第七章:監査法人と主査
※この物語はフィクションです。
閲覧中に気分を害されたり、過去のトラウマがフラッシュバックしたりした場合は一度深呼吸をするか、閲覧を控えてください。
監査法人で働く上で最初にぶつかる壁の1つに主査業務というものがある。上司から指示を受け、期限までに作業が終わるように適時に進捗報告を行うスタッフ業務とは異なり、監査スケジュールを立て、スタッフに指示をしつつ、会社からの照会事項や相談対応をこなす必要がある。早い者であれば2年目から経験できるが、実際に主査になると前任者の作業を現場で見ていたとしても何から手を付けるべきかわからず四苦八苦するはずだ。
なおここでの主査とは、「会社やチーム内の窓口となり現場をとりまとめる者」を言い、一般事業会社のチームリーダーや現場責任者に近い役割の者とする。また会社のビジネスや規模によっても主査の難易度は異なるが概ね以下のようなレベル感で考えてもらってよい。 (ただし初年度監査を除く)
_____________________________________
SS 海外子会社を持つ上場会社(売上1兆超)
S 海外子会社を持つ上場会社(売上1兆以下)
A 海外子会社を持たないその他上場会社
B 監査計画時間1000時間超の法定監査(会社法監査等)/構成単位の監査人としての監査
C 監査計画時間1000時間以下の法定監査(会社法監査等)/構成単位の監査人としての監査
D ファンド、組合監査
________________________________________
E 任意監査
まず海外子会社を持つ会社を担当すると英語やその他外国語を使ったコミュニケーションが増えるだけでなく、要求事項も増える。例えば単体の財務諸表を連結で取り込む上での現地特有の会計処理や規制の理解をしなければならない。
上場会社については、内部統制報告制度の対象となるため評価範囲に応じて本社以外の事業拠点へ往査に行く必要がある。その他にも半期報告書に対する期中レビューが必要であるため会計年度期末以外の数値も検証しなければならない。さらに未上場会社よりアクションが活発であるため、企業買収や新規事業の立ち上げに関する照会事項にも時間を割く必要がある。
上記以外の法定監査についても、監査報告書を提出するために複数回法人内の審査を受けることが求められる。また監査役や取締役等の役員とのコミュニケーションの場も増えるため、彼らと同じ土俵に立てるくらいの業界の知識やトレンドを把握しなければならない。
一方任意監査については難易度はかなり低いので、リクルーターや学生合格の若者が「2年目なのに主査やらされた」「スタッフ業務とは違って、主査はやることが多いから毎日23時まで働いてる」等と宣っていたら「会社法監査ですか?上場会社監査ですか?」と聞いてみてはいかがだろうか。
求められる能力は多々あるが4つの能力が備わっていたら他の主査と差別化が図れる。
①チームの雰囲気形成能力
リクルーターが法人の顔なら、主査は監査チームの顔である。各関係者間の潤滑油としての役割が求められるため主査が機能しないと監査チームは崩壊すると言っても過言ではない。主査が機能していないと周りからは「大変そうだね」と同情され、姿を見かけなくなると「〇〇チームは大丈夫?」と要らぬ心配をかけてしまう。上記悪評を避けるため密にコミュニケーションをとり最低限チームとして機能しているというアピールが必要である。適度な雑談や指導によってチームの雰囲気が良くなり、適度な出社と情報共有でチームの状況が伝わる。
チームの雰囲気が良くなると以下のようなメリットが生まれる。
チーム内メリット
チーム内の雰囲気が良くなるとコミュニケーションが活発化する。その結果スタッフは、主査を含めた上司に気兼ねなく質問ができるようになる。さらにOJTや雑談を通じてチームの結束力とレベルも高まると、業務に関する意見交換が活発になり作業も円滑に進む。
そして作業が円滑に進むとマネージャーも余計な指導や心配をする必要がなくなり、ある程度は現場に任せつつ重要論点にのみ時間を使うことができる。
チームでイベントに参加したり、毎日ランチを共にしたり等の馴れ合いが必要と良いというわけではないが、大半の者は毎日ピリピリしているチームよりかは雰囲気の良いチームで働きたいだろう。
チーム外メリット
〇〇チームといえば△△主査といった雰囲気が作れると他の監査チームとのコミュニケーションの機会が増える。例えば同種の会社を担当している主査同士のコミュニティに誘われ、業界特有の論点が発生した際の情報収集の場として役に立つ。ある程度名が知られていないと声がかかることはないため、このようなコミュニティに属していない者は苦労をしているはずだ。
さらに、チームの評判が良いという情報が事業部内までに伝わると、リクルート時にチームのプレゼンをしてほしいとの声がかかることがある。プレゼン内容に共感した就活生が実際に入社してくれた場合は、事業部に"貸し"を作ったことになるため、アサイン交渉権や昇格交渉に使えるかもしれない。
対会社メリット
言わずもがなである。
②仮面形成能力
どんなに仕事を抱えていてもストレスや不満、疲れを極力見せずに、余裕を見せる能力である。チームの窓口である主査にこの能力が欠けていると、疲れや不安がチーム全体に伝播してしまう。実はこれが一番難しい。
最近は主査のボリュームゾーンである入社4~8年目の者の退職が増え、スタッフが「いきなり主査をやらされるかもしれない」と戦々恐々としている。彼らに精神面で負担をかけてチームが機能不全に落ちないように、理想の上司を演じることが必要だ。
ただ、あまり仮面を形成しすぎると主人格を忘れてしまうため注意が必要だ。また焦らないといけないシチュエーションでも、何とかなると思い込んでしまい大惨事を招くこともある。
適度に仮面を形成しつつ、ストレスが溜まった場合はスポーツをして汗を流すなり、匿名掲示板で悪態をつくなりすれば丁度良いだろう。
③マルチタスク能力
先に述べたように、主査にはチームや会社の窓口としての役割が求められる。よって部下に指示をして、上司に必要な情報を伝達し、会社とやり取りをしながら調書を作成したりレビューをしたりしなければならない。これらを同時にこなすために、タスクを重要度と難易度別に細分化し割り振る能力が求められる。まずはタスクを洗い出すことから始まるがこれが一番重要だ。
例えば定例的な往査準備。会社との日程調整や作業の洗い出し等があるが、この段階でタスクの洗い出し洩れがあると悲惨である。なぜなら監査は期末に近づくほど忙しくなるため、作業洩れを取り返すのは難しいからである。定例的な作業でも慣れないうちはタスクの洗い出しに時間を使った方が良い。
タスクを以下のように重要度と難易度別に細分化したとする。
重要度が高いのは会社とのやり取りである。だが人数とスケジュールさえ事前に決めさえすれば候補日や人数をメールで伝えるだけであるため難易度自体は低い。そのため太字のタスクは主査が担当し、それ以外は別の者に割り振れば良いだろう。
臨時的な相談事項があった場合も同様だが、大抵主査一人では終わらないのでタスクの細分化の粒度を上げて可能な限り作業を割り振るべきである。
このマルチタスク能力は、①の雰囲気形成能力と互換性がある。雑談を含めたコミュニケーションを通じて、スタッフの得意・苦手分野が
わかるとタスクを振りやすくなる。得意分野についてはある程度雑に作業を任せ、苦手分野については丁寧に説明したほうが良いだろう。また重要度が高いタスクについてはそのタスクが得意な者に、低いタスクは苦手な者に割り振ることでチームとしても作業が円滑に進みつつ、スタッフの成長にもつながる。
④情報収集能力
会計士は職業的専門家として専門能力の向上と知識の蓄積が求められるため、新聞やニュースを見たり、会計士協会の研修を受けたり等の日々の自己研鑽が必要だ。ただ日夜働きつつ常に最新の会計基準や監査論点をキャッチアップするのは中々難しい。そこでもう一つ重要なのは、いつでも情報にアクセスできるような環境づくりである。PC上に監査基準報告書や会計基準、又は業界レポートが即座に開けるような巨大なショートカットを作成したり、監査に関わるITやAIの書籍を定期購入したり、起床アラームと同時にニュースが流れるようにしたり等である。半強制的に情報が入るようにすれば自ずと情報を収集できるはずである。
そしてもう一つ、それぞれの分野に強みを持った会計士と交流を深めることも重要である。共に仕事をする中で建設業の実務ならAさん、中国の税務ならBさんといった人間関係を構築できれば情報収集の手間も省ける。いざとなったらすぐに相談できる人がいるというのは心強いものである。もちろん自分自身も何かしらの強みを持ったギブアンドテイクの関係であることは大前提である。
優秀な弁護士は全ての条文や判例を把握しているわけではないし、優秀なエンジニアも全てのコードを暗記しているわけではない。必要な情報の集め方に秀でているから優秀なのだろう。優秀な会計士も同じはずである。
最後に
以上の4つの能力に加え入社時から培った監査・会計の知識や実務経験が合わされば社会人としての市場価値は相当高まっているはずだ。
もし自身の価値に対する評価が見合っていないと感じたら、監査法人をさっさと退職して新たな世界に飛び出してもらえればいかがだろうか。