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長い長い並走撮影

映画「少年と自転車」
2011 年 ベルギー=フランス=イタリア映画
※この映画評はネタバレを含みます。

 主人公の 11 歳の少年は、バットで人を殴り新聞屋の売上を強奪する。なぜ、そんなことをしたかと言えば、年上の不良にそそのかされたからだ。その不良は、少年のマウンテンバイクがパンクした時にただで直してくれたし、空腹の時にスナックを奢ってくれた。札付きの悪人ではないのだ。

 少年はマウンテンバイクで長い距離を走り、強奪した金を父親に渡しに行く。父親は、少年を施設に預けて失踪し、やっと探し当てた少年に「金を稼ぐ間、お前は重荷だ。もう来るな。電話もするな」と言った男だ。案の上、父親は「俺を犯罪人にするのか」と怒り、3 メートルの高さの塀(父親の仕事場の裏庭と外を隔てている)の向こうへと息子を追い返す。少年が塀の上から飛び降りた時、塀の中から「大丈夫か?」と心配する声がする。この父親もチキン野郎だが悪人ではないのだ。

 少年は再び長い距離をマウンテンバイクで走って、里親の女性の家へと向う。この女性は、少年の父親が他人に売ってしまったこのマウンテンバイク(少年の唯一の宝物)を、探して買い戻してくれた人だ。人に何かをしてもらった時に「メルシー」と言うことを教えてくれた人だ。そして今この時、少年のために涙を流している人だ。少年は制止する彼女をナイフで傷つけて、犯罪を犯すために家を飛び出してきたのだ。でも少年は、帰るところは彼女のもとであることを知っている。

 長い長い並走撮影のシーンである。少年はマウンテンバイクで夜の街を疾走して行く。ただただ走って行く。少年には特に表情はなく、泣いているわけでもない。ただ、観客の心に彼の思いがなだれ込んできて、こちらの胃までキリキリ痛くなってくる。

 映画とは「疾走」である。映画とは「揺れ」である。映画とは「風」である。どんなに CG 技術やブルースクリーンが進歩しても、ここだけは譲れない場所である。映画作家が、本物を死守しなければならない場所である。小津安二郎が、列車の撮影だけは本物にこだわったように。

 ダルデンヌ兄弟は映画を熟知している。その才能は凄すぎて、嫉妬や羨望すらおきない。

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