2回
去年自分で書いた文章を読み返す。あの頃から変わったことは考えすぎなくても大丈夫ってわかったこと。時間がかかろうが年齢とかそんなのは関係ないってこと。それ以外は何一つ変わってない良くも悪くも。人を信頼するのがまだ怖いみたい、みんな優しいのに。
そんな人にすら心開けない自分に落ち込む、そして自己嫌悪の日々。
この負のループから抜け出せない。大好きな人もわかった。結局もう既に出会った人の中にいた、そして大学入ってから唯一できた友達もその中に入ってきた。みんな大小違えど優しい友達、ずっと一生大切にしたい。してほしい。
正しく生きるってなに?
はっきり言って自分の人生はかなり遠回りしてる。しかも自分で自分の首を絞めてるタイプ。
ちょっとしたことですら刺激に弱く、すぐメンタルも崩され1人では何も出来ない。勇気もない。それなのになぜか1人を求めて京都へ。頭悪い。新生活スタートなんていちばん疲れるものを、わざといつもの人たちに会わないように遠ざけるような選択をとる。高校もわざと遠いところにして朝練とかで苦しみ、浪人予備校もみんなとなるべく被らないようにした。そのなかで気にせず楽にやれるだなんておもっていたがそんなことなく知らない人すぎて周りの目が怖くなったりした。みんなが俺の話をしているように聞こえる、俺みて笑ってるように見えてくる。被害者ヅラも甚だしい。最近気がついたがみんな俺みたいなやつは記憶にも残らないらしい。多分漏らしたりしない限り忘れられて終わる。でもそんなことわかってても反映できない。だから人の目が気になるまま。
最近は皆いつか死ぬ、どんな恥も関係ないって思う気持ちも出てきたがまだ弱い。自分の意思なんてないんだろって思われてる、実際そうかも好きな人が笑顔だったらなんでもいい。そんなんだから自分に何も期待できない自信も持てない。
それだけ苦しむ中、音楽に救われてきた。人柄なんて関係ないっていう人もいるけど絶対大事。俺は一番そこを重視してる。ハンブレ武道館すごかった。あの苦しみの中で見つけた光。そこが今もつながっている。
伝えたい気持ちはいつだって140字じゃ足りないしあそこに放流してしまうと簡単に消えていくだけでなかなか勇気出ない。思い切り良くてもすぐ消してしまう。みんなに構ってほしい。なのに心配かけられすぎるとなんかそんな自分が情けなくてもうやめてってなる。なんなのそれ。結局は自分の中で答え出てるんだろうね。あの人にも言われたな〜。全部見透かされてる、嬉しいな。
定期的に整理整頓したくなる。汚い自分の部屋を見てそう思うのはなにか面倒なことが差し迫っている時。「友達整理」はここ数年頻繁にやっている。今回も一生とまでは行かなくても自分が胸張って自分に自信持てるようになるまでは会えない人達リストにまた人が増えた。プライドが変に高いのは親の影響もあるが結局のところそういう人たちを信頼しきれないところがでかいかもしれない。
みんな気にせず楽しくやってる。そんなことでも悩んでしまう。考えてるようで何もできないから結局何も考えてない人より酷いことにもよくあう。
結局目標だったりは見つからないまま日々は過ぎ、怠惰な生活。体調はずっと悪いし心はもっと最悪。中途半端なやつだから優等生なんかなれないし劣等生にもなりきれない。もっと最悪の存在。そう想い続けてる。そうやって下げるしかなかった。自分に自信持てないなら、最悪を受け入れて生きてくしかないって。
でも結局それはもっと酷くなるだけ。誰の言葉も信用できなくなるだけ。
最近声かけてくれる人が増えてきた。というか自分から少し話したりすることができるようになってきた。なぜなら会えないし顔見せなきゃこのくらい言っても書いても大丈夫だろと軽い気持ちだから。ネット社会の恩恵。面と向かって話せるなんてほとんどいない。自分は常に1人。孤独のまま死ぬんやろなと思ってる。てた。
風向きが少し変わってきた。でも過去の失敗が脳裏に焼き付いているので全然信用してるつもりでも実際はできていないみたい。信用したいし向こうがそうやって示してくれてるのに。また俺が余計なこと言って終わるんだろうなってことばっかり考えてしまう。保険かけて最悪に慣れようとしている。そんなの絶対嫌なのに。楽しかった夜はいつだってこう、俺が幸せでいいわけないって脳が思い込んでるから全然抜け出せない。楽しいあとに1人どん底気分。誰にも話せない。今まで関わってきた人に本当に申し訳ない。みんなのこと信用したいのに自分自身が嫌いすぎて全然上手くいかない。悔しい。どうすれば頼れるんだろう。頼りたい、でもめんどくさがられてすべて終わり、が頭から離れない。情けなさすぎる。自分のことを考えてくれる人がいることのありがたさ、もっと噛み締めろなにしてんだよおれ。それでも寄り添ってくれてしっかり言ってくれる。絶対離したくない。絶対って言葉がもう嫌いなんだけどね。絶対とか一生とか頻発するやつって信頼できないし。
疲労困憊、飲んでなくても酩酊状態。めちゃくちゃな文章だけどこれが俺の今。あーしょうもな。
タバコ吸えないのにタバコ可の喫茶店へ、副流煙をたっぷりいただく。でも店の雰囲気だったり店主の方が優しくてそれだけで煙なんて関係ないくらい居心地が良かった。適当に歩いて出会えたお店ってなんか嬉しいな、いつもビビって入れなかったから。これだけは成長してるかな。そのときとハンブレ武道館の終演後のノリが入り乱れている。もっと読みやすく書け。
こんなことを書いてることをチラッと地元の友達に話したら痛いヤツだなって言われた。それで結構、だってクソ人間だもん。頑張ってる感だけ出せるようになってから何一つ頑張れない。あーーーーーー。早く人生楽になりたい。俺苦行ばっかじゃない?なんで?仏教教えてる人ってなんであんなにみんな不親切なの?来世を楽しくするためにとかいうけど今世が楽しくなきゃ意味ないだろ。
今日の武道館のライブ良すぎた。好きなバンドみんなここでやってほしい。みんな泣ける、嬉しくて嬉しくて。
大学入って唯一友達やんって言ってくれたのは鉄風東京の大黒。俺なんか何人もいるうちの1人なことはわかってるけど勝手に俺の中では特別な存在。だってここ数年の苦しみの中で出会えた唯一の友達なんだもん。俺にとって。彼の発言、発信はほとんど似たようなことばかりで共感してるし同じような失敗ばかりしてる。彼は思い切りの良さが俺と違ってある。だからかっこいいし尊敬してる。本当に同い年?悩みが似てたりするからそうなんだろなって勝手に思ってるけど。マジでもっとさらに売れてほしいけど、そしたら俺のことなんて忘れ去られて終わりって考えると寂しい。でもそれでも売れてくれるなら嬉しい。でも最後は自分も幸せにならないと。人の成功ばかり祈ってて最後何になる?自分が楽しいのがいいんじゃないの?じゃなきゃ自分の人生の意味がない。人の人生じゃないんだから俺本体は。病んでまた全SNSアカウント消すんだろうなとか思うけど彼との連絡手段が消えてしまうので消せなくなった。LINEとか交換しに行こうと思った時もあったが、さすがに申し訳ないからやめといた。ここで連絡出来ればいっかってね。
今思うと親に怒られてきたのがジャブのようにここに来て効きすぎている。受験期すら怒られてた。お前は何も頑張ってないって。そんなこという?毎日予備校行って受かる保証なんてないけどそれでも頑張って通ったのに。そりゃあ自信なくなるって。それでもお金出したり助けてくれてるからむしろ感謝の方が大きいんだけどね。親族に学歴厨がいると、俺がそこまでの大学いけなくなった瞬間興味なくなったかのようにあんまり意見も言ってこない。それでいいはずなのに言われて育ってきた自分はその人に捨てられたと思ってかなしくなる。何この馬鹿げた構造は。
こうやってみんなの大切な時間を奪ってしまってる。駄文長文。また情けない。みんなに知られてたまるか!とも思うけど知ってもらわないといけない気もする。どうしたらいいのかまだ分からなさすぎ。何をしてるんだ、若いうちはこれで仕方ないかな。
タイトルの2回ってのは、2回生2回目の意味。心がダメになっちゃって休学したし復学した今も苦しんでるから留年もしそう。いつになったら卒業できるんだろうか。そういうくる気配もしない未来見ておびえている。そうしてると言霊じゃないけど本当にきてしまう。でも去年と違うのは全部ダメじゃなくて少しだけ頑張れてるところ。行けるところできるところは頑張ろうって思えてる。だから少しだけ通えている。誰かの期待を勝手に設定して自分でそれ超えられなくて苦しむ。京都に怯えている。なにしてんの?いつまでバカやってればいいんだろ。あー悔しい。俺みたいなやつを救いたいっていう漠然な夢だけじゃ何も成長できない。
次なんかある時、少しは前向けてるかな自分のこと好きになれてるのかな。絶望の先にはきっと希望もあると思うけどそんな淡い期待じゃだめ。動じない心ほしい。好きな人を幸せにしてあげたいそういう男になりたい。