です。そこで、2008年にデザインエンジニアの山中俊治さんをディレクターに迎え、「骨展」という展覧会を一緒に作りました。
その時、義足のアスリートのオスカー・ピストリウスという選手が北京オリンピックに出るかどうか、といったことが話題になっていたんですね。彼は、記録としてはオリンピックに出られる記録を持っていましたが、義足が彼にとって有利すぎるという判断で、結局出場は叶わなかった。何をもって、その義足が元の体よりも有利であると判断するのかって、本当は誰にも分からないのに、テクノロジーによって過剰にサポートされているとみなされたんですね。それってどういうことなんだろうと思いましたし、公平さや正常とは何かということに疑問を持ちました。
また、純粋に彼の走る姿がとても美しく、「何か欠けているから補う」ということではなく、高齢化が進む中で、今後、人の体がこういった人工物に置き換わっていく未来の体のあり方を彼は体現しているのかもしれない、と感じたんですね。それで義足に興味を持ったんです。
それから、山中さんと義肢装具サポートセンターを訪れたり、日本の義足ユーザーの方たちにお話しを聞いたりしました。そうすると、多くの人が、義足を自分の趣味や嗜好に沿ってカスタマイズしていることがわかりました。例えば、好きな写真家の作品や布地を貼っていたり、透明な素材を用いたり、ハイヒールが履けるように足首の角度を調節できるようにしていたり。ただ、一方で、親や先生から、外出の際には“普通”の足に見える義足を履いたり、肌色のタイツで隠すように言われているという状況を聞きました。それぞれの体の受容の仕方が社会に受容されていない。そこのギャップって、社会と障害とのコミュニケーションがうまくいっていないということなのではと思って。それをアートやデザインで変えていけないかなと思ったのが、最初のきっかけです。障害として関わったというよりは、新しい体のあり方、人のあり方といったデザイン的観点から関わるようになったんです。
▼21_21の「骨」展で義足に関するイベントを行った時のレポート
表現の見方や捉え方を再考する
それから、義足とはまた別の出会いとして、筑波技術大学で天野和彦先生がされていた体育の授業を見学したことがあったんですね。それがとても面白かった。
授業の前に簡単なラジオ体操のような準備運動―先生の声かけに従って、みんなで体を伸ばしたりするということをやっていたのですが、それをやっているのは目が見えない、または見えづらい学生たちなので、「はい、手をあげましょう」と先生が言った時に、みんながばらばらの方向に手をあげていて、それがめちゃくちゃいいなと思ったんです。目が見えていると、特に日本人の場合は、周りに合わせて、気づけばみんな同じ手のあげ方になってしまうと思います。でもその授業では、それぞれが思う方向にあげることがよしとされていました。
見えないことにはこんなに思い込みから解放された自由な余地があるのだなと感じ、ああいう場を作りたいなと思ったのが、目が見えないことに関心を持つきっかけになりました。
▼筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター 准教授天野 和彦 先生の記事
表現の見方や捉え方には、もともと関心がありました。アートの世界でも、実は本来はもっと鑑賞者が自由に解釈できる余地があるはずなのに、美術館や劇場という場所の中でなんとなく制度や見方が決められていて、そのことについて多くの人は疑問を持たずにいることがいろいろあるのではと思っています。目が見えない人と一緒に活動することは、見えている前提の常識が通用しないので、そういった根本的なことを話す機会につながっていくのでは、という実感があります。
2017年度から行っている『音で観るダンスのワークインプログレス』 は、「視覚障がい者向け音声ガイド制作者育成講座」に私が通った経験が一つのきっかけとなって始めたプロジェクトです。その講座では1分程度の映像を見てガイドを作る、みたいな練習から始めるんですね。例えば<男女が川を背景に川辺に向かい合って立っている>。その情景をどう伝えるかとなった時に、人物の表情を描写する人もいれば、服装から家庭環境などを想像するような説明をする人もいたり、二人の関係性や、背景の山の描写をする人もいたりしました。限られた時間の中で、何を見えない人と共有したいかということがみんなばらばらで、それが素晴らしいことだと思ったんです。そうか、口に出さないだけで、みんな違うふうに見ていたんだ、と。
実際の音声ガイド、特に映画の場合は、セリフの合間の限られた時間の中で物語についていくために、どうしてもきちんと伝えなければいけない情報や伝え方のルールがあります。
でもダンスだったら、必ずしも物語があるわけではないので、極端な話、ずっと山の話をしているのもアリではないかと思って企画したのが、『音で観るダンス』です。視点の異なるいくつかの音声ガイドを作るという試みを通して、それぞれの人がいろいろなイメージを重ねて観ていることが明らかになっていったら、その過程を通して目が見えない人も様々なイメージを共有できるし、見るという経験には正解があるわけではないということもわかっていくのではないかと思いました。
見えているものが違うことを共有することが、視覚障害の有無をフラットにする
情報と体験は違うと思うんです。情報は、「情報保障」と言われるように、晴眼者に見えているものを、目が見えない人にできる限り正確に伝えるものです。でも、いろんな視覚に障害のある人たちと接していくなかで、そもそもみんなが見えている人と同じように体験しなくてもと良いのではと私は思うようになりました。もちろん、生活の中では晴眼者と同じ情報を得ることが必須の場面もあるし、常にそれを求める人もいます。でも、特に芸術表現の場合、晴眼者も同じものを違った見方で見ているのに、それを誰もがわかる情報に収めることで、一体何が共有できるのだろうという疑問もある。むしろ、作品の面白さはそこに収まらないところにあるはずです。そう考えると、見えているものが違うことを共有することは、そのスペクトラムを大きく捉えれば、視覚障害の有無をフラットにしてくれるような体験になるのではないかなと考えたんですね。私の中では、音声ガイドは、みんなの感覚が攪拌されるようなものとして機能するとよいなと思っています。それもあって、複数の種類を用意するようにしています。それぞれに合うものに意識を向けられる、またはそこに合うものがなくても、それぞれの音声ガイドの間を想像できるように。
―感覚が攪拌されるって?
こうしたプロジェクトを進めている中で感じるのは、「五感で感じる」ことって、何かファンタジーのような、特別な感覚を持っていたり、あるいは特殊なしつらえがないと実現できないことのように思われていますが、誰もが普段気づかないうちにやっていることなんだなということです。
例えば今、このインタビューで話していることひとつとっても、私は頭の中で考えていることを言語化し、音声化し、みなさんと共有しているわけで。おそらく考えていることすべては共有できていないし、私の声色や顔の表情によって、伝えたい内容と違うイメージを加えてしまっていると思います。私たちは普段それらの誤差には意識を向けずに、大まかな内容をやり取りしている。人間の受け取れる情報量には限度があるから、多種多様な情報をならしてざっくり受け取っているということだと思います。
そういう風に、混ざってアンビエントに伝わっている情報みたいなものがあるなかで、消去されている情報がたくさんあります。例えば視覚のチャンネルを主に使って見ていると思っていたものに音声ガイドという刺激が加わると、聴覚からの全然違うイメージが浮かび上がったりする。それが、感覚が攪拌されていることだと思っていて。ある意味ノイズとも捉えられるかもしれないですが、さまざまな情報がある中の何かに引っかかって、一人では辿りつけない場所に想像が及ぶような時間が鑑賞する人に一瞬でも訪れるといいなと思っています。このプロジェクトでは、可能な限り「タッチツアー」という、上映前に視覚に障害のある人を優先にダンスのエッセンスを伝える時間を設けています。1、2年目は振り付けの一部を一緒にやってみたりしたのですが、3年目は、目隠し鬼をやったんです。もはやダンスの内容ではなく、感覚を研ぎ澄ませて見るという体の状態を作った方が良いのではないかと、ダンサーの捩子ぴじんさんと話して決めました。それも、攪拌されるために体を開いてもらうようなことだったかもしれません。
同じ場で、他の人と、同じものを共有しながら見ているということをどう作れるか
―後安:聴覚障害の方の場合はまた異なるのでしょうか。
田中:ろう者の場合は、言語や文化が全く違うことが、視覚障害の方とは決定的に異なると思います。視覚に障害のある人とない人は、音声言語を共有していますし、点字も表音文字です。また、日常会話やテレビやラジオなどから、社会の動向や流行りのものまで、情報を取り入れている人も多くいます。一方ろう者の場合、日本語でなく手話が第一言語だと、世の中にあるほとんどの文化は自分たちとは言語が異なる人によってつくられたものということになります。手話には書き言葉がなく、身体と空間を使った言語なので、手話で育ったろう者たちは、聴者とは異なる文化を持っているんです。そうすると、聴者の見方あるいは聞こえ方をろう者に共有するという取り組み自体が、植民地主義的な考え方になりかねません。そんなわけで、ろう者の方と一緒に何かする場合は、視覚障害者の方とは全くやり方は異なりますね。お互い違う文化を持っていることを前提に、時間をかけて共有できる場所をどう見つけることができるかを考えることが多いです。
でも、ろう者と視覚障害者という、体の特性が異なる人たちが、それぞれ違う回路から体験の質を共有しているのではないかと思う瞬間ってあるんです。
『音で観るダンスのワークインプログレス』のブックレット【PDF】
にも書いていますが、面白かったのは、例えば目が見えない岡野さんが、音声ガイドを聞くときは、情報だけでなく、そこからはみ出てくる部分、例えば声から伝わる表情やエネルギーを楽しんでいると言います。また、ろう者の牧原さんは、映画『ボヘミアン・ラプソディー』を見たときに、歌自体は伝わってこないんだけど、フレディ・マーキュリーのエネルギーやふるまいなど、言語化し得ないものを通して体験を共有できた気がしたと言っていました。それは事実や情報を正確に伝えるというのとはまた違う、別の回路から同じ場所につながるということだと思うんですよね。
ダンスでも、逐一すべての動きを追いたい人はまれで、ダンスが伝えている、言葉にしえないこと。例えば、張り詰めたような空気、息を呑むほど早い動き、といったような、言語化できない部分こそを共有したいと言う人は多くいます。そこに関してはろう者も、視覚障害者も、あるいは健常者と言われる人たちも、意外と関係ないのではと思っています。
正しい情報や正解を確認するのではなく、観客同士がもっと素朴な言葉で自分の感覚や体について語り合える場をどう作るのかが大事なのではないでしょうか。それが、体験を共有することと、情報を受け取ることの違いになるんじゃないかな。
音声ガイドや字幕を作る時に「音声ガイドを聞いている人が、見ている人と同じタイミングで笑えるようにする」という原則があります。ガイドを通じて、先んじて情報を知ってしまったり、逆に周りが先に笑ってしまったりすると、覚めてしまう部分がある。逆に、一緒に笑えることで、自分も他の人たちと同じ場を共有しているという気持ちになれる。それが大事なことで、そこに至るまでの細かな過程は、彼らを置いていかないようにだけ気をつけて、それぞれが想像できることを助けられればいいんじゃないかな。少なくとも芸術に関しては、同じ場で、他の人と、同じものを共有しながら見ている、ということの醍醐味を、どう作れるかが大事だと思います。
ただダンスの場合、自由な反面、みんなが一斉に反応したり、ストーリーがあってオチがあったりするわけではないので、難しいところもあります。それから、音声ガイドが前面に出すぎてしまうもよくないと思っていて。先ほども言ったように、人が情報に対して割ける感覚のリソースは上限があると思うので、例えば音声ガイドが過剰になり、聞くことが大半を占めてしまうと、一気にダンサーのたたずまいや他の観客の空気とかを感じられなくなる、ということもありました。そのバランスをいつも考えていますね。
『音で観るダンスのワークインプログレス』では、1年目は、3つの音声ガイドを作りました。
1つ目は、ダンサー自身によるガイド。捩子さんが自分で自分の身体を解説する目線でした。2つ目は観客の目線の、いわゆる情報保障に一番近いガイド。3つ目は、能楽師の安田登さんによる舞台を自分の体と見立てたガイド。劇場を俯瞰から見るような目線でした。
その1年目がすごくうまくいったので、2年目はどこまで冒険できるか、さらに挑戦的な3つの音声ガイドを作りました。 そうしたら、3つとも情報が過多になってしまい、「これだったらダンサーがいなくても成り立つのでは」、「劇場でなくても、家で聞いたらいいんじゃないか」といった感想も聞かれた。このプロジェクトとしては、他の人と物理的に同じ空間に集まって楽しむことを目的としていたのに、音声ガイドが、それだけで成り立つ、音声作品になってしまっていた。あと面白かったのは、1年目は片耳だけでガイドを聞く人もいましたが、2年目は情報が多いので聞き逃さないように両耳で聞く人が多かったこと。そうなると、ダンサーの存在が意識から消えてしまうんです。このような経験を経て、3年目は敢えてひとつのガイドに絞りました。ただ、お客さんに舞台を囲んでもらい、ダンサーと同じ床を共有しながら、体や足音、息遣い、衣擦れなんかも感じられる距離で見てもらいました。
▼『音で観るダンスのワークインプログレス』3年目の映像
余地に気づかせ、関係を結びやすくするような技術がウェルビーイングにつながる
―後安:このインタビューシリーズのテーマである、「テクノロジー」との付き合い方について聞かせてください。どんな技術がウェルビーイングになると思いますか。
田中:私はすこしアナログなことが大事だと思っていて。完全に制御できるものではなく、人が自分で解釈したり、想像したりする余地があるということが大事だと思っているので、ある特定の人に完璧にカスタマイズしたデバイスをつくるという方向にはいかないようにしています。それは、障害のある人に完全にお膳立てした体験を提供するのではなく、彼らが自分で主体的に情報を取りにいったり、想像したりすることによって自分の体験にして欲しい、という思いもあります。
『音で観るダンスのワークインプログレス』での取り組みにしても、過去に空間をセンサリングして、鑑賞者がその空間を動きながら、ダンスの音を録った音源を再生することで、ダンサーなしでダンスを立ち上げ、いろんな位置から楽しめるという体験を作ったこともありました。それは、1年目の音声ガイドを目が見える人と見えない人で研究会をつくって制作していた時、ある目の見えない人が初めてそのダンスを見た後に、「わたしは捩子さんの後ろで一緒に踊りながら見ていました」と感想を言ってくれたんですね。それはその場にいた晴眼者にとっては、衝撃的なことでした。私たちは劇場の観客席のようにダンサーと相対する形で見ていたので、そんな見方ができるとは思ってもいなかったんです。テクノロジーを使って、その時の体験に少しでも近づけるのではないか、という期待もありました。ただ、いざ体験してみると、やはり音声ガイドを両耳で聞いた時のように、頭と耳だけで成立する体験で、体が介入する余地がなくなっている気がしました。自分の体の体験には思えなかった。
そして私は誤読って大事だと思っていて。正しいとされる使い方以外の方法でも使える余地みたいなところに、人の創造性があると私は思っているんですね。障害のある人は、ない人と比べると、世の中の多くのものが自分に向けて作られていない中で、日々そのような工夫をしていると思います。逆に、障害のない人の方が、そういった機会が少ないかもしれない。あらゆるものが便利なことと引き換えに、失っているものは多くあると思います。なので、何かをより早く、より良くできるようにする技術ではなく、時間がかかっても自分が関われる余地に気づける、見えていなかった関係性を見えるようにする、解釈の多様性を明らかにするような技術。それにより関係を結びやすくするような技術のほうが、ウェルビーイングにつながるのではないかと思っています。テクノロジーを先鋭化させるよりは、当たり前になりすぎているものを、改めて違う使い方を誘発するようにほぐしてみることのほうに興味があります。
共通の欲望があって、いろんな人が楽しめるインターフェースになっていたら、遊び方も広がる
2017年から始めた活動「オーディオゲームセンター」 でも、そういったことを意識していました。
「オーディオゲームセンター」は音から立ち上がる体験をゲームという形で音から生み出し、共有しようという活動です。2021年には期間限定で、実際にGinza Sony Parkにてゲームセンターを開設し、映像情報なし、音だけで遊ぶ3つのゲームを視覚障害のある人たち含む多くの来場者にお楽しみいただきました。
元々は、かなり昔にRockboxという、モニタなどを見ずに声で操作できるインターフェースがあるオーディオプレイヤーのためのフリーソフトがあったんですが、ある時からその開発者のもとに、目の見えない人からたくさん問い合わせが来るようになったそうなんです。私の友達も、開発者に使い方のことでメールしたら「なんかやたら目の見えない人から問い合わせが来るんだけど」みたいな反応だったそうで(笑)。
それは、視覚障害者のために開発されたものでないのに、目が見えなくても操作できるインターフェースに必然的になっていたからなんですよね。もともとはジョギングしながらでも操作できればいいなくらいのアイデアで作られたものだったそうなんですけど、結果として目の見えない人にも役立った。これは良い事例だと思っていて。これも、コミュニケーションとかインターフェースの問題ですよね。本来は違う用途で作られたものが、異質な人たちがつながることで、双方にとって良い経験が生まれる。ただ、役に立つことを前提に最初からつくろうとすると息が詰まるかもしれないけど、楽しんでいるうちにつながれれば、それぞれのニーズを知って前向きな変化が起こせるという。そのように、何かを楽しみたいという共通の欲望があって、そのインターフェースが体の特性が異なる人も一緒に楽しめるものになっていたら、遊び方自体の可能性も広がるのではという実験を「オーディオゲームセンター」ではやっています。
そのためには、別のニーズや欲求を持った人たちが思いがけずつながれる環境から作らないといけない。残念ながら現実の社会では分断されているわけだから。だから、オーディオゲームセンターにしても、アプリでもプレイできるようにもできるのですが、会場に来てもらい実際に目の見えない人と見えない人が出会いながら、なんとなく一緒にいることに体を慣らしていくことをしてほしいと思っていて。実際、隣でプレイしている人が目が見えないことに終わるまで気づかない、ということもある。最初から「視覚障害者」として出会うのではなく、そういう体験をする場が必要だと思っています。そういう意味で、テクノロジーだけではなく、アートやエンタメという場のしつらえが合わさることでできることってまだまだあるのではないかなと思います。
テクノロジーは、弱視や難聴などグレーゾーンの可視化や、障害の有無によるコミュニケーションギャップに対して、何ができるのだろう
世の中全体として、#MeTooやブラック・ライブズ・マター、そしてコロナを経て、これまで聞かれなかった声に耳をすましたり、見えなかった抑圧に目を向けたり、グレーゾーンをどう大切にするかという部分に意識が向いているように感じています。例えば障害に関しても、視覚障害にしても聴覚障害にしても、弱視だったり、難聴だったりといった人の存在は、数としては圧倒的に多いにもかかわらず、これまで健常者の社会においてはあまり認識されてこなかった部分があると思います。障害というと、どうしても健常者との違いが大きい方に注目が集まりがちで、テクノロジーも、障害のある人の機能を欠如と捉え、しばしば健常者よりも増強させるような方向にも使われてきました。しかし、この時代の変化を受けて、そのあり方も変わっていかざるを得ないのではないでしょうか。
健常者は数が多いから、話が合う人だけで集まっていてもどうにかなっている部分がある。ただ、例えばろう者の場合は数が少ないから、人工内耳の手術によって聞こえるようになることを選ぶ人が増えれば、自分たちの言語がいつかなくなってしまうのではないか、という危惧については世界中で話されています。また、手話を第一言語とするろう者と、聞こえづらい難聴者、あるいは日本語を第一言語とする中途失聴者は、まったく別の人たちです。手話という目に見える表現手段を持つろう者に注目が集まる中で、難聴者や中途失聴者の苦労やジレンマは見落とされがちです。でもそう言った話題を聴者の世界では聞くことはないですよね。聴者は「聞こえない人=みんな手話がわかる」という大雑把で誤った認識しかない。視覚障害者についても同様です。
こんなにインターネットやSNSも発達している中で、未だ世界は分断されていて、異なる他者への想像力はこんなにも粗い。エコーチェンバーなどと言われるように、ある意味分断が進むのをテクノロジーが後押ししてきた部分もありますよね。それをどうほぐし、いま一度一人ひとりが関係を結び直すことを助けられるのか。そこにもテクノロジーは確実に必要になってくるとは思うのですが、開発する人たちの根底にある思考、あるいはもっと大きく言うと資本主義や民主主義という社会構造の考え方から変えていかないと難しいのではないかと思います。
―大井:そうしたプロジェクトを進める過程では、福祉的な分野やテクノロジーに関する分野など、異なる人たちが協働していく必要があると思います。そういった際に、チーム間の翻訳、通訳として心がけている部分はありますか。
田中:最近考えているのは、公演の内容がその外に滲み出るような空間や時間をどうつくれるか、ということです。公演をその時間や場所だけで区切るのではなく、その前後の、会場に着くところから帰るまでの時間や場をデザインする。例えば公演の前なら、外から移動して来て公演を見てもらう体になるために少しリラックスできるような配慮をするとか。公演後なら、さっさと出てもらうよう急かすのではなく、少し余韻を楽しめるような空気を作るとか。「音で観るダンス」のタッチツアーもそのような役割を持っていたかもしれません。ただ、それをやるためには、会場側の理解や協力も必要ですし、公演開始直前に来てすぐ帰るという慣習に対しても働きかける必要があるので、すぐには実現できないかもしれません。ただ、アメリカに来て一番学んだのは、コミュニティをつくるという意識を持つことでした。イベントが、企画者が見せたいものを見せる場ではなく、その主旨や内容に惹かれて集まる人がともに時間を過ごす場ととらえる。
オーディオゲームセンターをソニーパークで開催した時も、最初は「目の見えない人に会ったこともありません」と言っていたスタッフの人たちが、実際に多くの目の見えない人たちが来場されることで、日々現場が改善されていったんです。例えば、床に荷物を置くと危ないから荷物置き場は上にしようとか。ゲームが終わったらゆっくり座れる場所を案内するとか。それは単に障害のある人を介助するためというより、人としての気遣いが生まれたからこそですよね。多くの人にとって消費者ではなく人としていられる場が少なくなっているなかで、効率化を前提としてきたイベントやサービスのあり方自体を根本的に見直すことが今必要とされているのではないかと思います。それを考えるにあたって、障害のある人との現場は多くのヒントに溢れているのではないでしょうか。
<終わり>
インタビュアー:
Good Job!センター香芝 森下静香
一般財団法人たんぽぽの家 小林大祐、大井卓也、後安美紀
編集:井尻貴子
展覧会のお知らせ
わたしたちはこれまで、障害のある人たちが日常的に表現活動をしている現場で、AIやVRや触覚技術をとおして実験的な取り組みを実施してきました。そこから見えてきた可能性、課題、問いかけを展示し、医療や福祉、科学や技術、アートやデザインなど領域を超えて、表現とケアとテクノロジーのこれからを考えていく展覧会を開催します。