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ホームページを運営していた話②

20年前に運営していた個人ホームページ「君の名は〜千と千尋の神隠し〜」を懐かしく振り返っています。(アーカイブはこちら
今回は当時のホームページ運営あるあるを個人的な経験から語っています🎶


①お絵描き掲示板の思い出

2001年夏、大きなサイトでは大抵「お絵描き掲示板」が設置されていました。ネット上で絵を描いて投稿できる✨というのが新鮮でした。私が利用していた大御所サイトの1つ「Spirited Away」では全盛期には1日に軽く1000枚以上の投稿があって毎日大賑わい。投稿した絵がどんどん次のページに流れていっちゃうので、半日も経つと遡るのが本当に大変でした😂💦と言うのもコメントの交流も盛んで、コメントを返したい!その人の絵にもコメントしたい!ってページを行ったり来たりするんですよね。当時は掲示板内の検索機能も無かったものだから、サーバーに負担がかかり過ぎてしょっちゅうサーバダウンしてました。(管理人さん大変だっただろうなぁ😅)

おかげさまでお絵描き掲示板での毎日は本当に楽しくて、この時代に繋がった人達とは、自分がホームページを開設した後もずっと交流が続いたものです。

<お絵描き掲示板で描いた絵>


余談ですが、当時の時代背景を考えると、このお絵かき掲示板のシステムは画期的でした。というのもグラフィックソフトはまだまだ一般に普及しておらず、王道のPhotoshopなんか諭吉さんが10人くらいのお値段でバカ高かったんです。誰もが使えるソフトでは無かったんですね。そんな中でお絵かき掲示板はブラウザ上でそれなりの描画ができたので本当に驚きだったのです。
そして「絵を主体にした交流」ができたことも大きい。
今では当たり前のことかもしれませんが、SNSの無い時代です。まだまだダイアルアップでやっとインターネットに繋いでる人も多かったような時代です。インターネットって何ができるの?って感じで足を踏み入れた人達にとって、このお絵描き掲示板という場所は魅力的で可能性に満ちていました。
描けるし出会えるし楽しいしで、CG初心者にも「絵」のネットワークを広げたい人にも最高の環境だったと思います。



②暖簾分けみたいに自分のホームページを作った時代

2001年冬、私は自分のホームページを持ちたいと思うようになりました。小規模でもいいから自分の描いた絵を掲載できる場所と、千と千尋の神隠しが好きな人達が思いを語れる場所を持ちたかったんですね。
でもこれは珍しいことではなく、同じ道を辿る人は多かったです。
大御所サイトで十分な時を過ごした人達はやがて自分のホームページを作って、「ホームページ開設しました」ってご挨拶するんです。仲良くしてくれてた人が、新設してばかりの掲示板やお絵描き掲示板に「ホームページ開設おめでとうございます!」って書き込みしてくれたのが嬉しかったなぁ…。
なんだか暖簾分けみたいだなと思います☺️
そんなふうにして沢山の個人ホームページが生まれた時代でした。
そしてここからは個人ホームページ同士、相互リンク同士のお付き合いが始まりました。

<初期の頃のTOPページ>



③サムネイルは小さい画像を作っていたw

サムネイルってサムネイル表示機能とかあるんでしょう?って思うでしょう?私のホームページはサムネイル表示ばっかりなのですが、このサムネイルたち、全部小さい画像を作っているのですw
そこにギャラリーの大きい絵へのリンクを張っていました。だから絵のファイルにはいつも元の絵と(A1.jpg)とサムネイル画像(A1mini.jpg)の2つをセットで管理していました。
本当はサムネ表示の機能とか、やり方があるんだと思いますが、とにかく初心者だったので見た目がホームページっぽければいいと思ってました🤣

→サムネ表示ばっかりのギャラリー


④当時の容量事情

当時の雑記帳です。
今はツイッターでもpixivでもデータサイズを気にせず投稿できると思います。自動的にサムネイルが作成されるし、容量が大きくても通信速度が上がったためか(もしくは自動調整される?)画像を表示出来ないことはないと思います。
でも当時は違うのです!
通信速度も、サーバの容量も限りがあったんです。最初に契約した無料レンタルサーバーの「ジオシティーズ」なんて当時50MBしか使えなかったので、工夫しないとすぐに容量オーバーになっちゃう( ;  ; )
いつも「容量」vs「画像サイズと画質」で葛藤してました。
でもそんな葛藤を体験したからこそ初心者の私でも容量に関する知識が付いたかなと思います。


⑤「100の質問」という文化があった

先日「ロミ空好きさんへ50の質問」を作りましたが、この「〇〇の質問」も2000年代、個人ホームページと抱き合わせのようにして流行ったもの。君の名はでも「絵描きさんに100の質問」に回答しています。
当時はいろんな質問が作られていたので、今回ロミ空好きさんに50の質問を作る時に調べてみたんですが、ありました!「黒い兄弟への100の質問」「狼団へも100の質問」が存在していたみたいです。(作者様が不明だったので新しく作りました)

「100の質問」は今にも通じるよい文化だと思うので、ファン活動される方々に再び広がればいいなと思ったりします。


⑥引越しという通過儀礼

掲載する絵の枚数が増えて来ると、無料レンタルサーバーではやがて容量が限界に達します。そしてホームページ運営に慣れて来ると、お絵描き掲示板や掲示板をレンタルではなく自分で設置して自由にカスタマイズしたい!という欲が出てくる。そこで決断するのが有料サーバーへお引越しです。(ここで自サバを選択する人もいる)容量も一気に増えるし、CGI設置が可能になるし、広告が入らないし!何もかもレベルアップです✨
今度はお世話になっている相互サイト様にお引越しのご挨拶(リンク張り替え依頼)をして、TOPページには「引越ししました」と新URLを添えて、水面下で準備していた新ホームページで皆様の訪問を待つのです。
ここまで来るとホームページへの愛着とか責任感みたいなのも出て来て、読んで文字の如く自分の家を持つような気持ちになったのを覚えています。
この「引越ししました〜!」の連絡を私も相互さんからいくつももらったなぁ☺️

→水面下でCGIに苦戦していた雑記帳

<カスタマイズした掲示板>

⑦ホームページ全盛期は終わったの…?

私がサイト運営を終了した経緯は最初にお話ししましたが、あの時代に生まれたホームページ達は、それぞれどんな経緯で終わっていったのかな…今改めてリンク集をタップしても、残っているサイトはほぼありません。残っていても10年以上更新がないとか。でもこれは管理人の意思というより、サーバー会社がたまたま残ってるか、そうじゃないかの違いのように思います。20年も経てばライフステージも大きく変わります。学生が社会人に、独身が家族に。パソコンも何台も変わっただろうし、メアドもまた然り。当時のパスワードも忘れてしまって、掲示板は荒れ放題なのにクローズ出来ないとか、いろんな管理不能に陥って消えていくのかもしれません。何よりインターネットのコミュケーションの形が個人ホームページからSNSに変わっているので、もうこれは自然の流れなのかな。さびしいけれど、しょうがないことなのかもしれません。

古き良き時代でした…

とクローズしたいところでしたが。
なんのご縁なのか今Twitterで仲良くして頂いている方々が、今もホームページをお持ちの方が多いのです。あの頃からずっと生き続けている、管理人の手が入ったホームページが今もちゃんと存在するのです。
私が改めて「君の名は」に思いを馳せるようになったのも、その方達の空間に触れたからでした。

その③に続く‼️

<休止中のTOPに掲載していた絵>

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