等身大の東日本大震災1
2011年3月11日に起きた東日本大震災の等身大の体験談です。1人の人間の視点から見たり考えたり感じたりした、当時の記録(震災から3ヶ月後に投稿)です。
ですます調だったりそうじゃなかったり文章おかしいですがご容赦ください。
地震発生
3月11日震災当日。
遅めの昼休みからオフィスに戻り、席についた時だった。地面からドンドンドンッ…と突かれるような揺れを感じて「たて揺れだね…」と隣の人と顔を見合わせた。
その直後、今度は激しい横揺れ。これは大きい地震かも…と思う間も無く体験したことの無い揺さぶりへ。大勢の悲鳴。私たちは机の下にもぐるも、揺れはどんどん激しくなる。ガラスは波打つようにうねるし、柱はヒビが入るし、椅子や机は総出でどこかへ移動していくし…正直もう死ぬのではないかと本気で思った。
激しい揺れが3~4分も続いたので建物が持たないのではないかと思ったし、最新の耐震設計ビルだったこともあり、その分揺れが大きかったらしい。
なにわともあれ耐え抜き、揺れもおさまり、なんとか生きている。
避難しなきゃ!
私は自分自身がかなり緊張状態だったけど皆を非常階段へ誘導。着の身着のままぞろぞろと指定避難所の小学校へ向かった。
そして絶対津波が来るはずだと思っていたので、海の方が気になって仕方ない。携帯を持ってこれた人たちにワンセグTV放送を見せてもらうと案の定「大津波警報」が。
ぞっとしました。
「大」が付く津波警報なんて初めて見ました。仙台は平野だから、津波の規模によってはこちら(仙台中心部)まで水が来るのではないかと思ったのです。
結果として津波は私達のところまでは来なかったけれど、私は会社に拘束されている間中、海の方角と高い場所を目で探していました。
帰路
その後ようやく解散命令が出る。
しかし地下鉄も電車も動いていない。
バスは見かけない。
仙台駅周辺は人も車も大混雑。
皆どうしていいか分からない。
私は家が近い同僚と一緒に2時間の道のりを歩いて帰ることにした。
帰宅中、何度も地面が揺れた。
マンホールからは水が噴出しているし、自販機は横たわり、ガラスも壁も割れて落ちている。
電柱が傾き、電線がちぎれている。
踏み切りは鳴りっぱなし。犬も吼え続けている。
救急車も消防車もあちこちで鳴りっぱなし。ヘリコプターも上空を飛び交う音が響いている。自衛隊の飛行機が凄まじい音を立てて仙台の上空を横切って行くのも見えた。
明らかに日常が変わってしまった。
人の感覚も大地も、緊張に包まれているようだった。
高台を歩くと、遠く海の方で何かが炎上しているのが見える。津波は大丈夫なんだろうか…
恐怖心でいっぱいだったけれど、同僚は楽天的。「大丈夫~大丈夫~」というのほほんとした態度に救われた。1人では帰れなかったと思う。あの日自宅に帰れない帰宅難民が大勢いた中で私は恵まれていたと思う。
アパートに着いた頃には日は暮れて、闇が迫ろうとしていた。テツにもしものことがあったらどうしよう…と玄関を開けることにも怯える私に同僚が立ち合ってくれる。テツは怯えたような甘えたような鳴き声で迎えてくれた。
無事だった。よかった。すぐに抱き上げてすりすりし合った。
夜の闇の中
帰宅と同時に真っ暗な夜が訪れる。
家の中がめちゃくちゃなのは分かるが、
何がどのようになっているのかよく見えない。電気もガスも水道もライフラインは総崩れ。とても寒かったけれど、できるだけ着込んで、ジャンパーを着たままふとんに入って過ごした。家の中では携帯の明かりが全て。まだ19時なのに真っ暗で真夜中のような静けさ。本当に不気味なほど音が無い。夜明けまでの長さを思うと先が思いやられた。
それでも闇にいると目が慣れてきて、月と星のわずかな明かりを雪が反射しているのが分かる。その明かりを取り入れるためにカーテンは全開にした。私はあんなに見事な星空を見たことがない。
ひとつひとつの星がきらきらと輝き、闇の大地を覆っていた。
私たちは宇宙の中に息づいているひとつの星の中にいるんだって思った。
その存在が怖くなるほどだった。
夜は長かった。闇との戦いだった。
家族の安否はかなりの時間差で届くメールで全員無事であることが分かっていたけれど、大きな余震がたびたびやってくるので、1人でいるのは怖かった。
少しでも気を紛らわせようと電池の残量を気にしながらワンセグを見たが、信じられないような津波の映像。大火災へと発展した気仙沼の街を見て逆に怖くなる。これは夢ではないのか…はやく夜が明けてくれと祈った。
何をどう受け止めたらいいのか分からなくて、思考はほぼストップ。その日はほとんど眠れなかった。
家族
ようやく空が白んで来たころ、兄が車で迎えに来てくれた。車のエンジン音とかラジオの音など、人工的なものを感じると安心した。そして薄明るくなった街の風景がようやく見えてくる。ところどころ被害はあっても見慣れたいつもの街並みだ。
やっと闇から脱出できた。
「明けない夜はない」という言葉をこの時ほど実感した日はなかった。
テツと必要最低限のものを持って実家に到着すると両親が温かく迎えてくれた。私は「怖かったね。大丈夫だった?」と思わず2人に抱きついた。
両親を気遣ってというより、私が求めていたのは言うまでもない。普段はそういうタイプではないんだけど、こういうときは自然とハグしたくなるんだな…と気づいた。この地震に遭ってから、そういう人間の本質的なものに気付かされる。
両親と兄の3人は寝室に固まって交代で眠りながら過ごしたらしい。石油ストーブで暖をとり、数本の懐中電灯も持っていた。兄の車のガソリンを利用してTVを見ることもできるらしい。飲み物も食料もある程度備えがあるとのこと。
私にはそのひとつも無かったから、心底安心したし備蓄の有り難さを知った。
なによりも家族に会えたことが心を落ち着かせた。闇の中に1人でいたのはたった一晩だったのにね。
等身大の東日本大震災2へ続く。