恐怖と危険度は実は違う
こんにちは、たにしんです。
最近、コロナ感染者がまた増え始めていますね。
感染対策はしっかりとしていても、子どもが感染して家に帰ってきて、家庭内で感染というのが、私の身近で多い例です。
保育園に通うような小さな子どもが、厳密な感染対策をできるわけもないだろうし、なかなか止めづらいんだろうなと感じています。
ここまで来ると、最大限注意していても、なってしまうときはなってしまうと諦めざるを得ないな、と思います。
社会の反応もコロナに対して徐々に適応してきており、以前のような過剰反応もなくなってきているのではないでしょうか。
本当に流行り初めた当初は、感染した人が引っ越していったとか、本当かどうかもわからない噂が流れていたものです。笑
でも、そういった噂がまことしやかに囁かれていたということは、やはり社会の反応がそれだけ敏感になっていたということだと思います。
それが、ようやく適正な反応に近づいているのではないでしょうか。
もちろん、私は医療職なので、油断はしませんが、このまま本当のウィズ コロナ になればいいなと思っています。
ここまでの道のりで、やっぱり大事だと思ったのは、客観的なデータを分析して、そこからわかることをみんなで共有するということ。
コロナのような新型の感染症が流行れば、怖いのはわかりますが、徐々にデータが揃ってきた段階においては、「ただ怖がる」のではなく、「適切に怖がる」というのが大事だと常々思っていました。
ファクトフルネスという本の中で、人の感じる恐怖と実際の危険度は違うという話が解説されていたのを思い出しました。
この恐怖と危険度の勘違いというのは、実際に身近なところにもたくさんあると思います。
例えば、交通事故で亡くなる確率のほうが、飛行機事故で亡くなる確率よりも高いのに、車は平気で飛行機は怖くて乗れない人、とか。
これは私の父の話なのですが。笑
こういう事例、探すとたくさんあると思います。
もちろん、感情的な部分が大きいことはわかっているけど、飛行機に乗るのは嫌だ、という人もいると思います。
そういう人は、自分の中で考えが整理できているのでいいかと思うのですが、問題となるのは、「漠然と怖い」という状況ではないかと思います。
漠然と怖いという感情は、自分がなぜ怖いのかを考えることを放棄したときに持つ感情ではないかと思います。
そういう感情は、自分の中で整理ができておらず、その怖さも薄れることはありません。
怖さがあったなら、それに対して、なぜ怖いのか?実際の危険度はどの程度か?ということを考えると、恐怖に立ち向かえるのではないでしょうか。
私も、そのように心がけようと思う、今日このごろです。