セクシュアル・ランゲージ 第三話
美しい女性たちに囲まれている。胸も大きければ、尻も大きい。
なんだろうか、この状況は。
もしや彼女たちはサキュバスで、俺からエネルギーを吸い取ろうとしているのでは?
ふとそんなことを考えて、慌てて首を横に振った。俺にはやりたい研究がまだまだある。誘惑に陥落する訳にはいかないのだ。
正論を述べていたらフォロワー全員からミュートされていた黒歴史を思い出し、とりあえず頭を萎えさせた。
深呼吸して、現在の置かれた状況を考える。
狼煙が上がっている範囲の外に出ることは、野生動物の危険が高く生きるのには適していない。従って部族に世話になる道が正しいといえるが、性的な行動を強いられるのは避けたい。俺は一度ハマったら抜け出せない質で、もしも今不特定多数の女性を知ってしまったら研究が疎かになってしまいそうだからだ。
(何か、いい仕事はないだろうか)
要は役に立てばいいのである。
俺は物思いに耽った。
女性たちがしきりに腰の辺りをくっつけようとしてくるが、童貞的には気づかないふりに限る。
俺は知っている。“童貞好き”に喰われた友も、“パパ活”と知らずに貢ぎまくっている友も。性など、ろくなことがないのだ。
無表情で歩き続ける俺に業を煮やし、女性たちは頬を膨らませた。心ここにあらずな雰囲気が、良くなかったのかも知れない。
女性たちは今度は俺の上半身にも目を向けると、腰紐に下げていた小型ナイフを手に取って、白いハイネックTシャツの裾にわずかに切り込みを入れた。端を両手で掴み、そのまま一気に引き裂いた。
「……っ!」
服は真ん中から真っ二つに切り裂かれてしまった。
「♂‡♫∞〜!!」
「〓∇∵⊕!!」
興奮してるのか、浮足立っているのか、女性たちは喃語のような金切り声を上げた。ろくに運動をしていないから少したるんだお腹が露見して、咄嗟に手で隠した。だが彼女たちにとってはどうでもいいことらしく、気にせずに俺の腹部を撫で下ろした。
「ひっ!?」
撫でられたどころがゾワッとした。女性は嫌いじゃないはずだが、妙な嫌悪感が湧き上がってくる。女性たちが触っているのは胃の周辺だ。酔っているとでも思われたのだろうか。あいにく、ここしばらくは一滴も口にしていない。酔ってせっかく進めた研究を台無しにしたくはないからだ。
「勝手にさわるなと言っている。他の男に頼めばいいだろう」
女性たちの手を振り払ったが、ものとせずにまたベタベタと撫でに来る。
「……参ったな……」
俺は強引に両腕の女性たちを引き剥がした。見ず知らずの人間にまとわりつかれるくらいなら、枇々木の方がマシである。
「おい、枇々木! その辺にいるか!」
「はーい! 昨日の果物がなってないか見てます。上にいます、上!」
雑木林の中を少し進んで見上げれば、高い木の上に登っていた。
「君は、そんなこともできるんだな」
「えっ? あ、違いますよー!? 今割と死にそうなシチュエーションなので万能なだけです!」
ほんのり頬を染めながら、枇々木はストンと下に降りてきた。パッと見たところ昨日と大きく変わってはいなかったことにホッとした。俺と同じようなことを枇々木がされていたのだとしたら、きっと傷つくに違いないからだ。
「枇々木、あまり俺から離れるんじゃない」
「え?」
「一人でいたら性的なコミュケーションが取れないと見なされて、異性が寄ってくるのかも知れない。とりあえず、くっついてるアピールをしておこう」
俺は左手を差し出した。
枇々木は驚いた顔でそれを見ていたが、おずおずと近づいてギュッと握りしめた。
「今だけですよ」
もちろん、俺だって望んでいる。守り守られる必要がない、平和な日々に一刻も早く戻れることを。
夢を見た。
研究がひと区切りついて、大学の休憩室で打ち上げをしている夢だ。テーブルの上にはこっそり持ち込んだ缶ビールに酎ハイ、イカや鱈、チョコレートボールなどのおつまみの数々。夢の中の俺は、教授や枇々木と共に笑い合っている。俺は一歩離れたところから夢の中の俺たちに突っ込む。
「早く食えよ」
「食えるときに食わなきゃ、何も食べられなくなるぞ」
「枇々木も、喋んなくていいから食えよ。君の好きなチョコレートだぞ」
目が覚めると、またもやお腹が鳴っていた。どうやら俺は自分の腹の音に起こされたらしい。
いつまでこんな思いをしなければならないのか。研究のために必要な思考力も奪われそうになっていた。
狭い洞窟の中で、俺は背中を向けて眠りにつく枇々木に寄り添うように転がった。
「ひゃっ」
「“違い”だ。違うんだよ、枇々木。ここは今までいた世界とは違う」
もちろん俺も、申し訳ないと思っている。枇々木もどうせこんなことになるならイケメンの方が良かっただろう。しかし、つべこべ言っている時間はない。
「俺と言葉を紡ごう。生きるために」
背中越しに、枇々木が混乱しているのが伝わってくる。心苦しい気持ちを抑えながら、必死で訴える。
「大丈夫だ。乱暴にしたりしない。触るだけだ。君の身体に傷はつけないし、なかったことにしてもらってかまわない」
とにかく腹が減ったのだ。腹が減っては戦もできぬし、頭も回らない。
間抜けなことに、こんな状態になって初めて実感した。衣食住は大切だと。俺たちには、何ひとつ足りていないと。
「分かってます! 分かったから……あんまり、見ないで」
枇々木は俺には顔を向けずに、スルリと衣服の腕を抜いた。少し汚れたシャツから、真っ白な肩があらわになった。
いつもなら子供っぽく見える枇々木が、やけに大人の女性に見えた。
俺たちには部族の言葉が分からない。教えてくれる人もおらず、やりながら覚えていくしないのである。
心なしか心拍数が上がってきたのは経験値不足のせいだからだろうか。滑らかな枇々木の肌を前に、昨日死んでいた男児が脳裏に浮かぶ。死なないために、俺たちは腹をくくるしかない。途中まで脱ぎかけたシャツに、そっと手を伸ばした。
「彼氏とかいたことないから、その、ごめんなさい」
ふと、枇々木が小さくこぼしたのを、俺は聞き逃さなかった。
「しょ……処女ってことか!?」
「大声で言わないでって言ってますよね!」
枇々木はシャツで思いっきり俺の身体を引っ叩くと、みるみるうちにに真っ赤になった。
(処女……未経験……汚れを知らない綺麗な身体……)
俺は真っ白になった。
無理矢理何かしようと考えてはいないが、てっきり誰かと経験があるのだと思っていた。枇々木はそこそこ知らない男に声をかけられているし、大学でも異性と話しているのをよく見かけた。なのにも関わらず作ったことがないのには、彼女なりに強い信念があるのだ。それを俺が、こんな形で壊してもいいのか……?
気づいたら部族の入口へと走り出していた。
「先輩!?」
「君はもっと自分を大切にしなさい! 本当に好きな相手としか、こういうことはしないと誓え!」
今日も門番が座り込んでいた。一人の腕を掴み、昨日と同じように腹部を触らせた。
「俺が相手をする。俺が君に通訳するから、君は何もしなくていい!」
俺の怒号に、部族の者たちが続々と目を覚まし出した。視線を感じたが、気にしていられなかった。俺には研究が大事なように、枇々木にも大切なものがある。
俺に立たされた部族の女性は、よく分かってはいなかったが微笑んで腰紐を解いた。細い紐が地面にポトリと落ちた。
童貞に課す試練としては、少々重いんじゃねぇかオネエチャンよ。
グラマラスな部族女性の頭を撫でようと手を伸ばした。
「させません」
伸ばした手の先にあったのは、枇々木の頭だった。
「枇々木、どけよ」
「嫌です。先輩は研究するのが仕事です。研究を投げやりにする先輩なんか大っきらい!」
枇々木は真っ直ぐな視線を俺に向けた。俺に小言を言ういつもの彼女ではなくて、思わず後退りする。
「俺は君のために──」
「研究のためなら何でもするんですね」
俺の声と、誰かの声が重なった。枇々木の背後に、昨日いた長身の男が立っていた。枇々木は困惑しながらも、声を発した。
「そ、そうです! あたしは、研究している先輩が一番好きなんです!」
知らなかった。いや、社交辞令だろうか。
「それは良かったです。ここで生きていくのは大変ですからね」
シャキン、と金属の音がした。
「え?」
一瞬の出来事だった。
枇々木は開けた口から真っ赤な血を垂れ流していた。
「は……なん……で」
彼女自信も呆気に取られていたが、事態を飲み込むと同時に口元を抱えてのた打ち回った。
切られた舌が、男の指でつままれている。
「こんなものがあるからいけないんですよ。ここからが君たちの人生の本当の始まりです」
男は淡々と語った。
俺は目を見開いた。頭に血が上るような感覚がした。血管が、ひどく浮き出ているだろう。
「俺が間違っていました。心を入れ替えます」
ジャパニーズ土下座をしながら、俺は心に誓った。
こうなったら、意地でも全て解き明かしてやる。性言語も、部族の謎も。
俺が必ず解明して、枇々木と共に大学へ帰る。
「研究馬鹿舐めんじゃねぇわ!!」
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