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精神安定の習慣として、この三つ。
瞑想
去る夏、8月中旬、とあるきっかけで、朝晩と坐禅を組み始めた。目を瞑り、黙って呼吸に意識を向けるだけ。何か考えが浮かび上がってきて、意識がそちらに向かい始めたら、気づいた時点で引き戻して、また呼吸に意識を向けるだけ。
以前は、「何も考えない」ことが正しい瞑想法なのかと思っていました。ですが、そんなことほぼ無理です。なぜなら人は考える生き物だからです。そして神経科学者の Andrew Hubermannが「瞑想とは、浮かび上がってくる思考にいくフォーカスを、再び呼吸に戻す、リフォーカシング(Refocusing)の練習だ」と言っているの聞いて、ああ、そういうことか、そうだよね、と納得がいきました。
日常生活で心がブレるような出来事や思考にヤキモキしてしまうのは、私たちのサガです。そんな時、瞑想でこのリフォーカシングの練習をしておくと、乱れた心にいち早く気づき、平静を取り戻せることができるようになる。
今日で日常に瞑想の習慣を取り入れてから、82日が経った。以前に比べて、感情の起伏が緩やかになったと感じる。あと、不安になった時に親しい友人や家族を松葉杖扱いしなくなった(*不安が治るまで、話を聞いてもらうということ)。まだネガティブな感情に翻弄され、重要な決断や発言ができずにモヤっとすることはあるし、カッカしやすい性格は変わりないけども(ある程度個性だと認めている)自分の中では、大きな成果と進歩なんです。
これを90日間、180日、一年…と習慣にしていきたいと思っている。
感情のコントロールができないことが悩みで、今までいろんなセラピストとセラピーを梯子して、時には薬に頼ることもありましたが(イリーガルな意味ではなくてよ)、瞑想が一時的にも長期的にも、最も効果があったことが一番の驚きです。
何か問題が湧いてきた時、何か不安になるような出来事があったとき、パニックになって周りを困らせる前に、ちょっと座って、目を瞑り、呼吸に集中する。だんだん心が落ち着いてきて、不思議なことにふと、解決策が湧いてくる。ふと、「別に大したことじゃないじゃん」という感覚が湧き上がってくる。15分じっとしていると、目の前にある問題に対して適当な距離が取れるようになっており、幾分か平静を保て対応できるようになっている。そしてその経験が自信になり、自分の力を信用する機会になり、ネガティブな配線になっていた脳内回路がポジティブになるきっかけになり、少しずつ、日々、成長していく。癒やされていく。
これって、セラピストに2万円払って90分話を聞いてもらった後にすら、できなかったことだったなあ、と。
私たちは、内側に、すでにすべての答えを持っている。
私たちの体は、自分で自分を癒す方法を知っている。
そんな言葉を、幾度となく耳にしました。スピリチュアルリーダーやら、仏教やら、コーチングやら、誰が言った言葉でもいいんです。
瞑想を通して、それって真理だな、ということを感じました。
ストレッチ
本日で37日目。初日は屈伸が全く地面に届かない!という状況でしたが、指で触れる程度まで行きました。元々はランニングのタイムを上げるために始めたのですが(股周辺の筋肉をほぐすと早く走れるようになるそう、ランニングYoutuberのUtaRunさんが優良なストレッチビデオを上げてくれています)、走りよりも、生活態度に良い影響が出ていると思います。(ランニングのタイムはちっとも上がっていません!誰か、いいアイデア教えて!)
どうやらストレッチやヨガをすると、やる気ホルモンのドーパミンが出るそうです。朝の習慣に取り入れると大吉。
読書
現代人あるあるの、SNSの普及により「長い文章を読まなくなってしまった」事情。2、3行以上の文章を読んだのって、いつかしら。ニュースでも、ヘッドライン以降を読む忍耐力がない。人類が行き着く先、それが思考停止。
元々ガッチガチに頭がキレるタイプでもないですが、それでもガラケーの時代の私ってもっといろんなことを考えて、それを文章にしていたよな?と思い出したわけです。
読んでいるのは Matt Taibi の Hate Inc. という本で、政治系の書籍。要約すると、現代のメディアやジャーナリズムについての問題点指摘。真実よりも、右か左のポジションを取り、自分たちの立場に反する相手を攻撃することで、視聴者や読者の興味を引こうとする様子をプロレスのようなエンタメと批判。近年、アメリカの政治にしても日本の政治にしても、私が懸念していることをテーマにしている。
2年半前に購入して積読の一冊になっていたので、手に取りました。
が、最初の2日、文字を追うのが情けないほど辛かったww
本日4日目になります。だいぶ長文を目で追うことに慣れてきました。やはり本は何ページにも渡る情報量で一つのトピックを理解していくというフォーマットなので、なんか、SNSやショートの普及で短絡的にしか考えられなくなっていた脳みそがリハビリされている感覚があります。思考停止状態になっていた脳内回路の配線を変えていくという、私の目論みがあります。
あと、やはり読書って動画を見るよりも、意思と集中力を使う作業なので、瞑想と似ている部分もあるなと。あと、適度にドーパミンも出ます。SNSスクローリングしまくった後のような罪悪感もなし。
さらに取り入れたいこと
瞑想、ストレッチ、読書ときたら、文章を書くことです。瞑想を始めたのと同じ時期にジャーナリングは始めたんだけども、何か自分の体験や感じたことをまとめて、お伝えするということをまたやりたいなあ、と。それは読まれるという目標を目指すというより、自分の感情や思考に形を与えて、外側にアウトプットしたい。なぜ私が読書をしたいのかということでも述べたように、昨今の私は思考停止状態のような気がして、それが歯痒い。
自分の思考を形にするという行為を、今はブログということで消化したいと思う。
ただちゃんと文章書くのって、ものすごく時間かかるのね。日常に取り入れることがまず可能なのか、取り入れたところで何か私の内側に変化が起こるのか、興味深いです。