小説を書くときに気をつけるささやかなこと〈どこでもドア・スポット〉
わたしが小説を書くときに気をつけている、いくつかのことがあります。
そのひとつが、時間と場所を同時に大きく移動しないこと。
「どこでもドア」があったらな。
例の感染症で移動が制限されていたころ、何度かそう思いました。
ドアを開けるだけで行きたいところに行ける。
『ドラえもん』でお馴染みの、夢のようなアイテムです。電車にもバスにも乗らずに、会いたい人に会える。
でも、一人一台「どこでもドア」を持っていたら、とんでもないことになるかもしれない。
思いつくとすぐに、みんながドアを開ける。
ドアの向こう側は、今すぐ行きたい場所。でも会いたい人は、別のドアの向こう側。
なんてことが、そこら中で起きてしまうかもしれない。
連絡を密にしないと、しょっちゅうすれ違いが起こって、戻ろうとしたらまたすれ違い・・・いったいわたしはいつあなたに会えるのか。
こんな混乱を回避するには、「どこでもドア・スポット」を作って、「どこでもドア」の数自体を制限するしかない。
一人一台ではなく、公共の移動手段にする。駅の数よりは多くて、バス停の数よりは少ない、そのくらいがいいかな。
でも、利用するには予約が必要で、密を避けるために、目的地の予約も必要で・・・結局そんなことになるのかしら。
「場所」だけではなく、「時間」でもこれは同じ。ましてや、「場所」と「時間」で同時に起こってしまったらもう、大混乱です。
長い小説の中では特に、こんな混乱は避けたいですよね。
「どこでもドア」は場所を移動するけれど、時間は移動しない。
「タイムマシン」は時間を移動するけれど、場所は移動しない。
『ドラえもん』のこの設定は非常に素晴らしい。
物語を混乱させないために、とても大切なことです。
読み手の立場に立ってみて、わかりにくいと感じることは出来る限りつぶす。
ささやかですが、わたしはいつも気をつけるようにしています。