夏祭り放浪記 その2:役者、出揃う
はじめに
この記事は、「夏祭り放浪記」その2である。今回は、「個人夏祭り」初期のプラン、当局との「接敵」、見えはじめる「裏事情」を扱う。他編もぜひ読んでいただきたい。
前
後
空想から現実へ――合法路線への道――
6月7日――「個人夏祭り」当初案――
「夏まつり」中止とともに始まった自主学祭「個人夏祭り」計画だが、その当初の案は、本当に「個人」で夏祭りをしようというものだった。
すなわち、こういうことだ。「『夏まつり』が中止になった以上、7月6日は『普通の土曜日』のはずだ。であれば、個々人が集まって、『別々に』企画を行っても問題ないだろう」というものだった。要するにゲリラ的にやって、(不当に!)注意を「普段非公認団体が集会開いてるのと何が違うんだ」と反論しようという算段だった。学則の精査や、同じく許可を取ることなく開かれていたパレスチナ連帯キャンプ主催者への先行例としての取材など、ゲリラ的開催に向けての理論武装を進めた。さらに、最悪豊中キャンパスや服部緑地など別会場に避難することも考えていた。
6月8・9日――出展者の増加と路線変更のきざし――
しかし、このゲリラ路線、早くも翌日には陰りが見えるようになってきた。本当に出展者が集まってしまったからだ。というのも、正直なところ、私が一人でキャンパスのテラスに陣取り、来客といえば精々時々知り合いが見物に来るくらいだろうと思っていたのだ。だからこそ、注意されたら反論しようと思っていたし、最悪別会場に避難しようと思っていた。
しかし、8,9日のうちに、盆踊り、スーパーボールすくい、本の書き出しカルタなど出展者希望者がどんどん集まってきてしまった。とてもありがたいことだ。しかし、規模が大きくなればなるほど、非合法ゲリラ路線は難しくなってくる。
理由の一つは、小回りが利かなくなることだ。私とあと1,2人くらいであれば、いざとなれば豊中キャンパスにでも服部緑地にでもヒジュラ(聖還)ができた。だが、十指に余る企画者と、それ以上の参加者を抱えるとなるとそうはいかない。場所を移してしまえば、少なからずの「離脱者」が生まれ、その存在がイベントの空中分解を招くことになるだろう。
空中分解の恐れはなにも移動によるものだけではない。規模が拡大すること自体により、当局による介入による空中分解の可能性も増大する。集団の常として、大きくなればなるほど脆弱となる。「やめなさい」という鶴の一声で総崩れになるという可能性もないとは言えない。当局にとって文句のつけようもない、我々が大手を振って活動できるアジール(聖域)が必要になってきた。
6月10日――一大ダンスサークルの参戦?――
週明けの6月10日、月曜日が全休の私は自室でさあどうしようかと頭を捻っていた。そのとき、「個人夏祭り」告知ツイートに1つのリプライが届く。送り人は、100人を超えるメンバーを擁する、大阪大学三大ダンスサークルの一つであった。
鉄は熱いうちに打て――全休を家でぬくぬく謳歌するつもりだった私は「夜会いましょう」と返し、身支度を始めた。
夜、駅に向かうほとんどの人間の流れに逆らい、私は箕面船場阪大前駅から箕面キャンパスに向かった。集合場所に現れたのはダンスサークルの代表であった。そして、その口から衝撃の事実が語られた。
すなわち、そのダンスサークルも「夏まつり」の代替となる自主学祭の開催を計画していたのである。しかも、本家「夏まつり」と質量ともに遜色ないものを。前日から準備して豊中キャンパスの学祭を取り仕切る中実に機材・ノウハウを借りてステージを建てるつもりであるらしい。他のパフォーマンス団体も呼び、タイムテーブルを組んで公演を行うということだった。さらには、各専攻語有志※1や他団体も呼び、出店も出させることも考えていた。
そして、彼らは会場もきちんと借りようとしていた。実は、箕面キャンパス前のスペースはほとんどが市が管轄する広場であり(下図参照)、市に申し込めば大学の関与を排して正当に会場を確保できるとの話だった。
「これは渡りに船だ」と思った。ちょうど、正式に会場を用意しないといけないなあと思っていたところだ。ダンスサークルの自主学祭計画に「(あくまで)一出展者」として乗っかれば万事解決だ。今後はこの計画を後援する形で進めようと思った。
なお、全スペースを借りようとすれば1日で10万円かかることになるが、クラファンや出展料で回収できるとの見込みのようだった。例年夏まつり時には当日のみならずその前後それぞれ2日間全スペースが借りられており、50万円もの大金を大学や実行委員会はこれまでどう工面していたのかという疑問が生まれたが、その疑問は翌日解消される。
彼らは大学に掛け合ってキャンパス自体も借りようとしていたが、あいつらが許可を出す気はしなかったし、市の広場を借りようとしていることを感づかれると市にも手を回して妨害してきそうなので、市の広場を借りる話は確定で借りられるまで秘匿しておこうということを決めてその日は別れた――ダンスサークルのメンバーがキャンパスの敷地を借りる申請書を事務室に取りに行った際、「7月6日(「夏まつり」の日)に借りたいんですが…」と言っただけで職員達の動きが止まったと言うのだから、警戒して当然だ(ちなみに、職員が私のSNSの「個人夏祭り」企画告知を監視・認知しており、そのためこのような反応をされたのではと訝しんでいる)。
なおこの日、13日(木)・14日(金)の昼休みに、「夏まつり中止についての説明と、返金を行う会」を行うという連絡が実行委員会より届いた。出展者には社会人も多い中必ずしも最良のスケジューリングとは言えないだろうが、とにかくないよりはましだ。木曜日は定例のパレスチナ連帯スタンディング(詳細は下記)があるため、自然と金曜日の方に参加することとなった。
実行委員会、そしてその裏にいる当局への追求はこの日、金曜日に行われるだろうことになった。それまでに情報収集と理論武装を済ませておかないといけない。
※1元来、外国語学部主体の「夏まつり」では学部の各専攻語有志が飲食物等の出店を行うことが行われていた。
大学との「接敵」と闇の片鱗
6月11日――事務凸と大学との決別――
しかし、市の広場についての「箝口令」は早くも翌日には解かれることになる。なぜなら我々自らその計画を申告することになるからだ。
11日火曜日の昼休み、ダンスサークル代表からDMが届いた。「昼に(箕面キャンパスの)大学事務に話をしに行くので同行してくれないか」と。聞くに、市の広場を借りようとしたところ、市の担当者から「例年『夏まつり』については、市と大学のキャンパス移転時からの取り決めで大学に無料で会場を貸している」「今回の貸出がその規定に該当するかわからない(したら無料になる)ので、その点を大学に確認してほしい」と言われたということだった。
はっきり言って市の広場を借りようとしていることが大学に伝わること自体、避けたいことだった。しかし大学に確認せずには市の広場も借りられないので、大学事務の元に向かうこととした。
いざ鎌倉――我々は事務室に向かい、職員を呼んだ。そしてこの時の対話により、大学事務が自主学祭計画における明確な「敵」となった。
初めの応対はダンスサークル代表に任せていた(私は一応部外者なので)。代表が職員に「『夏まつり』の代替企画をやろうと思っている」「市の敷地を借りようと思っている。取り決めについて今回無料規定が適応されるか教えてほしい」と伝えたところ、「お金かかるんじゃないの?」「学祭やれるほどのスタッフいるの?」と高圧的かつパターナリスティックかつ回答になっていない返答をされた。こいつは学生をガキだと思って舐めている。私が介入して、「いやそれはいいんで、無料規定は適応されるの?」と聞いたら、「今回夏祭りが中止になった以上、大学から市に無償にと頼むことはできない」とようやく答えを返してきた。しかしその後に「夏まつりは大学・市・実行委員会で連携して動いているもので~」だの「近隣に騒音すみませんのチラシ配ったり、消防警察に挨拶回りもしてるんだよ~」だの聞いてもいない説教を垂れてくる。それを遮って「とにかく、市の敷地借りて自主学祭やりたいんだけど、それって名文的には禁止されてないよね?(介入しない言質を取りたい)」と聞くと「その分には我々には『止められない』のでどうぞ」と心底開催してほしくなさそうな返答をしてきた。まあ「止めない」という言質は取れたからいいや。
そして「キャンパスも借りれたら借りたい」という話にはやはり拒否感を漂わせてきた。ダンスサークル単体で借りて発表会をやる分にはいいらしい。ただ、「夏まつりは中止になったし」他団体を呼んだり飲食の模擬店をやるのはやめろということだ。飲食については保健所の手続きの都合等があると思うので理解はできるが、他団体を呼ぶのがだめというのは根拠がわからない。どうやら、夏祭り実行委員会が処分されて活動できないというよりかは、「夏祭り」的なものを行なうこと自体をやめてほしいらしそうなので、どこまで出来るのか探ろうと思い「『夏まつり』の定義って何ですか?どこに書いてますか?」「『夏まつり』中止ってどこの会議でどう決まったんですか?」と聞いていると、応対していた職員が急に席を外した。
数分後帰って来ると、しおらしく全質問に「即答できかねます」と答えるようになった。最初はあんな威勢よくベラベラ喋っていた職員が(私が言質を取ろうとしていると感づいたからか)何も言えなくなっているのは面白かったが言質が取れないので困った。「夏まつり」の定義についても同じ調子で、結局回答がもらえなかった。改めて「7/6に市の敷地を借りて何かイベントをやってもいいか?」と改めて確認してみると、これにも「即答できかねます」と返ってきた(数十分前には「止められないのでどうぞ」って言ってたよね?)。
そして最後に私は痛恨のミスをしてしまう。名前と学籍番号を控えられてしまったのだ。「大学のメールアドレスに返答するので、名前と学籍番号を
教えてほしい」と言われ、一瞬躊躇はした。しかし、隣のダンスサークル代表は教えたし、私がゴネても話がややこしくなるだけかと思い伝えてしまった。やらかした。
6月12日――見えてくる「裏事情」――
翌日水曜日も「夏祭り出展者フォーラム」を開いた。今回は二者の来訪者がいた。一人は、近隣の市民団体に勤める方だった。たまたまキャンパスを訪れていたところだったらしく、下の看板を怪訝そうに見ていたところを私が話しかけた。
しかし、彼もまた今回の夏まつり中止騒動について憤りを覚えている者の一人であり、その憤りを共有していただいた。曰く、
・問題に対する処罰が重すぎる
→「これまで一度も罪を犯したことのない者が石を投げなさい」教職員は「夏まつり中止」という処罰を下せるほど無謬なのか?
→責任を感じた当事者が精神的にダメージを負い、鬱になったり、退学、最悪死を選ぶ可能性だってある
・大学側にも監督責任はあるはずだが、大学側は何もペナルティを負っていない
・地域の関係者がないがしろにされている
→例年夏まつりには地域の団体も多く参加してきた。夏まつりは地域住民含め共に作ってきたものと思っていたが、今回の突然の中止は地域をないがしろにしている
→例年、船場繊維卸商団地組合が夏まつり同日に箕面キャンパス前の道路で歩行者天国を開催しているが、これは夏まつりが開催されるものとして企画されている。今回の中止は梯子を外されたようなものだ
・学生だけに謝罪に回らせて、大学側は「われ関せず」の姿勢には、まったく承服できない
→大学側の担当者も、学生と一緒に謝罪に回るべきではないか
ということだった。今回の問題は大学―学生の二者間だけのものであると思っていたが、そこには「地域」というアクターも存在し、さらにどうやら地域側も当局に憤っている――我々の計画にも少なくとも同情的であろう――ということが分かった。さらには、実行委員会が謝罪に回る中大学職員は同行していないという当局の怠慢も明らかになった。
その後、またさらに、「代替の自主学祭をやろうと計画している」という外国語学部生の一団が訪れた。そして彼らは箕面キャンパスについての「事情通」らしく、夏まつりについての裏事情をも携えて来た。
・コロナ禍で去年一回問題を起こした上でので今年の騒動だった
・理事会を通して総長まで話がいって大事になった
・だが、未成年飲酒と言っても酒の強要などはなく、ただ普通に飲んでいたのを誰かが当局にタレこんだ
・阪大の事務は上から厳しく言われないと保守的過ぎて全く動かない。なので、昨日のアポなし凸はきつい&追い返されて当然
・夏まつりは、本来2021年の箕面キャンパス移転時に豊中キャンパスの「いちょう祭」に統合される予定だったが、箕面市が阪大の外語にお願いして箕面に残ってもらった。なので立場的に阪大の方が断然力が強い
→今回の騒動前から、夏まつりを潰そうとする勢力がいて、彼らが今回の騒動をこれ幸いと利用している可能性がある
どうやらただ単に箕面キャンパスの事務が中止にしたというわけではなく、果ては総長までも巻き込む話であるようだ。さらに、夏まつりが中止でないと困る人間もいるときた。「個人夏祭り」開催の障害は、質・量ともに思っていたより大きそうであった。
その3へ
今回は、「個人夏祭り」初期のプラン、当局との「接敵」、見えはじめる「裏事情」を扱った。次回は、当局からの「代替案」提示と、夏まつり中止の説明会における当局との対峙、ダンスサークルの離脱と会場探しの旅ラウンド2の三二本立てでお送りする(長すぎて収まらなかった)。