神さまに、丸投げする
この問題、悩みを解決するには。
この願いを叶えるためには。
自分でどうにかしなきゃ。
でも、どうしたらいいんだろう?
そうやって考えて、あれやこれや色んな方法を探したり、試したり。
確かに、これで悩みが解決したり、願いが叶うこともあったけれど、解決したあとに、また問題が発生したり、叶った後に何かモヤモヤしたり。
…こういうとき、私たちはエゴ(自我)の力を使っている/使おうとしています。
体も心も、とっても疲れます。
なので、解決したいことも、叶えたいことも、すべて神さま(大いなる存在)に委ねます。
神さま、どうかこの悩みや問題、願いを、私やまわりの人(家族や友人、同僚など)みんなが奇跡を受けるための道具として使ってください、と祈りを捧げます。
エゴは自分で計画してコントロールするのが好きなので、神さまに委ねるなんて、すごく嫌がるし、恐がります。
『神さま?そんなのいるわけないじゃん』
『神さま、なんて言い出して、自分は頭がおかしくなったんじゃない?』
『自分で、なんとかするべきだ!』
こんな声が聞こえたとしたら、これもエゴの抵抗です。
エゴの抵抗が湧くのも自然なことなので、エゴと闘ったり、エゴを消そうとしないで、エゴの声はそのままただ、脇に置きます。
最初は恐いけれど、何度も何度も、神さまに祈り続けていくうちに、
『自分の計画ではなくて、神さまの計画、采配に委ねてしまおう』
そう思えるような日が、少しずつ増えていきます。
神さまは、私たちが本当に望んでるモノを分かっていて、最高のタイミングでそれを届けてくれるので、そのことに心を開いて待ちます。
神さまの、完璧な采配を信じます。
でも、そんなふうに思えない時は、ありのまま、
『神さまを信じるなんてできません』
『神さまを信じることが怖いです』
そのまま正直な気持ちを、ただ神さまに打ち明けます。
神さまを信じられないからって、神様さまは、そんな私たちを罰したり、裁いたりすることはありません。
(罰したり、裁いてくるような神さまは、神さまのフリをしてる別の何かです)