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テツオ君のこと

1年前の12月14日、猫のテツオ君が虹の橋を渡って行きました。
あのころ私は療養中で精神的に弱っていたので、テツの死を目前に抱えきれない恐怖を日記に書き込むことで向き合おうとしていました。その時の記録をほぼそのままですがここに残しておこうと思います。テツ君への気持ちを感謝に変えて、前に進みたいと思ったので。
※センセーショナルなワード(安楽死とか血とか)がたくさん出てきますし、私が闇落ちしてるので不快に思われる文章かもしれません。それでもいいという方のみ閲覧下さい。


テツは癌かもしれない

昨年末から血尿が止まらなくて、膀胱に影があるとのことだったけど、今日病院へ行ったらテツの膀胱の腫瘍は大きくなっていて、癌の可能性があるとのこと。ここからは2次施設でCTや細胞診をしてみないと治療方針も決められないと。その検査に10万円以上はかかると…。すぐに返答ができず昨日は現実逃避。テツがこれから苦しんでいくのかと思うと胸が苦しく、お金がどれくらいかかるのかとか、働くようになったらテツのケアはできるのかとか…自分に出来ることと負担を考えると怖くて仕方がない。夢から醒める時はいつも恐怖という現実と向き合わなくてはならない時。現実はどうしていつも恐怖に満ちているんだろう。どうしてテツは今日までこんなにも病気がちで苦しまなくてはならないのだろうか。もうこれ以上、身近な存在が苦しむ姿やそれを介護する精神力がない。頑張るべきだけど、力がない。心のエネルギーはどこから湧いてくるんだろう。愛を注ぐために愛を蓄えなきゃならない。それはどうしたら得られるんだろう。分からない。ずっと分からないでいる。

テツは膀胱癌でした。
猫の膀胱癌は非常に稀で、症例がほとんどなく、テツの癌の位置からすると手術しても予後が悪いそうで…
もう14歳で糖尿病ということもあり、手術はせず抗癌剤も使わず、消炎剤で様子を見ることになりました。


安楽死という可能性

安楽死について記事を読んだら心が楽になった。4人の医師の考えが載っていたが、どれも安楽死に肯定的だった。回復の見込みがなく苦しいだけならば、早く楽にしてあげた方がお互いにとってよい。選択肢の1つとして検討すべきとの意見だった。また海外ではペットの安楽死は一般的でタブー視しているのは日本人くらいなのだそう。外国では割り切っていて、料金についてもハッキリしている。いくら以内なら治療するがそれ以上ならば治療はできない(=安楽死させる)という。そう、いくら治療方法があったとしてもお金が無い。これ以上どう頑張っても捻出できないという人は沢山いるはず。そういう人は本意じゃなくても断念するということなのかもしれない。
この記事を読んだら少し気が晴れた。“お互いに傷を深めないために終わらせる”そう考えていたことを肯定してくれた。ひとでなしと言われるかもしれないけれど、もしその時が来たら安楽死があると思うだけで(それが許されているだけで)恐怖で押し潰されそうな心に勇気や希望が生まれてくる。その時に向けて覚悟と、心の準備をしようと思えてくる。つまり死と向き合えるということだ。不思議なことだ。安楽死という選択肢が見出せない段階では逆にいつまで続くんだろう…どれだけ苦しむんだろう…と不安で向き合えず、現実を見られなかった。
逃げ道が確保できたということなんだろうか。
これは悪いことなんだろうか。

テツは私の決断を肯定するだろう

テツと私の心は1つだから、テツは私の決めたことには従うだろうし、それが安楽死であっても受け入れるだろうし、死後も私のことが大好きだろう。それは分かるんだよ。14年も一緒に暮らしているから。
苦しいこと、辛いことはお互いにとってそうだし、安心できることや最善と思うことはお互いに同じなんだよ。そう思える。そう信じられる。だから、自分で選べるし、決められる。

テツ君、14年間、ずっとずっと病気ばかりだった。
膀胱炎、アレルギー、巨大結腸症、糖尿病、膵炎、歯肉炎での歯の全抜歯、そして膀胱癌…これ以上、何かを取ったり、それによって痛くて苦しくて泣き叫ぶ日々を見ていたくない。テツはもうおじいさんで、毎日をなんとか穏やかに過ごしていて、決して今を謳歌している元気な体ではない。“未来ある”命を絶つのではない。癌に蝕まれて苦しむ身体を、その時が来たら終わらせるかもしれないだけだ。

14年間、私も頑張ったつもり。テツの医療費は多分、軽く100万円は超える。何十回病院へ行っただろう。どうしてテツは次々に病気になるんだろう。私の何かがいけないのだろうか…と心配になったり、そんなことはないと先生に励ましてもらったり…でもそのうちにそんなことは気にしなくなり、「それがテツ君」だと。テツにためにできることをやろうと気持ちを切り替えた。
そうすることでテツは私の唯一の真実になった。私自身であり、私のこども。私が今日まで育ててきた子。私の存在を肯定してくれるのがテツの存在になった。
だから、テツの命の決断は私が行う権利があるし、責任がある。私以外の誰も決められない。私以外の誰も正解は出せない。

その時はいつ来るんだろう。今日はまだ静かに過ごしているよ。
きれいな可愛い顔でこちらを見ていたよ。
その時が来るまで大事にしよう。2人の時間を大切にしよう。


たちゆかないからだ

糖尿病の時点で食べなくなればアウト。インシュリンが打てない。インシュリンが打てなければ、身体は衰える一方だし、身体が弱れば便秘になるし、癌の進行も勢いを増す。今回のことはまさにそれで、便秘と膀胱の癌のせいで尿道が圧迫されて尿が出ない。うんちしようと力むと濃い血尿が出てしまう。
最優先の処置とのことで病院で浣腸をしてもらったら、もう散々だった。
だいぶ荒い処置だったのか一晩中下血が止まらなくて、テツはひどく苦しんで叫んで部屋中血だらけになった。これ以上は書き出すのも思い出すのも辛い。
結果テツは酷く衰弱してしまった。こんなに弱っているのに必ずと言っていいほど嘔吐する消炎剤を飲ませるのは可哀想なので、私の判断で使うのをやめた。
そもそもテツの身体はたちゆかない身体なのだ。何かを改善すればどこかがダメージを受けてそれに対応すればまたどこかがダメージを受け…結果テツは、テツの身体は振り回されてぼろぼろ。苦痛が終わらない。だから本当は病院に点滴しに行かなくちゃいけないんだけど、ゆっくり休ませてあげたくて断った。余計な治療はもう止めようと思う。そもそも延命は望んでいない。死にゆく身体を寄り道させて余計に苦しませたくない。

弱い自分

痛いよ、辛いよ、苦しいよっていう強い激しいエネルギーが私の胸に鞭打つように迫ってくるの、怖くて怖くて、同じように苦しくなってしまう…本当に耐えられそうにない。どうしたらいいの…

強くなりたいな。
いちばん辛いのはテツなのに、私は私の心配をしている。
次の試練が怖い…。苦しむ姿を見るのが辛い。
恐怖心ってどうしたら拭えるんだろう…

その時(安楽死)ではないかと思った

上記の一件で、もう可哀想で絶えられなくなり、一大決心して病院へ行った。
先生は安楽死を肯定している人で、その時が来たら処置しましょうと言ってくれていた。
(考え方の違いで安楽死を受け付けない獣医師もたくさんいます)
決めるのはペットでも獣医でもなく飼い主であるべきとの考えを持っている人だった。
けれど、先生は「その時ではない」と言った。もう一度だけ考えて欲しいと、私とテツオを2人だけにしてくれた。
テツは衰弱しきっていたけど、苦しみのピークは脱していて無表情に私を見つめていた。愛しいテツ君、この命を今日、今から、自らの手で(決断で)冷たい身体にさせるなんて!
親友に泣きながら電話した。何を話したか覚えていないけど、テツの命を終わらせることはできなかった。私は思い止まった。先生を呼んだ。
先生は「考えが揺らぐのは当然で、決意が昨日と今日で変わろうがそれでいいんです。ただ、命が消えた後に後悔だけはしないで欲しい。悩み抜いて欲しいんです」と私とテツを労ってくれた。10年以上テツを診てくれている先生。先生も泣いていたような気がする。

この時、テツが苦しみ抜いて果てるのではないかというくらいひどい状態だったのは確か。でも、そこから逃げたいと思ったのはテツではなく私自身でした。猫には死の概念がないから、いつまで続くかわからない苦しみから解放してあげるのが安楽死を肯定する理由だと先生は言ってました。でもテツがこの時どうして欲しかったかは分かりません。今でも正解は分かりません。ただこの時、早まらないで本当によかったと思います。
本当に情けなかった私。未熟な私を支えてくれた先生にも友人にも感謝しています。


ありがとうテツ。

テツ君は12月14日の朝7:50頃亡くなりました。
ひゃ〜んという甘えたような声で起こされ、その時はもう最後の呼吸で、ゆっくり撫でながらその時を迎えました。おだやかに、いつ呼吸が止まったのかも分からないくらい、眠るように逝きました。10日前のあの酷い浣腸の苦しみでずいぶん衰弱していたのもあるけれど、最後の10日間が逆におだやかでよかった。
テツ君、私はもうこれ以上あなたが苦しむのを見るのに絶えられなかっただろうから、君が苦しまず、思ったよりも早く旅立って、正直助かったのかもしれない。最後まで自分のことばっかの私に、とてもお利口さんでいてくれてありがとう。もっとたくさんキスをしたかったな。もっと抱っこをして過ごせばよかったな。亡くなる2日前、あんなに可愛く私を何度も呼んでくれたのに、十分な反応してあげられていたかな。もっとその度撫でたり、言葉を返したり、求めていることを探ってあげればよかったな。君がもうどこにもいないのがさびしいです。君の毛並みや、体温や、匂い。朝起こしてくれる声、深夜にベットに上がってきた時の足音、トイレの砂をかく音、全部無くなってしまいました。ごはんをねだられることも、部屋が砂や毛でどんどん汚れることも、掃除機かける時に君が窓から出ないように工夫することも、外出から帰ってきた時に出迎えてくれる姿も、もうありません。この部屋で15年ずっと2人で暮らしてきたんだもん。私以外は全て君だったんだもん。どれだけ君の存在が大きかったのか今実感しているよ。
ありがとうテツ。15年間一緒にいてくれてありがとう。
可愛い私のテツ君。大好きだよ。


テツは私の真実

テツのことを思うと今は涙が止まらなくなるよ。悲しみやさびしさもあるけれど、愛しくて胸がいっぱいになって、それがあふれ出て涙になってる感じだよ。
私はもう長らく生きている意味さえ分からなくて、この体や心がここに生きているって実感することも無くなっているけれど、テツのことを想うとこんなに胸がいっぱいになって泣ける自分がいるの、心がちゃんと動いているんだなって思うの。私が確かに生きていて、その証拠をテツが与えてくれていた。
テツは私のこども。産んだこどもじゃないし、人間の子じゃないけど、私のできることを精一杯してきたし、愛を注いだし、でもさびしい思いや、やってはいけないこともしてしまったかもしれない。けれどテツは私を好きでいてくれたし、私もテツに支えてもらった。安楽死を覚悟していたのも絆があったからこそだ。
そしてこんな私でもテツを一生、面倒見ることができた。ちゃんと最後の時まで看取ることができた。なんだか、子育てが終わった気分。旅立ちを見送って、自分の役割をちゃんと果たすことが出来て、だから胸がいっぱいになるんだ。ありがとう。私に生きる意味と、課題と、試練を与えてくれて。テツは私の生きる証で、真実そのもだったね。

最後まで読んで下さって本当にありがとうございます。
これは2年前〜1年前の出来事です。
読み返してみて、自分でも自分のへたれっぷりに反省しました。頼りない飼い主で申し訳なかったです。そして改めてテツオ君に育ててもらったなぁと…

あの頃は本当に病んでいたけど、心は少しずつ回復していくものですね。今はテツを傍らに感じながら、人の温もりを感じながら、日々を過ごしています。
元気いっぱい
きれいな目のテツオ君

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