常に初心
読者の皆様、明けましておめでとうございます。
本年の抱負を書き綴りたいと思います。
「なぜ実の子より、他人の子に愛情を注ぐのか?」
これはある人から質問を受けた言葉です。
そして、6年前に活動を始めた時に自問自答した言葉でもあります。
私が活動を始めたきっかけは、シンプルに言うと、我が子のためです。
当時、不登校が増えている現実を知り、発達障害の社会的認知も広がり始めた頃で、我が子の学校生活を守りたかった。
そのために、子どもたちが笑顔になれる環境を作っていきたかったし、不登校や発達障害その他いじめなど社会全体で変えていかなければならないと考え活動を始めました。
活動を始める数年前、まだ世の中に子ども食堂という言葉が出てくる前、子どもたちの居場所などという言葉さえも無かった頃から
「子どもたちが楽しく過ごせる場所」について構想を練っていた。
ー 「畑があり学習もできておやつ程度でも飲食ができる場所」
発達障害がある子は、決して変な子じゃなくむしろ素直な子達ばかり。
そんな子たちが、いじめに遭ってしまったり、馴染めずに学校へ行けなくなっている。
その状況を、もっと社会に知ってもらいたかった。
その状況にある子どもたちが引きこもってしまっていることもなんとかしたかった。
構想を練っていた子どもたちが楽しく過ごせる場所を作るための参考になる前例も少なかったし、理解もなかなか得られなかった中で、出来ることから始めていこうと、活動を始めました。
畑を作り、子どもたちが通ってきてくれるようになり、学びの機会をと教室を開設し、コロナが蔓延して移動型として子ども食堂もやった。
通ってきてくれた子、一時的にでも利用してくれた子、一緒に遊んだ子、全てを数えても1000人には届かないけれど、子どもたちから沢山のことを学び沢山の笑顔に出逢えた。
子どもたちの笑顔が原動力になっていた。
そんな中出会った、虐待サバイバーの子。
知ってるようで知らないことも多くて、まさに百聞は一見にしかず。ありがたいほどに知見が広がった。
時の流れとともに、子どもたちから学んだことを生かすために、今のままでは十分ではないなという気持ちが膨らんでいく。
初心に返る必要はない。
毎日が初心だから。
そもそも、どこからが初心なのか?
一般的には、ある物事を実行する決断をした時ではあるが、それを思いついた時、それを思いつくきっかけに出会った時、そのきっかけに出会うまでの道のり、辿っていけば生まれた時が初心かもしれない。
だから初心に返るというより、常に初心であり、自分の想いに忠実に挑戦し集中することが何よりも大切なのではないか。
過剰な比較、過度の期待、極端な情報、
人からの評価は大きく膨らんだシャボン玉でしかないこの世の中で、まるで遊園地のコーヒーカップに乗っているかの如く右へ左へ振り回されて、自分を見失う人は数知れず冷静さを失い世の情勢に取り残される。
色んな意味で、路頭に迷う子どもたちや若者たちの背中を押す活動。
子どもたちや若者たちが生きる力をつけ、社会の中で強く生きていくために背中を押す活動。
まだまだ抽象的だけど、子どもたちがどんなサポートを必要としているのかをしっかりと見極めて進化させていきます。
本年も、宜しくお願い致します。
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