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【廃線】岡山産業遺構 同和鉱業片上鉄道 その1

1923(T12)年に片上〜和気が開業、柵原鉱山からの硫化鉄鉱石輸送の為に備前矢田・井ノ口(貨)まで延伸。1931(S6)年には柵原まで全通。戦前戦後で栄華を誇るが資源需給の移り変わりから閉鉱となると旅客だけでは鉄道は維持できず1991(H3)年に廃止となる。
撮影日:2023.12


片上に鉄道が敷設された背景から

バス停「片鉄片上」は駅のロータリー
「和気郡地図(年代不詳)」岡山県立図書館
片上港には硫化鉄鉱の積み出しの他にも
耐火煉瓦搬出港として栄えた
ゼロキロポスト、太いな!
もっと港の方にあったものをロータリー内に移設
片鉄のDLが港に保存してある
国鉄DD13に過給機とインタークーラーを採用した増強型
貯鉱舎(カーダンーパー)まで高さを上げる築堤が残してありました
ここにあのDLを保存して欲しいな
郷土史「片上鉄道 ゼロ起点」より
片上港の鉄鉱石積み込み施設は全て解体済み
地図は三木理史「三石をめぐる東備地域の鉄道計画」 
岡山県史研究11号より このエリアを調べると鉄道計画(未成線)が沢山出てくる
1912(T1)年 片上軽便鉄道・失効 伊部-片上-伊里中-三石
1913(T2) 東備軽便鉄道・失効 西大寺-香登-伊部-片上(接続を目論む)
1918(T7) 備前鉄道・失効 伊部-片上-三石 支線で伊里-日生(狭軌で山陽鉄道乗入れ)
1918(T7) 牛窓軽便鉄道・失効 牛窓-香登-伊部-浦伊部-片上(接続を目論む)
1919(T8) 片上鉄道 片上-和気-吉永-三石(和気-三石は失効)が元となり
柵原鉱山の臨港線として発展してゆく
片上地区自治会連絡協議会「写真で見る昭和の片上」より賑やかな片上港
1910(M43)年の「軽便鉄道法」は全国各地に鉄道敷設の機運を呼んだ。
全国で新しい交通手段として、地域産業の近代化や増産の為に
「我田引鉄」の鉄道免許が申請された。

岡山エリアの特徴としては後に官営・複線化で物流の
主脈となる「山陽鉄道」と「港」に関係が深い。

①山陽鉄道への流れで低迷した港の復興に鉄道を敷設
②大型船が入れるようなバースや浚渫などの
大掛かりな港湾整備が公費で出来る指定港となる為に
有利な臨港鉄道の敷設(計画) などが考えられる。

片上駅からスタート

自転車で走ってゆくとすぐに痕跡を発見!
マツキヨの裏に橋台か残っていました
「写真で見る昭和の片上」より
 ここは軌道敷がはっきり残る
踏切跡
終点の柵原駅までこの表示を追えばほぼ迷う事はない
案内表示も鉄道風で素晴らしい!
街中でも痕跡が多い
片上鉄道の鉄道杭は「片」
沿線には沢山残っていて見つけやすい
新幹線をくぐるあたりから自転車専用道となる
軌道敷きは「片鉄ロマン街道」と銘打った34kmの自転車道に
500mごとにキロポストが打ってある

和気(わけ)を目指して峠超え

地図「和気郡」岡山県立図書館 年代不詳
古くから吉井川の高瀬船の河岸もあり物流の拠点だった和気に
1891(M24)年には山陽鉄道が開通した
1919(M32)の台風被害で郡役場、警察署などが片上から和気に移管しエリアの中心に

山陽鉄道が内陸をコネコネ敷設した理由
①瀬戸内各港の水運業低迷の懸念で海沿いの土地買収が出来なかった
②後の高速輸送のため勾配10‰以下のルートを頑なに選定

壊れているが勾配標28.6‰
いきなり片上鉄道最急勾配!
傍示ヶ峠
この辺りでは「とうげ」ではなく「たお」と読む
「片上鉄道線路一覧略図」岡山県立図書館より
この後は柵原駅まであとはたいした勾配は無い
峠を一気に下り清水駅
片上鉄道の駅はほぼ全て整備され残してある
中山駅
素晴らしい!
YoutubeへのQRコードまで付いている
転用されたプレートガーター橋
年代が読めない…
1950(S25)年に片上鉄道は藤田興業の鉄道部門に
同和鉱業となったのは1957(S32)年以降
リベットなので昭和30年代のものか?
和気駅
鉄道カーブがしっかり残っている

和気から本和気へ

金剛川を渡るプレートガーター橋は有名撮影地でした
1973年とは結構新しい
対岸で古い橋台を見つけました
勾配標16.0‰
本和気駅
この家の土台は石の布積み
これ貨物ホームをそのまま使っています
この貨物ホームに酒や米を運搬していた野良トロッコ軌道が残っていました
許可をもらい実測すると軌間が510mm
頭部が24mmなので6kgレールと思われる
増原駅
交通公園に腕木式信号機と「ワム」
その2に続く

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村上伸(Murakami_SHIN)
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