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『傷を愛せるか』を読んで
情緒教育
今思っている事を素直に書くなら、「引っ越しの時、Bluetoothのキーボードを何故持って来なかったのか」という事と、「自分は結局、感情を文章で表す作業を必要としている」という事のような気がする。
2024年は激動の一年だった。
大きな出来事が何度も起こった。
自分という生き物を見つめ直すキッカケを得た事。(それをくれた人物との関係の深まりや血を吐くような言葉の遣り取りを含む)
10年以上、互いの人生の半分以上を時に友人として、人生のパートナーとして共に過ごした女性と別れた事。
それに伴って、終の住処だと思って過ごした家を出た事。
心身ともに限界を超えて入院した事。
まだまだあるけれど、恥ずべき事が多すぎて書く事が出来ない。いつか書く事があるかも知れないし、一生秘めたままである事もきっとあるのだろう。
有難い事に、友人一家のお宅に愛猫と共に居候させて貰い、半月程になる。
完全なる優しさでもって少ない金銭で食住の世話になっているので、そろそろ何か役に立てる事があれば良いのだけど、病人が役に立つような厄災に見舞われる事などない方が良いに決まっているので、それで良いのかもしれない。
noteのアプリ自体開いたのが久しぶりである事に加え、まずそもそも長文を書く機会が減った。
小説も書かなくなったし、心情や思考の代わりに写真を添えるようになり、感想の代わりに行動を記すようになった、ある程度意識してそうした部分もあるように思う。思考の内側をインターネットの海に曝す事が、急に馬鹿らしくなった。
では何故いまこの文章を書いているのかというと、理由はかなり衝動的だ。
書かずにいられなくなったから。
日頃の読書習慣や映画鑑賞の趣味の最中、常に頭が動いている。
この人物が何故泣いているのか。この感覚は自分にも覚えがある。この行動にはそんな名前がついているのか。美しい言葉だ。青みがかった映像が好きだ。この一連のカメラワークはどんな意味があるのか。きっと犯人はこの人で、動機はこんなものだろう。
カケラも頭が落ち着いていないので、穏やかな気分の時にしかそれらは楽しめない。気分を切り替える為には選べない。けれど本来、趣味とはそういう物なのかも知れない。
では自分が気分を切り替える為に何をしていたかというと、気持ちを文章にして書き起こす事で、それを恥ずかしい事だと思い始めてから、身体に毒が溜まるみたいにおかしくなったのだろうか。自分の毒で死ぬみたいに。或いはある程度落ち着いた今だからこそ、文章に出来るのだろうか。
××ではなく◯◯
初めて会う担当医は穏やかでこちらを見下す印象は無く、私が一息に吐きだす言葉を何度も頷きながら聴いて、なんでもない事のように「じゃあ、今日から入院しようか」と言った。私と、私を病院まで車で送ってくれたケースワーカーの方は「流石に今日の今日は……」と驚いて声を揃えて言った。
「丁度一床空きがあるので、もう今日から入院した方が良いです。次は埋まってしまっている可能性が高いので。」
頷いたのは殆ど無意識だった。もう心身共に限界だった。
結局、三ヶ月を予定していた入院は一週間で打ち切った。
入院している間に飼っている猫が死んでしまうのではないか、という事と、今閉まっているドアが静かに開いて、他の男性患者が入って来るのではないか、という恐怖に耐えられなくなってしまったのが主な理由だった。
当時はパニックになっていて意味がわからない言い訳のようなものを繰り返し、医師が必死に止めるのも聞かずに殆ど無理矢理退院し、自宅療養と通院に切り替えた。
根本的解決になっていないので、当然良くなる訳もなかった。
通院していく内に体調はコロコロと変わる。
それでも、友人の家に住まわせて貰った今、一番精神が安定しているので、結果的には良かった。周囲の人間には感謝するばかりです、ほんとうに。
悪化していったハッキリとした理由は、自分では理解しているけれど、置いておく。
「××ではなく◯◯なのではないか」
入院からずっとお世話になっている医師曰く、××の要素も否定出来ないが◯◯の影響が強過ぎるので、まず◯◯の治療をしない事には根本的解決にならないのではないか、と言う。
ハッキリとした病名は伏せるけれど、どちらの病名も精神疾患であり、治療というのはつまり、私の出生から現在までを遡り掘り起こし、古傷を抉る作業をする、という事なのだろうな、と専門家でもない私は思った。そしてそれを私はセルフで一年かけて行ってしまい、大勢の人(特に冒頭で話題に出した友人)に負担を強いた。
毒を撒き散らして無理矢理飲み込ませたようなものだった。
私が××という病名を告げられたのは14歳の頃だった。
それからはずっとその病気と生きてきている。今更主たる病名が変わると言われると、私の半生は何だったのか、と言う気もする。勿論、××の素養も持ってはいるのだろう。症状や親の様子からいっても、それは明らかだからだ。
「落ち着いている時にでもテストをしましょう」と言われてその日の診療は終わった。
そしてこれを書きながら、それは今なんじゃないか、と思っている。
読書習慣と記録
幼い頃から、趣味は読書です、と言う子どもだった。
生育環境の話はまたいつか書くのかも知れないけれど、兎に角家中に本がある家で育った。押し入れにもトイレにも、一軒家が潰れそうな程本があった。そのせいで文章を読む事に抵抗がない事だけは感謝している。
読書漬けの日々の中で、ブクログという読書記録アプリに出会った。
自分の読書記録を残したり、他のユーザーの口コミを調べたり、新刊情報を貰えたりといった「web本棚サービス」だ。
一時期多忙故に読書から離れていた私は(何故、忙しいと読書が出来なくなるのだろう。SNSは開ける癖に!)再びのめり込むと同時にこちらのサービスに登録した。友人らに読んだ本を薦める時、あの作品のタイトルなんだっけ。最近一番読んで面白かったんだけど、などという時も直ぐに自分の本棚をアプリで開いて確認出来る。記憶力に自信がない私は大変お世話になっている。
たまたま開いたブクログ通信の「本」週間ランキングのページにその本はあった。
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第三位 『傷を愛せるか』 著:宮地尚子
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Amazonを開くと、帯にはこうある。
「傷を抱えて生きる全ての人に」
「トラウマ研究の第一人者による深く沁みとおるエッセイ」
◯◯とは、簡単に言ってしまえばトラウマだ。
私は殆ど衝動的にこの本を買って、届くと直ぐに読み始め、その読み易さに驚いた。エッセイとはいえ研究者の書くそれは、難読漢字の連続だと思っていた。完全なる先入観だ。というよりは、エッセイではなく人生指南書のつもりで読み始めたからかもしれない。
『生きづらさの説明』や『傷の癒し方』を求めて開いた本だったが、当然のようにそんな明確なものは載っていない。これは宮地尚子女史のエッセイだから。彼女が何を見て何を感じたかが、淡々と述べられている。
早朝の湖畔のような、瑞々しい透き通った瑞々しい文字の羅列は、精神科医も人間なんだなと再度思わせてくれた。
傷を愛せるか
トラウマとの向き合い方ってこんな感じかな、と思った箇所を抜粋させて頂く。
ちょうど友人から宿命論と因果論の話を聞いた。宿命論者は「あなたの未来は決まっている。もし爆弾で死ぬと決まっていれば、防御策をとっても死ぬ。死なないと決まっているなら、防御策をとらなくても死なない」という。それにたいして、因果論者は「防策をとれば死なず、とらなければ死ぬ」という。
宿命論と因果論の対立はじつは擬似的なものだ、というふうに彼の議論はつづくのたか、難解なのでわたしに要約する力はない。ただ、宿命論と因果論はたしかにどちらも、トラウマをあつかう場や、広く医意現場を長において、よく使われていることに気づく。事故や重病に見舞われることに理由はあり、同時に理由はない。回復するかどうかは努力次第であり、また運次第でもある。過去を受け入れ、同時に未来への希望を紡ぎつづけるには、おそらくほどほどの無力感=宿命論と、ほどほどの万能感=因果論を抱え込むことが必要なのだ。両方を共存させ、納得しやすいほう、生きていくのが楽になるほうを、そのときどきで都合よく使いわけることが重要なのだ。
人はだれでも、正しかったかどうかだけでなく、自分がそこにいる意味があったのかどうか、自分がかかわることでなにか違いがつくり出せたのかを確認したいと思う。
けれどもそれもまたはっきりした答えはなく、自分なりに納得するしかないのだろう。
宿命論 P96〜P97
トラウマと向き合うという事は、多くの「何故」と「どうすれば良かったのか」を飲み込まなければいけない。
過去の出来事であるが故に、今更それらをどれ程考えようとも現在が変わる事はない。眠れない夜に人を殺す妄想で頭が一杯になっても、夜中悪夢に魘されても、どれだけ過去を呪っても何も解決はしない。そもそも、原因は自分にない事だって多いのだから、自分の行動一つで変わるものはそう多くないのだ。
頭ではわかっていても浮かぶそれらを、「仕方なかった」「終わった事だ」と切り捨てて、その後の出逢いについて考える。過去の自分があって今の自分があり、それらを丸ごと愛してくれた人々の事を。
綺麗事だと自分を詰りながら、他人を呪いながらでも。
(中略)
最後に、発見その六。溺れそうな気持ちの大切さ。「なんでできないの?」と「なんでできるの?」には深い溝がある。教える側も教わる側も、どちらもがもどかしい。
わたしは臨床ではもっぱらアドバイスをする側であるが、「なんでこれくらいのことができないの?」と思うことは正直多い。例えば、自分を守ること、人との距離を保つこと、自分の気持ちを抑えること、独りでいること。そんな「普通の人」にとっては簡単なことでも、患者さんはできなかったりする。でも、「ああ、彼女はいつも溺れそうな気持ちで生きているんだな」と気づけば、もっと寄り添える。
溺れそうだと思っている人に、「力を抜いて!」といっても無理である。「身体を感じて」とか「水に身体をゆだねて」といってもむだである。溺れそうなときに、たくさんのことを言われても耳に入らない。身体を少しずつ水に慣らし、恐怖をやわらげていくしかない。
溺れそうな気持ち。必死で手足をばたつかせないと、沈んでいきそうな感覚。息苦しくて、なにがなんでも水面上に顔を上げてしまいたくなる気持ち。すくんで縮こまる身体。何かにしがみつきたくなる衝動。上手に泳げるようになったら、忘れてしまうであろうその感じを、できればずっと覚えていたい。
本当に、「そうそう、それ!」と言いたくなる。
簡単そうに見えるそれらが、私は本当に出来ないのだ。
例えば此処に不機嫌そうな人間がいるとする。
私とは全然関係のない事で不機嫌になっている人物だ。
そういう時、私はその人と距離を取る事が全くできない。
どうにかしてその人物の気を逸らし、不機嫌を取り除き、笑顔にさせなければならないと思う。(友人から指摘されて知ったのだが)兎に角何もかもの悪い事象を、自分が原因で起こっていると思ってしまうのだ。自意識過剰だよ!と言われても、本当にその場から離れる事も意識を逸らす事も出来ないのだ。道化を演じ、必死に慰め、どうにかその人物の気持ちが上向くように過剰な程言葉を重ねてしまう。
そう言う時そっと離席して自室で煙草でも吹かせられたら、きっと現状は此処まで悪くなっていなかっただろう。病状もそうだ。
兎に角ひとりの時間を確保する事が人生で全く出来ていない。誰かの機嫌を常に伺って生きているのだ。
宮地女史は、そんな私(たち)を「溺れそうな気持ち」でいる人々と喩えることで、寄り添ってくれているようだった。
おわりに
手前勝手な文章をつらつらと並べてしまったが、気付けば引用も含めたら結構な文字数になってしまった。ただの読書感想文なのに……。
他にも紹介したい言葉が沢山あり、沢山電子に起こしていたのだけど、こんな所ではなく実際に読んで感じて欲しいなと思い直したので抜粋は辞めておく。
全ての傷を抱えた人へ。
読書感想文を読んでくださってありがとうございます。
是非、宮地女史の「傷を愛せるか」を読んで、特にP226〜P227を読んで、そっと深呼吸してみてください。
水面から顔を上げて、肺いっぱい新鮮な空気を吸い込んで、それらを身体中に染み渡らせて。
私もまだまだ出来ないのだけど。
そうして、傷を抱えたまま、弱いままでも、何となくでも、死ぬまでだけ、生きていけたらいいですね。