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小説を書くときに気をつけるささやかなこと〈モノより大事なものはない〉
わたしが小説を書くときに気をつけている、いくつかのこと。
そのうちのひとつが、「モノをおろそかにしない」です。
『夢見通りの人々』という、宮本輝さんの素晴らしい小説があります。
どこにでもいるような普通の人々の日常を書いた小説ですが、それぞれがとても魅力的で、日常に飽きさせない。
人間一人一人を、深く深く書いた結果です。
登場人物の中に、トミさんという一人暮らしのおばあさんがいます。
一人息子を戦争で亡くし、寂しい人生を生きて来ましたが、最後の最後、近所に住む若者の親切に触れ、彼女は幸福な気持ちになります。
こつこつ貯めてきた貯金を彼に渡そうと病床で遺言を書くのですが、このとき彼女が選んだのは、手近にあったメモ用紙。それを、やはりそばにあった包装紙でくるんで、封筒代わりにしてしまいます。
このメモ用紙と包装紙に、トミさんの人格が濃く表れている。
トミさんが生きてきた慎ましい日々が想像されて、強く胸を打ちます。
これがもし、看護婦さんに頼んで持って来てもらった白い便せんと封筒だったりしたら、このシーンは間違いなく、ここまで胸を打ちません。
宮本輝さんは、トミさんの身になってモノを選んだのだと思います。
セリフや仕草にももちろん人格は表れますが、決してそれだけではない。
読み手の想像力にゆだねるという意味で、モノには計り知れない可能性があると思うのです。だからこそ、大事にしなければいけない。
ちょっとしたモノを選ぶときでも、その人物の内側に入り込んで考えてみる。
わたしはいつも、気をつけるようにしています。