THE ANCHORS 寺田氏 x ACADEMY FIGHT SONG givegive氏 Wインタビュー&対談 【パート② 寺田氏の音楽・活動遍歴と影響、感覚、精神】
(前回:パート① 【パート①序章】2004年のSTRANGE OVER THE SUN/AMOKのWレコ発ツアーでの出会い)
大阪でSeathriftやegomaniacsといったバンドなどで活動しているHRTと言います。このたび三重のTHE ANCHORSの2ndアルバム"festivals"と、福岡のACADEMY FIGHT SONGの2ndアルバム"LIFETHINK"が共に2024年、秋と冬にリリースされたことを記念し、2025年2月8日(土)に大阪の難波ベアーズで2バンドのWレコ発イベントを開催します!
アンカーズ Gt/Voの寺田さんと、アカデミーのBa/Voのgivegive(a.k.a タカユキ)さん、Drums/Voのkabacさんとは、今回超久々の共演かつWレコ発…という事で寺田さん、givegiveさんの両名に、アルバムリリースとレコ発イベントを記念してWインタビュー&対談を行いました!
前回のパート①では、寺田さんとgivegiveさんの二人の出会いを聞きました。今回はアンカーズ寺田さんの音楽遍歴、活動遍歴や、音楽やる上での影響、感覚、精神などについて聞きました。時間の関係から、全キャリアでは無く音楽活動を始めた当初の事について主に聞いています。今回のアンカーズの2ndアルバムについてのインタビューはラストのパート4に掲載予定!
映画からU2を知りロックに目覚めた小学生時代
<HRT:以下 H>じゃあここから今のバンドに限らず二人のパーソナルな音楽、活動遍歴を聞かせてもらうということで…音楽活動を最初に始めた頃の話やきっかけを聞かせて下さい。まずは寺田さんからお願いします。
<寺田さん 以下:寺>ちょっと、事前に考えてきたやつを読ませて下さい。
<H>凄い!そんなちゃんと…。
<givegiveさん 以下:ギ>俺も考えて来てるよ!(笑)
<寺>小学生の頃から映画が好きで…小学生なんで主にアクション映画とか好きじゃないですか。それでブローン・アウェイっていうボストンが舞台のアクション映画を観て。中盤でトミー・リー・ジョーンズが爆弾魔で出てきて、昼間市場に行って買い物している時にU2のカセットテープを買って、壊れた船に戻ってそのテープを聴きながら爆弾を作ってるっていうシーンがあるんですよ。今考えたらそれは、U2ってテロリストに反対するSUNDAY BLOODY SUNDAYっていう曲とかあるバンドなのに、それを爆弾魔が聴いてるっていう皮肉表現なんですけど。でもそれは当時知らなくて、映画で聴いたU2が衝撃的にカッコよくて。U2のCDを買って音楽好きになったって感じすね。小6くらいに。でも、その頃ちょうどU2の新譜が出てない時期で、過去作を漁るしかないじゃないですか。当時ネットとか無いから洋楽雑誌を買って、U2の新しいアルバムリリースの情報を探してるうちに色々知識が入ってきて、ロックに詳しくなって、あれもこれも聞いてみようって色々広がっていった感じです。
<H>それは三重の地元のCD、レコード屋とかでですかね?
<寺>そうそう、今はもう減ったけど当時はCD屋もたくさんあったから。街の楽器屋+CD屋が一緒になったお店に通い詰めて、音楽にのめり込んで行ったって感じすね。
<H>じゃあ、がっつりロック少年って感じやったんですね、ちゃんと。
<寺>うん、もうがっつりそう・・・今もロック少年やけどね(笑)。あと音楽活動を始めたきっかけは、U2のライブのVHSを観て、ドラムがカッコいいと思ったんですよ。ギターとかボーカルももちろんかっこいいんですけど、僕どっちかというと後ろにいたいタイプなんですよね。いや本当に(笑)。控えめなんですよね。
<ギ>でも性格的にはそうだよね。それはわかる凄い。
<寺>そんなに俺が俺がって感じじゃなくて。ドラムをやりたくてドラマーを目指して、映像とか見ながら見よう見真似で、中学の頃コツコツと練習してたんですよ。ドラムセットとかは無くて叩いたこと無いから、授業中に授業聞くふりして指とか足でエアードラムみたいなのをして。で、高校に入る頃は当時めちゃくちゃバンドブームで、めっちゃハイスタやメロコアが流行ってて。
メロコアブームの中でひとり涙した高校生ドラマー時代
<ギ>いやーもうめちゃくちゃメロコアのブームの時だよね。
<寺>高校生になったら友達もバンドしてるし、スタジオへ初めて行ってちょっと叩かせてって中学の時に思い描いてたドラムを初めて叩いてみたら意外と叩けるなって。そこから高校の時はドラムを叩いてたんすよね。で、ドラムは好きやったんやけど、難点としてはバンドの音楽性のイニシアチブが取りづらいという事があって。今となっては(メロコアも)良いと思うんですけど、当時メロコア好きな人ばかりで、自分と音楽の趣味が合う子がいなかったから。
<H>寺田さんはその時はU2とかRADIOHEADとかUKロックとかの方が好きやったんですよね。
<寺>好きでしたね。それこそU2好きな友達も全然いなかったし。印象的なエピソードがあって。友達にライブを誘われてライブハウスに観に行って、正直言ってあんま良くないな〜って思ってチャリンコで帰ってたら、だんだん悲しくなってきて。なんでこんな趣味合わんやろと思って。で、家に帰ってコンポの前でPEARL JAMを聴きながら泣きました(笑)。
<ギ>いや、なんか泣いてそう(笑)。
<寺>それで、ドラムは音楽的なイニシアチブを取れないから、じゃあギター始めようってことで高3くらいからギターを始めようとして。でも僕が左利きなので…少し時間はかかりました。一念発起して、よしやるぞ!って友達から何千円かで右利き用のストラト買って、弦張り替えて左利き用にして始めて。で大学に入って、AMOKを始めたんすよね。
<H>じゃあギター始めて1年くらいで、大学からコピーバンドとかもせずにオリジナル曲のバンドでいきなりAMOKを始めたんすね。
<寺>そうそうそう。
<ギ>すごいね。
<寺>高校の時にコピーバンドはやってましたし、曲を作ることに興味があって。ギター弾いて歌ってそれをテープに録って聴いてもらう。聴いた反応がもらえるのが嬉しくて続けました。
大学生になり大阪への移住〜AMOKでの活動
<H>僕は寺田さんと初めて会ったのが学生時代の大阪だったので、結構大阪に住んでたイメージ今でも強いんですけど、寺田さんは元々凄い地元好きなイメージもあります。大学で大阪に来た理由はどんな感じですか?
<寺>まあでもそれは田舎者の発想やったんちゃうかな(笑)。都会はどんなとこなんだろうって。でも新喜劇とかお笑いが好きで関西に親近感が有ったから、東京に行くイメージはあんま無くて、大学選んだのは大阪やったなあ。
<H>でも大阪住んでたのは大学3年までの3年間で、4年の時はもう三重から大阪に通ってましたよね。
<寺>うん、やっぱ大阪は新喜劇のような人情の街のイメージやったんやけど、リアル関西弁がテレビよりもすごい冷たく怖く感じた(笑)。
<H>AMOKはどういう流れで組むってなったんでしたっけ?
<寺>ベースのよしさだ君は地元三重で高校生の時に一緒にコピーバンドをやってて。彼は京都に、自分は大阪に大学に行く事になって。僕が当時住んでた大阪の淡路と京都は阪急で30分くらいで近い。高校卒業する頃に彼とバンドやろうと約束して。で、よしさだ君が大学のサークルで見つけてきたのがドラムの石田君で。3人で1回スタジオ入ってみようかってなって。当時大阪で活動してたcreepの曲をコピーしてスタジオ入ったのがAMOKの始まり。石田君は高校生の時に地元の山口県でcreepのコピーバンドでドラム叩いてたから。山口って当時から印度洋ってライブハウスとかあって、音楽シーンが凄いんですよ。
<H>AMOK始めた大学1年の頃はどこで活動してたんですか?
<寺>よしさだ君と石田君が京都やったから、最初の頃は京都主体でやってた。初ライブは(2001年?)木屋町のEASTでオールナイトで、アウェーな中で夜中の12時にライブをやった。その後はやっぱり大阪のPIPE69が多かったかな。
<H>僕はAMOK初めて観た頃、大阪はPIPE69やCH Recordsのシーンみたいなものが有って、BEIRUT5、KARMA STENCH、FAHNERS WITCHとか初期のLOSTAGEとか、その中でAMOKもやっていて、(当時多かった印象だった)叙情系やニュースクールなハードコアから激情になるような流れよりも、オルタナとかがベースで、札幌のバンドの影響とかが大きかったり、かなり独特でしたよね。寺田さんは、気づいたらそういう中にいたなって感じでしたか?
<寺>なんか好きな先輩たちと一緒に遊んでもらってるっていう感覚やったよずっと。元々creep好きやったからAMOKで初めて京都のEASTで企画ライブやる時に、恐る恐るcreepのデモテープに書いてあったドラムの吉條さんの番号に電話したら出てくれて。直電で挨拶と出演交渉したりして。でもそんなシーン(に属してる)みたいな感じは、そのとき実感は無かった。
<H>寺田さんは高校の時に音楽も含めて地元のネットワークみたいなものが既に有ったのも、早くに大阪から地元の三重に戻った理由なんですかね。
<寺>そうかもね。地元に戻ったのは、大阪ももちろん面白かったし刺激を受けたけど、高校生の頃に地元でも色々体感してたから、というのもあるかも。
(AMOKはCH Recordsからの1stフルアルバムとラストデモ音源をリリース後、2005年頃に解散。その後、寺田さんは三重を拠点にTHE RAINRAINS、kmkms、THE ANCHORSで活動。)
THE ANCHORS休止〜再開
<駄目ヅマリ:以下 駄>アンカーズは結構止まってたじゃないですか?(2014〜2020年頃)その時もやりたいなーって感じだったんですか?
<寺>30代になって気持ち的にバンドから距離が離れた時もあったんやけど。でもその間も音楽自体は好きやったし、バンドの楽しさも知ってるし。さっき、シーン的なところでやってる実感がそんなに無かったって言ったけど、そんなに自分は音楽をやりきって無いと思えるからこそ、またアンカーズでの活動も再開もして、バンドをやり続けてるんかなと思う。そういえば、アンカーズが一番最初にスタジオに入って合わせた課題曲はMission Of BurmaのAcademy Fight Songだったんよ。
特に影響を受けた音楽や、音楽をする上での感覚やプレイスタイル
<H>今までに特に影響を受けたバンド、ミュージシャンは誰ですか?
<寺>バッて挙げると、U2、bloodthirsty butchers、MOGWAI、ENVY、THA BLUE HERB、TOM WAITS、ZAZEN BOYSや向井秀徳、Elliott Smithとか、よく聴くのは他にもいっぱいあってキリがないけど。
<H>ちなみに、寺田さんは活動始めてから今まで色んな進化や変遷はもちろんありますが、もうAMOKの最初の頃から、あの寺田節、寺田サウンドになってたんですか?ギターを始めてなんとなく弾いてたらというか、あのギターの癖やコード感がすぐに出来てたんですか?(18、19歳ごろのAMOKの初期音源も、寺田さん主宰のTARS RecordsのYoutubeチャンネルで聴けます。)
<寺>多分、下手で技術が無いから、それでもそれっぽくやりたいから、消去法的な感じやったと思うんやけどね。
<ギ>えー、うますぎやろそれでも。いや…もう君にしか弾けんギターよ。
<寺>そんなこと無い(笑)。
<ギ>いやもうね、今回改めてアンカーズのアルバムも聴かせてもらったけど、やっぱもう「寺田さん」じゃないですか。やっぱギターも歌もそうやけど、(昔から今まで)もう確立されてるんだよ。
<寺>そう言ってもらえるのは嬉しいですけどね。
<H>キャリアの最初から寺田さんの音になってる感じだったので、何かに明確に影響受けてそうなったのか、自分が素で出たのか、どうなんですかね?
<寺>AMOKはスリーピースやったから、例えば単音のフレーズだけ弾いても存在感がないから、開放弦も鳴らしながら一本のギターでどれだけ、なんて言うか世界観を作れるかみたいなのは意識してました。めっちゃ影響受けてるのはブッチャーズの吉村さんのギターだと思う。音楽聴いてて、雷落ちるような経験ってしたことないすか?
<ギ>いや、あるよ。あるある。
<寺>僕も明確にあって。高3の夏休みに親戚の田舎へ行った日。田舎で何もすることなく、夜全然寝れなかったんですね。そしたら深夜テレビで映画のタクシー・ドライバーがやってたんすよ。それをじーっと寝れずに見てたらどんどん変な感じになって。なんやこの映画は!ってテンションが上がってきて。目が冴えて朝まで起きてて、落ち着こうと思ってCDウォークマン持って散歩しようと。その時に聴いたのがブッチャーズのアルバム「未完成」やったんすよ。ブッチャーズはそれまでにも聴いてたし好きやったけど、その時に初めて、ブッチャーズの音楽の意味が分かったんですよ。誰もいない朝に田舎の田んぼ道をブッチャーズを聴きながら歩いた事で。北海道の広大なランドスケープの中で、ギターがジャーーンって鳴っている(のが見えてくる)のがもう衝撃やったんですよ。なんて言うか、それでもうめちゃくちゃくらったんですよ。本当に、もう余計に寝れんくなって(笑)。多分その感動を、自分で音楽やる時も生み出したかったんやと思う。その時の感動をいま一生懸命僕が喋っても、あまり共有できないでしょ。でも自分が味わったその強烈な体験をなんとか曲にして、(自分の音楽を聴いてる人に)体験して欲しい、分かってほしいっていう。それが表現の根本の欲求なんでしょうね。だから、多分自分が弾くのが変なギターになっていったと思うんやけどね(笑)。
<H>だから、この音に似せようとかよりも、自分がその時感じたような体験を味わって欲しかったってことですよね。
<寺>そうですね。あとAMOK始める時にはENVYも好きでした。それと、地元のバンドで当時、シュウくん(BALLADMEN、THE BECAUSE)がやってたUNDONEっていう、オルタナ、エモ、カオティックなバンドがめちゃくちゃかっこよかったんすよ。多分その影響もめっちゃでかいっすね。
<H>高校の時に地元三重でUNDONEを観てたんですね。
<寺>観てました。シュウくんが友達の兄ちゃんやったんですよ。さっき言ったメロコアのライブに自分もよく行ってたけど、一個だけ浮いてた、異彩を放っていたのがUNDONEやったんです。それこそさっきのgivegive君のCOWPERS観た時の話(次回更新するgivegiveさんの遍歴パートで紹介します)じゃないけど、本当なんじゃこりゃ!ってなったんですよ。
<H>さっき言ってたように、メロコアじゃない洋楽ロックとか好きな人ですら当時の同年代の高校生で少なかったのに、そこから当時のENVYとか激情っぽいものとかってさらにマニアックだったと思うんですけど、それもUNDONEきっかけだったんですか?
<寺>ENVYは、結構すごい噂になってて。凄いバンドがいるって。
君の靴と未来がリリースされる前、その頃シュウ君と仲良くなって家に遊びに行って。その時にThe eyes of a single eared prophetっていうCDを貸してもらったんかな。あ、初めて聴いたのは、僕の同級生でハードコアが好きな子に、ENVYのCDを貰って聴いてガーンとやられて。その時のENVYの影響は今も凄い大きいです。あとシュウ君がゼアイズを(地元の)伊勢に呼んでいて、高校の時に観れました。アンダーグラウンドのカオティックなシーンみたいなものを引っ張って来てくれたと思う。
<駄>シマダさん(The Miscasts,ERIC ORGAST)も言ってましたけど、シュウさんの存在はやっぱ三重で大きかったんですね。
<寺>うん、大きかった。シマダくんのERIC ORGASTもめっちゃかっこよかったよ。
<H>じゃあ、高校の時までに洋楽ロックも、ポストロックとかパンクとかカオティックな音楽とかも色々、友達伝いとか含めてガッと自分に入ってきたんですね。
<寺>そうやね。あの当時は自分でも音楽を探してたし、同時多発的に周りの友だちも色んな音楽を聴いてたから。
地元でバンド活動を続けること
<H>寺田さんは地元で長く活動してますが、地元でやることへの思いとかこだわりとか有ったりしますか?
<寺>生活しているのが地元やからってのはもちろんそうで、単純に地元が好きっていうのもあって。今回この質問してもらって気づけて凄い良かったと思ったのが、地元でやってるイコール、家から離れなくても音楽ができるって事。生活ベースで、ライフワークとして音楽ができる良さがあって。よく言えば生活感ありきで出来る。今回のアンカーズのアルバムも、地元(三重)の隣の津市にある、車で20分で行けるスタジオ(nostos)でレコーディングをして。これまではアルバムのレコーディングって遠征で大阪に行って、4、5日スタジオに篭ってみたいな合宿みたいな感じでしか出来てなかったんやけど。今回は、例えば家で夕飯作ってから録音に行けたり、仕事の合間の時間に車でバッと行って歌だけ録りに行けたり。生活と音楽の距離が凄い近くなったのが、地元でやってるからこその良さかなと思います。あともう1個言えば、地元で活動してると友達との付き合いが長いから、そういう友達の中でも、ライブハウスやスタジオとか音楽を生業にする人も出てくるので。自分たちも彼らに貢献できたらいいなと思うし、逆に彼らに頼ることも出来たり、そういう関係が出来てきているなって言うのは、長年地元でやってるからこその良さだと思う。
最近良かった音源やバンド
<H>最近良かった音源やバンド、ライブは地元もそれ以外も含めて何かありましたか?
<寺>やっぱあれじゃないですか。SEMENTOSじゃないすかね。ライブはまだ見てないんですけど、アルバムで最近ちゃんと初めて聴いて、うわーなんなんめっちゃかっこいいなって。その時ちょっと飲みながら聴いてたけど、次の日(シラフで)聴いたらもっと良くて(笑)。そういう音源って最近あんまり無かったから。アルバムとして通してガツーンって食らったなあっていうのはSEMENTOSかなあ。あとは、これは言うとかないとって言うのは5kai。最新のアルバムのリリースの当初も凄い良くて聴いてたけど、最近また聴いてます。寒くなったら聴きたくなるんですよね、5kaiって。で改めて聴いたら最初に聞いた印象とまた全然違って。こんなに作り込まれてるの?っていうのがまた衝撃で、改めて凄いなって実感してますね。アルバムの1曲目とか、コラージュでアルペジオをめっちゃ細かく繋げてるんですけど、多分イージーリスニングな感じでサラッと聴いてたら、少しノイズ入りながらギターを弾いてるのかな、くらいの感じなんですけど、大きい音でちゃんと聴くと、1センテンスごとに凝縮されたこだわりの塊なんですよね。聴くたびに発見がある。多分風化していかへんやろなと思った名盤ですね。
<H>どちらも寺田さんより下の世代の日本のバンドですよね。
<駄>5kaiのアルバムとアンカーズの今回のアルバムのレコーディングエンジニアは同じ人(nostosの朝倉直浩さん)ですよね?
<寺>そうそう。5kaiも朝倉さんも、本当に凄いなって思う。
今後の音楽活動の野望や目標
<H>今後、音楽活動やる上で、実現難しそうなものでも良いので目標や野望みたいなものありますか?
<寺>いや僕全然そういうのは・・・(笑)同じテンションっていうか、バンド活動が一番楽しいから、楽しい状態を続けていきたい、保って行きたいと思う事ですね。ただ、実現が難しそうでも構わないっていう話なら、KEXPが好きなんで、あれに出たいなあ(笑)。
次回:パート② アカデミーファイトソング giveive氏の音楽・活動遍歴と影響、感覚、精神編
(前回:パート① 【パート①序章】2004年のSTRANGE OVER THE SUN/AMOKのWレコ発ツアーでの出会い)